南武線の踏切は、いったいいつなくなるのか

私の住んでいる川崎市には、「南武線」という川崎市民のためのローカル線がある。

沿線には40階建て以上の超高層マンションが林立しているような大都会・・・武蔵小杉の周辺はワリと昔から高架化されていて無いが、その近くの向河原駅と、川崎駅の1つ手前の尻手駅の間には、まだ踏切がかなり残っている。
 

踏切の思い出

「踏切」と聞いて私が思い出すのは、環八の「井荻踏切」と、同じく環八と国道15号との交差点傍にあった通称「京急蒲田の踏切」である。

井荻踏切

私が20歳の頃(1987年)、井荻トンネルはまだなく、環八と西武新宿線が交わる井荻踏切の一帯は砂埃の舞う巨大な工事現場だった。私は何度かアルバイトでその現場に行ったのだが、「はたしてこの工事は終わんのかな?」と心配になるほどの大工事であった。

 

西武新宿線の南北で環八通りと交差している早稲田通り、新青梅街道、千川通り、旧早稲田通りといった幹線道路との立体交差事業と一体化して、井荻トンネルが建設された〔後略〕

井荻トンネル - Wikipedia

Wikipediaによると開通が「1997年4月」とあるので、私が知っている間だけでも、実に10年間も工事していたことになる。

▼井荻トンネル入口。画像奥のトンネルに入る辺りで環八と早稲田通りとが交差する。

ちなみに、昔の踏切による大渋滞は解消されたが、いま井荻トンネルを通ると大概渋滞している。

京急蒲田の踏切

井荻トンネルは関越道方面に行くときぐらいしか通らないが、京急蒲田駅の近辺は現住所(川崎)に近いのでしょっちゅう通る。

まだ踏切があった頃、一度タクシーで通りかかって環八側の「開かずの踏切」が開くのを待っている時、運ちゃんが「京急がカネ出さねえから、いつまで経っても踏切がなくならねえ!」って文句言ってたのをよく覚えている。ここの渋滞は本当にヒドかった。

国道15号側の踏切は「▼箱根駅伝名物」であったことも、まだ記憶に新しい。

段階的に高架化を進めたためか、「いつの間にか工事が終わっていた」気になっていたが、Wikipediaによると施工から完成まで、やはり10年以上かかっている。

▼環八側「京急蒲田の踏切」跡地。右側のトラックが著しくジャマ。

ことほどさように、「踏切撤去は大変な工事なのだ」ということはわかるのだが・・・

 

南武線_立体交差事業

これじゃ、ちっちゃくて見えないですね、すみません(要クリック!)。f:id:ToshUeno:20150805210859p:plain出典:JR南武線連続立体交差事業の概要 - 川崎市 [PDF]

この計画によると、「尻手駅と矢向駅の間から向河原駅の先まで高架化する」とある。かなり大がかりな工事である。

スケジュールは▼こちら。

f:id:ToshUeno:20150805214923p:plain

出典:JR南武線連続立体交差事業の概要 - 川崎市 [PDF]

これは「平成26年から2+3年後に事業着手」ってことなのかな?そうすると、平成31年ってことは、えーっと・・・(なんで平成で書くかなあ)2019年にようやく「用地取得」とかが始まるってことか・・・ずいぶん気の長い話だなあ・・・

トンネル(地下化)よりは高架化の方が工事が簡単だとは思うが、これだけ大がかりだとやはり完成まで10年以上はかかるだろうし、そもそも用地買収がそんなにスムーズにいくとも思えないので、そう考えるともう、私が生きている間にできるかどうかも怪しくなるレベルである。

▼鹿島田踏切。右側の建設中のビルは「パークタワー新川崎 (地上47階!)」。左側は「新川崎三井ビル・EAST / WEST」。f:id:ToshUeno:20150806065312j:plain自治体やJRがモタついている間に、街はどんどん増幅していく。

私がガキの頃の子供雑誌では、21世紀の今頃はとっくに「クルマや電車はチューブの中を移動」していたはずなのに。

道路や鉄道インフラってのは、なかなか進歩しないもんですなあ・・・