「健さん」という存在

もう既に少し前の話になるが、高倉健さんが亡くなった。

週刊誌なんかが巻頭特集を組むぐらいの”大人物”の死去だし、各種メディアで大量の情報が氾濫している中、今さら・・・って感はあるが、少なからず影響を受けた人物であるので、少しだけ書いておきたい。

 

野生の証明:健さん原体験

私の世代(昭和42年生)では、おそらく最初に”自分の意志で見た”健さん映画は、「野生の証明」が多いのではないかと思う。

「八甲田山」は強烈に印象に残っている映画だが(雪国に育ったので、「天は我々を見放した~」と言いながら雪の上に倒れ込む”八甲田山ごっこ”は当時小学校で大流行した)、健さんよりも、件の名セリフを発した北大路欣也氏の方が記憶に残っている。

「幸福の黄色いハンカチ」ももちろん知ってはいたが、10歳かそこらのガキが好んで見る映画ではなかったし、やはり薬師丸ひろ子氏(以下「ヤクシマル」)目当てで見た「野生の証明」が、私の健さん原体験である。

 

でも当時は、ヤクシマル目当てで見ていたので、テレビで見る”This is a タカクラケン”以上の印象は残らなかった。

ラストの、「戦車の大群に、たった独りで、ピストル一丁で立ち向かう」荒唐無稽なシーンを除いては。

あんなおかしなシチュエーションでもサマになるのは、健さんならでは、と思う。

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駅 STATION:憧れ未満

明確に健さん目当てで最初に視た映画は、「駅 STATION」。

地元の、今は亡き「坂下銀星座」に、ひとりで見に行った。

田舎の中学生のガキには、今じゃ絶賛されてる「舟唄」が流れるシーンも「?」って感じだったし、全体的に何だかよくわからない、捉えどころの無い映画だったが、円谷幸吉氏の遺書が淡淡と流れるシーンが妙に好きで、何度か見に行った。

当時、やはりヤクシマル情報が目当てで買っていた角川書店発行の雑誌「バラエティ」の、映画評論家同士の対談かなんかに(前後の流れも、誰の発言かも全く覚えてないが)、

  • フツーの感覚だったら、あの遺書のシーンで席を立ちますよ

みたいなこと(もちろん正確に覚えてる訳じゃないが、概ねそんな感じ)が書いてあって、「オレってまだ何もわかってねえんだ・・・」なんて、ガキのくせに少し落ち込んだ記憶がある。

そんな訳で、まだまだ健さん映画に共感できるだけの感性は持ち合わせていなかった、中二の頃。

・・・でも、去年だったかな?久しぶりに見たけど、あの遺書のシーンは、やっぱり良いと思う。

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ブラック・レイン:やはり”主役”ではない

「駅 STATION」の後に見たのは、ずっと間が空いて「ブラック・レイン」だったろうか。

「海峡」も「居酒屋兆治」も「夜叉」も、ひと通り見てはいるが、公開当時に”リアルタイム”では見ていないと思う。

その「ブラック・レイン」は、生涯最も好きな役者・松田優作氏が目当てで見た。

映画館で見ただけでなく、ビデオ(もちろんVHSね)も買って何度も見た。

本作はマイケル・ダグラス氏が主役で、健さんは”準”主役のはずだが、松田優作氏の遺作ということもあるし、やはりこれは「松田優作」の映画だと思う。

健さんのシーンで思い出すのは・・・アンディ・ガルシアとショーパブ?で歌うシーンと、ラストで(ニセ札の原版が入った)シャツの箱を額に当てて、ニヤリと笑うシーンぐらいかなあ・・・

シーンのそこかしこに、健さんならではの”重厚感”はあるが、個人的には「健さんでなければならない」意義はこの映画にはない・・・つまり、いくらか”役不足”かな、と思う。

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「健さん」という存在

「ブラック・レイン」の後の作品は、「ミスター・ベースボール」とか「鉄道員」とか、いろいろ見た記憶はあるけど、さほど印象には残っていない。

そんな訳で、ふり返ってみると、思いの外「高倉健作品」に感化された訳でもないのだが、「あんな風になりたい」と思わせる、そんな特別な存在であった(・・・決して、あんな風にはなれないのだが)。

それは、映画はもちろん、ガキの頃流れていた「シンプルライフ」のスポットCMの短い映像にさえも、”自分を律し続ける姿”が映し出されていたからだろう。


樋口康雄CM WORKS 1978年 レナウン シンプルライフ - YouTube

 

また、「驚異的に老けない人」として認識していた健さんが、昨年(2013年)の文化勲章を受章した際の記者会見では、”年相応”に老けていたことに驚いた。

今思えば、あの頃既に病に冒されていたのかもしれない(いや、もちろん、私なんかには何もわからないけれど)。

 

この、いろんな所から情報が漏れる現代において、死後一週間以上も、その情報が漏れなかったのは、まさに最後まで”健さんらしい”と思った。

 

謙さんでも、剣さんでもない。

「謎」を身にまとった最後の”大役者”健さんは、数多の人々の中に、ずっと生き続けるだろう。