「1億人の昭和史」より占領期の写真を掲載する
8月6日から3日間は、気合いを入れて原爆に関する話題を書いたのだが・・・と、ここでグチったところで誰の共感を得られるわけでもないのでやめておこう。
結局、「広島・長崎に原爆が落とされた日付を正確に答えられる人が3割しかいない」という現代では、私ごときが戦争云々を書いたところでたいしたリアクションはないのだろう。そりゃもちろん私の力不足もあるだろうが、ちょっと虚しかった。
でも今日はひとつの“節目”の日であるので、やはり私はこのテの話題について書く次第である。
1億人の昭和史-日本占領 [1] 降伏・進駐・引揚
そうは言っても、リアクションの薄い中で長い文章を書くガッツも残っていないので、35年前に買ったムックから、そのちょうど倍の70年前の明日から始まった「戦後」の、さまざまな風景を捉えた興味深い写真をほんの少しだけ掲載する。古い書籍であるし、これらの写真は「作品」ではなく「歴史的資料」であるので、転載しても問題ないだろう (と、勝手に自己解釈)。
貴重な写真をとおして、この国の「戦後」がどのようにして始まったか、その一端を紹介する。
発行日:1980年6月25日。 発行所:毎日新聞社。
買った(買ってもらった)のは中学1年の頃だったろうか。この手の本に対しては、「教育」の一環として小遣いとは「別枠」で、おふくろさんが気前よく「出資」してくれた。
降伏文書調印
1945年9月2日、降伏文書調印に向かう「敗戦国」代表一行。これは戦艦ミズーリではなく、そこまで運ぶ駆逐艦の中だそうだ。
「足の不自由な重光葵全権のために米軍は特別な椅子を用意した」とのキャプションがある。
こちらは戦艦ミズーリ上の調印式場。これだけの米兵に囲まれて「降伏」する心境はいかばかりだったろう。
勝者と敗者
サイパン島にて。「無名戦士の墓に、誰かがポツダム宣言受諾を知らせる新聞を供えた」という写真。
このムックの中で、この写真が一番興味深かった。ま、どこか“ヤラセ”っぽく見えなくもないが。
玉音放送当時の皇居前広場。こういった風景は見飽きた感があるが・・・
このキャプションは大変興味深かった。
すすり泣きはやがて「海ゆかば」と「君が代」の斉唱にかわった
- 1億人の昭和史-日本占領 [1] 降伏・進駐・引揚
この期に及んでも「君が代」を歌ってしまうあたり、戦前戦中の“洗脳”教育はよほど徹底していたのだろう。
老舗ホテル
これはニューグランド・ホテル。当時も今も変わらない建物だなあ、という意味で興味深かった。マッカーサーも進駐当初はここに泊まったそうだ。
武器よさらば
「震電」。知ってる人は知ってるだろうが、こちら側が後方なのだ。
この伝説の戦闘機は試作機が2機作られただけなので、これはものすごく貴重な写真である。
こちらは「橘花」。日本初の純国産ジェット機。
「長門」。このムックでは「虜囚の戦艦・長門」という哀しい見出しがついている。
かの15年戦争を生き延びたこの美しい戦艦は、ビキニ環礁での核実験の「標的艦」となってその生涯を終えることになる。メリケンさんは、どこまでこの国を「実験台」として扱えば気が済むのだろう。
国破れて山河あり
とある出征兵士の帰還風景。敗戦直後のこの国では、至るところでこのような光景が見られたことだろう。
国破れて山河あり
万歳に見送られて幾年月
遠い戦場から出征兵士たちが町や村に帰ってきた
留守家族たちの安堵の瞬間
「ご苦労さま」のひと言が心にしみる- 1億人の昭和史-日本占領 [1] 降伏・進駐・引揚
まるで一編の詩のようなキャプション付きの、この写真も印象的だった。それにしても、手前のパナマ帽の男は何を思うのだろうか。