「墓」について考える

ネタに困ったときの、「日本経済新聞:ライフ」から記事を拾ってネタにするシリーズ。

何か論評するほどの教養はない私には政治や経済ネタなんてオイソレと書けないが、この「ライフ」になら自分が普段考えていることに近い記事がけっこうあるのでネタにしやすいのだ。

本日のお題は「墓」

人生もとうに半分以上過ぎたし、そろそろ50代、いつ死んでもおかしくない。
ということで、以下の▼記事を引用しながら、今日は「墓」について考える。

たとえばぼくが死んだら

私たち夫婦は子供がいないので、どちらかが先に死んだ場合、”生き残った”方が何らかのカタチで埋葬をすることになるだろう。

元も子もないことを言ってしまうと、自分が死んだ後のことなんかどうでもいいのだが、せめて、かみさんが遺骨の”処理”に困らないようには準備しておきたい。
また、考えたくはないけれど、万が一かみさんが先に死んだ場合は、何らかのカタチできちんと埋葬してあげたい。

考えたくはなくても、起きて欲しくはなくても、そういうことが起きるのが人生である。

現住所に永住するつもりはないが・・・

現住所は川崎なのだが、ナニゲに住みやすいので、かれこれもう15年も同じ賃貸マンションに住んでいる。かと言って、もし70歳以上まで生きながらえてしまうと、現在の家賃を払い続けられるほど蓄えがあるワケでも、現状と同程度の収入を得られる見込みがあるワケでもない。

一時期(つい最近だけど)、「地方にIターンしよう」と考えて少し行動したのだが、この年齢かつ私程度のショボスキルだと仕事がなかなか見つからないので、その計画も頓挫してしまった。

墓の心配なんかする前に、本当は「終の棲家をどうするか」の方が問題なのだが、それはまた別の機会に記事にしてみようと思う。

そんなワケで、現住所には囚われずに「墓」について考えてみる。

実家に墓はあるけれど・・・

私の実家(福島県河沼郡会津坂下町)の近くには先祖代々(私はちょうど10代目)守られてきて、おやじさん兄弟が建て直したリッパな墓がある。f:id:ToshUeno:20150426143537j:plain
が、私は二男である。どうやら世間の常識では、長男以外は実家の墓には入らないものらしい。

まあそれでも、私は”常識を破って”無理やり入れてもらえるにしても、うちのかみさんは東京(品川区)出身で、(配偶者である私の出身地ということ以外は)会津になど縁もゆかりもないし、当然住んだこともない。よって、あんな冬は雪に埋もれてしまう墓に入れるのはかわいそうだ。

よって「実家の墓」案は、あえなくボツとする。

いろいろな埋葬のカタチ

ここでようやく冒頭のリンクの記事「『他人に迷惑』、墓石残さず 跡継ぎなく家意識薄れる」より、現代の「お墓事情」について引用してみる。

当該記事では「新しい葬り方が増えている」として、次のような例が挙げられている。

合葬墓(がっそうぼ)

埼玉県在住の加藤洋子さん(仮名、79)は自分の死後のお骨について、他人のお骨と一緒の合葬墓への納骨を希望している。
2年前に亡くなった夫のお骨も合葬墓にある。夫は三男で実家の墓に入らない。墓を新設しても、墓守(はかもり)となる子もいないので合葬墓を選んだという。

日本経済新聞 > ライフ > くらし > かれんとスコープ >「『他人に迷惑』、墓石残さず 跡継ぎなく家意識薄れる」

生きている今は団体行動が大キライな私ではあるが、死んだ後ならたぶんガマンできると思うので(笑)、お手軽そうな「合葬墓」もアリだろう。

樹木葬

「のびのび眠りたい」。
千葉県の木村敬子さん(仮名、77)は樹木葬を希望。県内の寺院に場所を確保し、NPO法人りすシステムに死後の手続きを委ねる生前契約も結んだ。お骨を布に包み、樹木付近に33回忌まで埋葬。お骨は分解されて土にかえる

日本経済新聞 > ライフ > くらし > かれんとスコープ >「『他人に迷惑』、墓石残さず 跡継ぎなく家意識薄れる」 

「樹木葬」というカタチはこの記事で初めて知った。

私は海が好きなので、今ではすっかり一般的になった 「海洋葬」がいいとずっと思っていたが、「お骨は分解されて土にかえる」って所に興味を惹かれた。また、お骨が木々の栄養になるのであれば(生物学的にどうなのかは知らないけど)、それもまた喜ばしいことである。

さらにイメージ的には海洋葬よりも”お手軽”そうだし、この埋葬法はとても良いかもしれない。これからいろいろ調べてみよう。

それにしても、「樹木葬”なび”」って(笑)。

ライトだなあ・・・