自殺を手助けする非政府組織がスイスにあるという話

「人らしく逝くという選択」 -日経編集委員 大林尚氏

昨日(2015/06/29)の夜23時過ぎ、横須賀線の車内で当日の朝刊をスマホでナナメ読みしていて、そのタイトル(上記見出し)にまず「ん?」となった。内容を読んで、「ええっっ!?」と驚いた。

スイスには、自殺幇助のための非政府組織(NGO)があるという。恥ずかしながら、まったく知らなかった。

 

訪れて話を聞くと、自殺幇助というおどろおどろしい法律用語とは無縁の活動がみえてきた。

「私たちがサポートしているのは、やむにやまれず死期を早める選択をした人です」。

ベルンハルト・スッター代表の言葉である。

- (核心)人らしく逝くという選択 多死社会への備えあるか 日本経済新聞:2015年6月29日

例によって日経新聞の有料記事にはリンクを張っても意味が無いので*1、約1年前の朝日新聞系のサイトにあった、同じNGO副代表のインタビュー記事にリンクを張って、その発言の一部を引用する。

 

「私たちは家族の了承がある人の依頼しか受けないし、『孤独』を理由に死を望む人も幇助の対象にはしない。なぜなら、その場合は自殺以外に解決法があるからだ

ほかの解決策をすべて考慮してもなお、尊厳を持って人生を終えるためには自殺しか方法がないという場合に限り、死を迎える手助けをしている。」

なぜ私は自殺を幇助するのか/EXIT副代表に聞く 生の終わりに -- 朝日新聞GLOBE

 

ゆるやかに自死する

私の父は肝臓を患い、医者から飲酒を禁じられても一切耳を貸さず、やがて肝硬変になり、それが元で脳梗塞を発症して倒れ、一度も意識を戻すことのないまま、約10ヶ月後に文字どおり「骨と皮」だけになって亡くなった。

父とは、オトナになってから腹を割って話したことは一度も無いので本当のことはわからないが、ひょっとすると彼は死にたかったのではないだろうか。

趣味らしい趣味は何もなく、典型的な「昭和の仕事人間」だった彼は、定年後も5年以上嘱託として働いたが、それも辞した後は1年もしないうちに倒れたのだった。おそらく、仕事を失った後、父は生きる意義が見出せなかったのだろう。だから、「このまま飲み続けると死ぬぞ」と医者に脅されても、わざと酒を断たなかったのではないかと、私は思っている。

 

骨と皮だけで

対する母は、父と違って多趣味で、国内・海外問わず旅行に行きまくって老後をおおいに”満喫”していたようだが、大腸がんになり、やがて父と同じように「骨と皮」だけになって逝った。

死を望もうと望むまいと、意識があろうとなかろうと、「骨と皮」だけになって死にたい人はいないのではないか。人は誰でも、冒頭の記事のタイトルどおり、「人らしく逝く」ことを望んでいるのではないだろうか。

さらに言うと、「死の選択肢が増える」ということは、「より良く生きる」ということにも繋がるのではないのだろうか。
 

日本より世界は広い

これからこの国は、「高齢化」を超えて「多死」社会を迎えるそうだ。たしかに、私の父と母が施されたような「無意味に寿命を延ばす医療」を続けていたら、病院がいくつあっても足りなくなる。

スイスにある自殺幇助のNGO「EXIT」は、なんと33年も前に設立されたという。また、上記の「朝日新聞GLOBE」の記事によると、スイスでは毎月のようにどこかで住民投票が行われているそうだ。そんな国では、ある地方の住民投票など、ニュースになることはないだろう。いち”地方都市”の住民投票が、全国区の、しかもテレビ速報付きのニュースとして取りあげられるこの国とは大違いだ。

 

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。

「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」

夏目漱石 三四郎

「頭の中」の前に、日本より世界は広い。見習うべきことは見習えばいいし、採りいれるべきことは少しでも早く採りいれればいいのに、と思う。

 

*1:ちなみにこの記事はとてもすばらしい文章です。次の日曜(15/07/05)までに日経電子版を申し込めば、PC/スマホ等ですぐに読むことができます。