四国・九州ツーリング2017~3日目前篇:またいつか

今年のゴールデンウィークの記憶も、平板で不機嫌な日常の中に埋もれようとしている。が、 その埋もれゆく記憶の中にある6日間のツーリングの記録は、まだ2日目までしか書けていない。

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このペースでは、5月中に全行程を書き終えることは難しい。もちろん締切があるわけではないが、他に書きたいネタも出てきたので少しペースを上げていこう(とは思っているのだが・・・)。



 

観音寺ファミリーキャンプ場の朝

この日(2017年4月30日)の観音寺市の朝は、前日の南あわじ市よりも寒かった。翌日から5月だというのに、温暖なはずの瀬戸内地方にいるのに、水滴がしたたり落ちるほどテントは結露していた。

もう寒いのはコリゴリだ。この日、いつもは収納に苦労するインフレーターマットがいつになく素直にシボんでくれて、実にスムーズに収納することができた。同様に私のテント泊に対するモチベーションも、すっかりシボんでしまった。

例によって寒さに完全に負けてなかなかテントから這い出ることができず、この日最初の写真▼のタイムスタンプは、
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前日よりさらに30分以上も遅い「午前6時14分」であった。

ほぼ「波打ち際」と思えるような場所に大仰なテントを張るファミリーキャンパーの皆様。
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もし津波が来たら低い堤防だけで遮られたテントサイトもひとたまりもないだろうが、この位置だとちょっとした高潮でも危ないのではないのか。まあコイツらがどうなろうと知ったことではないが、(子供がいるのにこんな場所によくテントを張れるなあ)と、侮蔑的な感心をしたのだった。

テントサイトのすぐ隣には、「イベントホール」と名付けられた、ただの「屋根付き広場」があって、前日の夜は近隣から来ていると思しき子供たちの集団が何某かの遊びに興じていた。
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ひとつ笑ってしまったのは、うどん屋から戻った後、真っ暗闇の中(炊事場はふたつあるのだが駐車場に近い方は照明が点かなかった)でLEDランタンを点けて歯磨きをしていたら、イベントホールからトコトコと2人の少年が歩み寄ってきて

少年A「すみません、トイレはどこにありますか?」

と馬鹿丁寧に私に聞いてきたことだ。

(おめえらの地元じゃねえのかよ、オレに聞くなよ(笑))と思いつつも親切に教えてあげたかったのだが思いっきり歯磨きをしていて唾液ダラダラでまともに喋ることができなかったので、トイレがある方を指差して「あっち」とだけ答えたのだが、そんな不躾なおっさんに対して2人の少年は

少年A、B「ありがとうございます!」

と、元気に礼を返してくれたのだった。あの時の少年たち、まともな応対もできずごめんなさい。

 

すべての道の駅に朝食を

前日の夜の、そんな自分の失態を恥じながら観音寺市内を走り出す。

例によって、ここには何もない。何もないが、ツーリングに出たときの喜びは、すべてこの時間と空間に詰まっている。
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午前8時になる頃、(まだやってねえだろうなあ)と思いつつ、朝食があることを期待して「道の駅とよはま」に右折する。
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が案の定、営業開始は午前8時30分からであった(※「おーしゃん食堂(笑)」は午前11時から)。

(まあそりゃそうだよね)とあきらめ、のんびりと用を足してトイレから出てきたら、愛車M109Rを囲んで地元民と思しき4人組のライダーが何か話をしている。
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2007年初頭に1代目M109R(2006年式)に乗っていた頃は、川崎や都内でもやたらと「それ、どこのバイク?」と話しかけられたものだが、登場から10年以上が過ぎた今ではさすがに話しかけられることはなくなった。が、ナニゴトだろう、四国ではいまだに珍しいのだろうか?

さっそく話の輪に入って地元のライダー達と交流・・・というのはもちろんウソで、そんな面倒くさいことは避けて朝靄の立ち込める瀬戸内海を眺めたり、
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(写真左側に見切れているけど)「黄金持ちの聖地」に大枚30円を上納してお参りしたり、
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かみさんとLINEしている間に地元民ライダーはいなくなっていた。

その後も朝飯を求めて、四国中央市新居浜市西条市と愛媛県の沿岸部を走り続ける。良さげな店があっても道の反対側にあったり、「食堂/営業中」と看板が出ていても営業していなかったりで、結局今治市まで来てようやく朝飯にありつけた。時刻は、既に午前11時をまわっていた。ブログ的には「今治市ならでは」な店なら良かったのだが、残念ながら何の変哲もない、ただの「ガスト」である。
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ガスト 今治東店

中途半端な時間帯ということで空いてはいたが、8人ほどの若者のグループが騒いでいて辟易した。居酒屋じゃねえんだからさ(別に「居酒屋なら騒いでいい」というわけではないが)。あまりにうるさいので注意しようかとも思ったが、私はただの、通りすがりのヨソ者である。こんな田舎で無用な正義感を振りかざしたところで、得るものなど何もない。

注文したのはドリンクバーと「ローストビーフと五穀米・・・のなんちゃら」である。
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別に今治まで行かなくても、戸塚でもほぼほぼ同じモノが食べられるだろうが、味には間違いがない。少なくとも前日の晩飯の「肉うどん」や、前々日の「鶏南蛮(的なもの)」よりは遙かにマシだった。

 

ありがとう、見ず知らずのおじいさん

来島海峡展望館」の駐車場の隅にM109Rを停めて、「しまなみ海道」を写真に収めていた。
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(ああ、しまなみ海道も通りたかったなあ・・・)なんて思いながら。

するといきなり背後で「川崎からいらしたんですか」という声がする。話しかけられることなどめったにないので驚いて振り向くと、60代後半と思しき小柄な男性が立っていた。私は横浜の僻地=戸塚の在住だが、ナンバーは去年まで住んでいた川崎のままなので、それを見れば当然の質問である。説明するのも面倒なので「ああ、はい、そうです」と自然に応じる。

爺「川崎はいま100万都市ですかね?」

私「もう150万人超えてます」

爺「ああ、そうなんですか」

私「武蔵小杉ってところにバカデカいマンションがやたらできて、それで人口が増えてるんですよ」

そんな「川崎談義」をし始めるとおじいさんは、若い頃相模原で働いていたこと、都内に親戚がいることなどを滔々と語り始める。が、申し訳ないが私は加齢と共に聞き取り能力が著しく低下しているので、滑舌が良いとは言えない、ボリュームの低い彼の声がほとんど聞き取れない。こんな時かみさんがいれば会話を仲介してくれるのだが、残念ながら通訳の同行してないひとり旅である。テキトーに相槌を打ってお茶を濁す。

そんな状況が3分は続いただろうか。永遠に終わりそうもないので、話が途切れたところで「それじゃ、そろそろ行きます」と切り出した。すると彼は、被っていたキャップを取ってペコリと頭を下げ、

「事故には気をつけて、新聞沙汰にならないように」
と言った。(縁起でもねえこと言うなあ)と内心は思いつつ、まるで旧友を見送るかのような恭しい態度に恐縮してしまう。そしてさらに私がM109Rに向かって歩き出すと、背中越しに

「無事を祈ってます」
そう大声で言ってくれたのだった。彼の最後の言葉は、その後のツーリング・・・特に過酷極まりなかった帰路において、私の耳の奥でずっと響いていた。

ありがとう、しまなみ海道の真下で会った見ず知らずのおじいさん。どうかお元気で。とりあえず元気で(©ダディダディダディダー)。

またいつか、この国のどこかでお目にかかりましょう。

(つづく)