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愛犬は、ずっとグルグル歩き続けていた

動物 昔話

長年疑問だったことがあった。

17年前、実家で飼っていた愛犬が「いよいよやばそうだ」と、母から連絡があった。さんざん悩んだ末、1日だけ休みをもらって、実家に急いだ。

実家に着いて、久しぶりに会った愛犬は、寝込んだりすることはなく、元気に歩き回っていた。ただ、同じ場所を、グルグルグルグルと。ひたすら、歩き回っていた。

心なしか、虚ろな表情をして。

 

犬にも痴呆症があるという話

日経新聞の今日の夕刊に、長年の疑問を解き明かす「ヒント」になる記事が載っていた。

 

現在、犬の認知症は以下のような一連の症状で診断される。

高齢犬で発生。柴犬もしくは日本犬雑種に発生が多い傾向がある。
昼に寝てばかりいて夜に起き出し、円を描くように歩き続ける。
狭いところに入りたがるが全く後退ができない。
症状が重くなると部屋の直角コーナーでも方向転換ができない。
- 2015年7月11日 日本経済新聞夕刊 野のしらべ「犬の認知症 抑揚ない声、表情乏しく」

私が愛犬に会ったのは昼だったが、「円を描くように歩き続ける」のは、まんまそのとおりだった。彼は、ご覧のとおりの「日本犬雑種」だったし。f:id:ToshUeno:20150712102433j:plain

 

愛犬との出会い

15歳の冬、友達の家でクリスマスパーティをやった。
中三のガキどもが、ワインを少し飲んで(ごめんなさい)、歌って、騒いだ。

友達の家の前で別れを惜しんでいる時、白っぽい小犬が駆け寄ってきた。黄色い首輪をしていた。
5、6人でタムロしていたのに、私の足元にすぐ擦り寄ってきた。
私はすぐに、その年の5月に目の前で息を引き取った愛犬の「生まれ変わり」だと思った。だからすぐに拾い上げて、そのまま連れて帰った。
家に帰って、薄汚れていた体を洗ってあげた。
毛の色以外は、トリスのCM(ダディダディダドゥダドゥダー)の小犬にそっくりだった。


 

愛犬との思い出

彼と毎日を過ごしたのは、中三の冬から高三までのわずかな時間だったが、楽しい思い出がたくさんある。

実家から10km近く離れた阿賀川の河原まで、ときどき散歩に行った。私は自転車で、彼はもちろん「全速力」で。本当に走るのが大好きなヤツだった。

夏の夕暮れ、実家の玄関に座って、いっしょにぼぉーっと外を眺めるのも好きだった。私が玄関に座ると、寝ていても何していても必ず寄ってきて、体をスリ寄せながら私の前に座るのだった。

冬の夜は、町の公園にある四角錐の形をした滑り台に座って、舞い落ちてくる雪をいっしょに眺めた。冬も雪も大嫌いだったが、彼がいっしょだと多少は好きになれた。

上京した後は、親不孝かつ犬不孝な私はほとんど会いに行くことはなかったが、数年に一度、たまに会いに行くと、大きく垂れ下がった耳を思いっきり後ろに下げて、全身で喜びを表してくれた。耳が完全に隠れて丸い頭だけが強調されたその様は、ウルトラセブンがアイスラッガーを飛ばした後にそっくりだった。

 

最後の日の思い出

冒頭の話が、その愛犬との最後だった。いっしょにいたのは、6時間ぐらいだっただろうか。

今なら3日でも4日でも休んで、息を引き取るまでずっといっしょにいてあげたいと思うところだが、当時は「休む」ことに罪悪感があったし、まだ若くてペーペーだったので(ま、“ペーペー”は今でも変わらないけど)、1日休むのでさえ、ものすごく勇気が要ることだった。

私がたまに会いに行くと、全身で喜びを表現してくれたのに、最後に会いに行ったときは冒頭に書いたようにただひたすらグルグルと歩き続けていた。私に一切関心を示すことはなかった。

日経の記事には、犬の痴呆症の症状として「飼い主やなれた場所が分からなくなる」ともあった。

数年間、ほとんど会いに行かなかったくせに「飼い主」を名乗るつもりはないが、私は長年ずっと、「身体のどこかが痛くてじっとしていられず、それで歩き回っていたのかな」と思っていた。「それにしても、オレに会ったら少しは“反応”して欲しかったなあ」なんてことも自分勝手に思っていて、「なぜ反応してくれなかったのか」がずっと疑問だったのだが、ボケていたのであれば合点がいく。

私が会いに行った2日後、彼が亡くなったと母から連絡があった。最後に、少しだけでも会えて良かった。

犬に「記憶」というものがあるかどうかは知らないけれど、彼が最後に「思い出した」のが、私といっしょに見た河原や、夏の夕暮れや、冬の夜の風景であったと、そう思いたい。