関川夏央氏の昭和に関する著作について(2)

前回のつづきで、関川夏央氏の昭和に関する著作を採り上げる。



 

関川夏央著「昭和が明るかった頃」

この本については、当ブログでも何度か書いている。 

簡単に言うと、「『吉永小百合』と『石原裕次郎』という戦後の大スターと、そのふたりが出演した数多の日活作品を通して、『戦後』という時代を紐とく」という内容である。

 

吉永小百合という映画女優は、一九六〇年代の日本社会にあってどんな物語をになったのか。そしてその後の三十年間、その物語は実効力を失いながらも、なぜ無視できない数の戦後世代のあいだに未整理の伝説として生き残ったのか、そういうことを私は考えようとしている。 

それが「戦後」という言葉でくくられる時代と、それにつづくいまだ名づけられない時代の内部をゆるやかに渦巻く思潮の源と、その流行の変遷を知る好個の手だてではないかと発想したからである。

- 関川夏央著「昭和が明るかった頃」-日活映画に底流した思想

諸君!」という月刊誌に、約6年間に渡って連載された記事をもとにした、文庫本だと450ページを超える割と厚めの本なのだが、筆者の分析をただダラダラ書くのではなくて、時折違った視点での引用を巧みに挟んだりなど、読者に考えるきっかけを与える工夫がなされていて、私のような読書嫌いでも飽きずに読み通すことができる。

昭和が明るかった頃 (文春文庫)

昭和が明るかった頃 (文春文庫)

 

 

サユリスト必読の書

もともと本書は、上述の月刊誌に「吉永小百合という『物語』」として連載されたものなので、吉永小百合という女優、あるいはその人物がどんな人生を歩んできたか、その描写が非常に細かく、詳しい。

引用部分に記された引用元を見るにつけ、「これだけの昔の書籍や雑誌をよく見つけてくるなあ、さすがプロだなあ」と、感心することしきりであった。

私もサユリストの端くれとして、彼女に注目してきた日本人のひとりではあるが、知らないことがたくさんあった・・・というか、恥ずかしながら私が知っていることはほとんどなかった。

サユリストを名乗るあなたにも、ぜひ読んでみて欲しい。私ほどではないだろうが、あなたが知らなかった小百合像が、きっとこの本に描かれていると思う。

映画の描写がスゴい

「第五章 現状打破への意志」には、石原裕次郎の代表作「憎いあンちくしょう*1」のストーリーを軸に、「日活的思想とは何か」が説かれている。

この章の映画の描写がまた、筆者による「情景の解説」と、「セリフの引用」が巧みで、とてもおもしろい。読書なんてしばらくしていなかった私個人の感想に過ぎないが、これほど映画の内容を表現豊かに書いた文章は初めて読んだ。

「昭和が明るかった頃」とは

「昭和が明るかった頃」とは、つまるところ、抑圧された暗黒の時代と、貧困と食糧難の時代を生き抜き、「明日はきっと、今日よりも良くなる」と素直に信じられた人達がこの国の多くを占めていた、「もはや戦後ではない」という言葉が流行語になった1956年から、東京オリンピックが開催された1964年までの、わずか数年間であった。つまりは、ほぼ「昭和30年代」と重なるのである。

その時代を、「映画」という当時庶民最大の娯楽、その中心を担っていた日活作品を通して見据えようとした本作は、とても「的を射ている」と思うし、大衆文化を描いているがゆえに、私のように政治経済関連の知識がプアな人間にも、わかりやすいのである。

 

今ならKindle版で読める

前回書いた「昭和三十年代演習」を読んで、関川夏央氏のおもしろさを知って本書を買ったわけだが、2013年10月はKindle版はまだなく、Amazonには既に中古の文庫本しか売っていなかった。リアルの書店をまわって、奇跡的に残っているかもしれない「紙の本」を探すガッツもなかったので、しかたなく「中古本」を買った。

「コンディション=良」だったはずのその中古品は、予想どおりのヤレ具合だった(泣)。その中古品は2004年11月発行の初版本なのだが、Amazonでさえ2年前も今も新品がないところを見ると、増刷はされていないのだろう。おもしろい本だと思うのだが・・・。 

なお、今回記事を書くに当たって改めて検索してみたら、なんとKindle版が発売されていたので、思わず買ってしまった。

文庫本の最後に収録されている増田悦佐氏による非常に深い解説が、Kindle版では省略されているのが残念だし、779円と「文庫本」にしてはちょっとお高め*2ではある。

が、戦後の大衆文化史に興味がある人は、きっと楽しく読めると思う。
ぜひ、買って読んでみてください。

(この項おわり)

 

*1:正しくは「ン」は小さい文字

*2:ちなみに「紙の文庫本」の定価は724円である