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70年目の夏、ヒロシマを想ってこの国を思う

今日は、戦後この国に生きている人間にとって特別な日であるので、やはりこの話題を取り上げたい。

70年前の夏、大量破壊兵器の”実験台”として、男や女、老人や中年や青年、そして幼い子供達など、一瞬にして虐殺された数え切れないほどの人々のことを想い、思いつくままあれこれを書く。f:id:ToshUeno:20070917113458j:plain
▲平和祈念資料館から平和記念公園を望む(撮影:2007年9月17日)

 

戦争をやめられなかった為政者達と昭和天皇

原爆を落としたアメリカだけが悪いわけではもちろんない。勝てる見込みがまったくないにも関わらず無謀な戦争を始め、「負け」が決まってからも降伏を受け入れなかったこの国の為政者達と、それらを”傍観”していた昭和天皇にも責任がある。ここでその詳細を論じる程の知識も能力も時間もないので、ある記事から一部を引用して、昭和天皇の責任についてのみ述べる。

 

鈴木貫太郎総理大臣は天皇陛下の前に進み、丁寧に礼をして、次のように申し上げました。
「ただ今お聞きの通り、意見がまとまりません。なにとぞ思召(お考え)をお聞かせ下さいませ」
陛下は、それに応えてお言葉を述べられました。
「それならば自分の意見を言おう。自分の意見はポツダム宣言を受け入れるという外務大臣の意見に同意である」 

昭和天皇の独白録、行幸、勤労奉仕、君が代、戦争を終結

これは1945年8月9日深夜の、御前会議でのひとコマである。この記事には「昭和天皇 ~戦争を終結させ国民を救った元首~」というタイトルが付いている(笑)。

は?救ってねえだろ? 東京大空襲を始めとする都市部での無差別爆撃、広島・長崎への原爆投下でさんざん一般庶民が殺された後、ようやく自分の「特権」を行使したに過ぎない。「おっせえよ」って話である。

稀代の名作漫画「はだしのゲン」の実写映画 (1976) がある。

ラストシーンで、焦土と化した広島で玉音放送を聞いたゲンの母親(左幸子)がつぶやく。

「天皇陛下様、戦争をやめさせる力がおありになるなら、どうしてももっと早くやめさせていただけなかったのでしょうか・・・」と。*1

この映画を見た当時は小学3年のガキだったので何のことかよくわからなかったが、数年後にふと思い出して「一般公開した映画で、あんな露骨な天皇批判をしたってスゲえな」と思ったものだ。後にも先にも、あれほどの天皇批判を映像メディアでは見たことがない。

自分たちの保身だけを考えていた軍の上層部、何もできず何も決められなかった無能な政治家たちに重大な責任があるのは当然だが、昭和天皇自身にも、もちろん責任の一端はあるのだ。

 

いまだ半数近いアメリカ人が原爆投下を正当化しているという事実

 

日本への2回の原爆投下は、正しい決定だったとした回答者は46%に上り、間違った決定だったとした回答者の29%を上回った。

アメリカは、広島と長崎に原爆を投下することによって、日本に侵攻する必要を回避したが、この原爆投下によって13万人から25万人が死亡した、と記事は語る。原爆の使用は、戦争終結を早めたと広く信じられている、としている。

「原爆投下正しかった」米国人46% 若年層は「間違い」が多数 70年経て変化する意識

「昔は原爆投下を正当化するアメリカ人は8割を超えていた」と聞いたことがあるので*2、その頃のことを思えば、5割を切ったというのは「アメリカの洗脳教育も効果が薄れてきた」とも思えるが、記事を読むと、若年層の3割がまだ「原爆投下は正しかった」と考えているらしい(※「間違っていた」が4割を超えているのは見出しのとおりで、そこに”希望”を見出すことはできる)。

確かに、日本の為政者達および昭和天皇の上記のとおりの体たらくを考えれば、「原爆が戦争終結を早めた」という考え方は間違ってはいないと思う。ただし、そのことと、無差別かつ無慈悲極まりない凶悪な破壊兵器を「実験的」あるいは「政治的」な理由で、挙げ句の果てには「興味本位*3」で使われ、戦争継続に決定権どころか発言権さえない数多くの一般庶民が殺されたこととは、 まったく別の問題である。

ナチス・ドイツのホロコースト」と人類史上ワーストワンを争うであろう”愚行”を正当化するメリケンさんたちは、理不尽に殺されていった子供達のボロボロの服にその子の姿が重なって見えた*4としても、「原爆を落としたお陰で何百万もの命が救われた」などという”詭弁”を弄することができるのだろうか。

 

日本はこれから何をすべきか

新安保法案は、どのみち「透明な存在」の参議院をスルーして、衆議院で可決されるだろう。アホなガキ議員のくだらない発言でメディアをにぎわせて、国民の目を逸らすのも「予定どおりのシナリオ」と言ったところか。

北朝鮮やISILなど、何をしでかすかわからない国家や組織が跋扈し、戦争の絶えない国や地域が世界中に溢れている昨今、アメリカだけでは”秩序”を守れない中、日本がその片棒を担ぐのは致し方ないことだと私は思う。この点については、日本政府だけが愚かなのではなく、争い事をやめることができない人間そのものが愚かなのである。

ただし、アメリカといっしょに”ドンパチ”やればいいと言っているのではない。アメリカを抑制あるいは牽制しながら、「調停役」を買って出ればいいのだ。そのとき、「原爆を落とされた」カードを使うのだ。

どこぞの国々の人々のように、70年も前の話を持ち出して、やれ「補償しろ」だのなんだのと訴えるのは浅ましすぎる。てめえのことしか考えていない、そんな低レベルな話ではない。なぜなら、原子爆弾は70年前の今日だけの話ではなく、「放射線」という目に見えないもので、70年後の今でも続く深刻な問題だからだ。

いつまで経っても、アメリカに言いなりになるばかり、ひれ伏してばかりでは情けなさ過ぎる。原爆の”代償”を、この国の人たちは平和に利用できるようにならなければならないのである。

・・・まあアメリカより先に、戦争で一儲けしたくてウズウズしている人達を何とかしないといけないのだろうけど。

 

*1:40年近く前に一度観ただけの映画なのでセリフはうろ覚えです

*2:上記リンクの「ニュースフィア」の記事にもそう書いてある

*3:「『原子爆弾ができてしまったから使ってみたかった』というのも原爆投下の動機のひとつだ」という記事を昔読んだ記憶がある

*4:少なくとも私には、原爆資料館で見たその服の向こう側に、それを着ていた子供の姿が見えた(気がした)