GWツーリング2015:裏日本の海沿いを行く:3日目(2015/05/02)(1)

今週のお題「ゴールデンウィーク2015」

GWツーリングの3日目。
この日は島根から山口に至る道のりで、松江城に行ったり、出雲日御碕で海鮮丼を食べたりと、めずらしく”一般的な”ツーリングっぽいことをしてみた。

 

「マリンパーク多古鼻」の朝

この写真は、ドローンを飛ばして撮影したわけではない(いちいち断らなくてもわかります)。施設の端っこに、木組みの簡素な展望台があるのだ。f:id:ToshUeno:20150502060237j:plain
去年も一度来ているが、なかなかオカネがかかった施設だと改めて思う。さすが、たかが「オートバイ1台+テント1張り」で、¥1,650もの大金を徴収するだけのことはある。f:id:ToshUeno:20150502060302j:plain
そしてここは、キャンプサイトとしてよりも、コテージ(キャビン)の方に重きを置いていて、そちらの方が人気があるようだ。f:id:ToshUeno:20150502054332j:plain
この日も、キャンプサイトにはかなり空きがあったが、コテージは”満室御礼”だった。f:id:ToshUeno:20150502054419j:plain

寝不足のため早起きできず、すっかり朝陽が昇ってしまったが、それでも「天空の岬」の名に恥じない絶景である。f:id:ToshUeno:20150502060331j:plain

 

他人への気遣いができない人達

早朝5時、ウグイスの美しい鳴き声で目が覚める。キャンプ泊ならではのステキな”目覚まし”である。が、後述のとおりよく眠れなかったので、二度寝した。

管理棟のおっさん

そして5時半頃。テントのすぐヨコの方で何やら物音がする。うるさい。トイメンのコテージの方々が、”徹夜”でなにかされているのだろうか。そう思ってテントから這い出たら、管理棟のおっさんが何やら作業していた。管理棟のおっさんは仕事なのでしかたない。まあ朝5時半なので、「もう少し静かにやってくれよ」とは思うけど。

オートバイ乗りの方々

前日の夜、受付のおばさんに尋ねられた。
「キャンプサイトBは炊事棟の両隣が空いてます、Aはすべて空いてます。どちらにしますか?」と。http://takobana.com/mp-takobana/shisetsu/site/img/area_img.jpg
出典:http://takobana.com/mp-takobana/shisetsu/site/index.html

サイトBの端の方では、私が到着した19時半頃、オートバイ数台で来ていた方々が既に”デキあがって”騒々しかったので、サイトAを選んだ。

この写真のとおり、確かにサイトAには誰もいなかった。f:id:ToshUeno:20150502060908j:plain
ちなみにオートバイ乗りの方々は、22時過ぎまでずっと騒いでいた。

キャビン7号棟の方々

上の写真のとおり、サイトAには誰もいなかったが、通路を挟んだトイメンにあるコテージ(=キャビン7号棟・以下同)の団体が、私がテントを張っている間、かなり騒いでいてうるさかった。まあ、それは21時頃のことなので、まだ許せる。

問題は、すっかり寝入っていた深夜2時半。
クルマのエンジン音と、数人の人間のデカい話し声と笑い声で起こされた。キャビン7号棟の連中が、どこかに買い出しに行ったのだろう(話し声・笑い声が同じだった)。よほど文句を言いに行こうと思ったが、そんなことしたら、その後コーフンでヒャクパー眠れなくなるので、ヤメた。それでもイラついてしばらくは眠れず、寝不足になってしまった。

アワレムココロ

他の宿泊者は、みなさん静かに施設を利用していた。
上述のオートバイ乗りとキャビン7号棟の二組の連中だけが、「自分たちだけの世界の中」で、周囲に一切気遣いせずに行動していた。
キャンプ関連サイトのレビュー等でよく目にする事例ではあるが、今まで”ヒトケ”のないキャンプ場を意識して選んできたので、自分自身で経験したのは初めてであった。なるほど、これほど不愉快な出来事もなかなかない。

それでも、こういう「他人への気遣いができない人達」に対して、ただ腹を立てるのではなく、「憐れみの心」で接するような人間に私はなりたい。

不愉快な感情と、それを必死に抑え込もうとするちっぽけな理性。そんな複雑な思いを抱えながら、多古鼻を後にした。

 

松江城

私が生まれ育った会津には、「鶴ヶ城」という城がある。正式には「若松城」というらしいが、地元ではそんな呼び方は聞いたことがないので、「鶴ヶ城」と書く。

私が幼少期にお世話になった坂下保育所の春の遠足先は、毎年鶴ヶ城であった。その物心ついた頃に城(外観復元天守)は既にあったので、ずっと昔からある「ホンモノ」だと信じていた。それが、戦後「鉄筋コンクリート造」で復元された「ニセモノ」であると知った時の落胆は忘れられない。

前置きが長くなったが、「松江城」である。復元ではない、「十二天守」のひとつである。f:id:ToshUeno:20150502082640j:plain

こちらは正面むかって左側。この時、8時20分頃。まだ観光客も少なかった。f:id:ToshUeno:20150502082310j:plain

正面側のアップ。木や瓦の質感が「ホンモノ」であることをうかがわせる。f:id:ToshUeno:20150502082538j:plain

こちらは”裏”側。なにやら壁から生えているパイプが興ざめだが、このぐらいは仕方ないか。f:id:ToshUeno:20150502082454j:plain

正直、今まで城郭や幕末~明治期の歴史にはほとんど興味がなかったので、明治期に城郭を廃城しようとする動きがあったことなど、この解説を読むまで知らなかった。f:id:ToshUeno:20150502082800j:plainその場所に行ってはじめて、肌で感じて興味を持つこともある。今後は、ツーリングついでに「お城めぐり」をするのもオモシロいかな、そう思った。

 

松江城天守閣にアクセスする

私は松江市役所から天守閣を見ながら当地に向かったので、駐車場がある側とは反対側に行ってしまった。
で、この辺りの駐車禁止の標識には「2輪のものを除く」との”但し書き”があったので、上の地図の「35.4756364, 133.0481648」の位置に路駐しました。どうもすみません。

城の敷地内に入ると、当然天守閣は見えなくなるので、左から行けばいいのか、f:id:ToshUeno:20150502081524j:plain

それとも右から行った方が近いのかがわからない。f:id:ToshUeno:20150502081534j:plain

そこで、かわいい白い犬を散歩していた地元のおじさんに「どこから行くと近いのか」聞いたら、この階段を教えてくれた。f:id:ToshUeno:20150502081802j:plain
この階段を昇ると、ちょうど天守閣の裏手に出て、通路は天守閣と松江神社の間へと続いている。

フツーに歩いていたら、見えにくいこの階段に気づくことはなかったと思うので、城の周囲をぐるっと歩いていただろう。
時間もかかっただろうし、私が天守閣を出る頃に観光客がどっと押し寄せてきていたので、その人達と入場が重なっていたら、さらに見学に時間がかかっていただろう。

やはり、なんでも地元の人に聞いてみるもんである。
そして、親切なおじさん、その節はありがとうございました。

(つづく)