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運命に身を任せて生きる



 

記事よりおもしろいコメント

昨日のヨタ記事で、

いつもコメントをいただくid:wakumasaさんから大変興味深く、おもしろいコメントをいただいた。

 

私は幸せの運命は信じないけど不幸の運命は信じているのです。
「誰でも良かった」ヤツに刺されて亡くなる人 乗ってた飛行機が墜落して亡くなる人 今回の春日部の事故で亡くなる人 私はこれらは偶然という運命によって起きた事としか思えないのです。 ホントに不平等です。可哀想です。

運命には逆らえないのでしょうか?

占いなんて興味はないけど、自分のこれからの人生で事故に巻き込まれて命を落とす運命ならば一体いつなのか知りたいです。

吹石さんの「ブラトップ」のCMが好きでした。 お父さんは元プロ野球選手。 これもまた運命なのでしょう。
木型屋に生まれた私。こんな時間まで残業してるのも、また運命。何でもかんでも運命。

運命って何だろう・・・

- 2015-09-29 id:wakumasaさん

「幸せの運命は信じないが不幸の運命は信じる」ということで「不幸」について語りつつ、最後の方でオチをつけてくれている。

プロ野球選手でも木型屋でも、親がきちんと働いていれば「不幸」ではないだろうし、深夜残業に至っては、もはや運命でも何でもない・・・

思わず爆笑してしまった。wakumasaさん、どうもありがとうございました。

私は昨日のヨタ記事で「人間は不平等」と書いただけで「運命」について書いたわけではなかったのだが、なるほど、他人もうらやむ人生を送るのも、不幸な亡くなり方をするのも「運命」なのか・・・ということで、それについて考えてみた。

 

「人間、90%が運命やな」 松下幸之助 

松下幸之助の数々の言葉よりも、以下の引用記事の筆者である江口克彦氏の、この文章が心に残った。

 

偶然と偶然の間で人は生き、だからこそ、必然を求めようと努力する。その努力こそが、人生を充実したものにするということになるだろう。

人生の根底は、偶然が川の水のように流れているように思う。

- 松下幸之助は「人間90%は運命」と考えていた | 松下幸之助の珠玉の言葉 | 東洋経済オンライン 

江口氏によれば、「人生の根底に川のように流れる偶然=運命」というわけだが、であるなら、その川の上を生きる人間は、さながら水面下で必死に足ヒレを動かす、カルガモのようなものだろうか。
 

「忍ぶ 不忍 無縁坂」さだまさし 

 

運がいいとか悪いとか
人は時々口にするけど

そうゆうことって確かにあると
あなたをみててそう思う

- さだまさし「無縁坂」

偉大なソングライターであり詩人である、さだまさし氏による稀代の名曲「無縁坂」は、母の人生を「運命」になぞらえて歌った曲である。

上述の江口氏と同様、さだ氏の「めぐる暦は」「漂いながら過ぎてゆく」という歌詞表現も、「『運命』とは、あたかも川の流れのようである」ことを思わせる。 

この曲での「母」は、悲しみや苦しみを受け止め、耐え忍びながら、そのささやかな人生を生きている。

「ため息はついてもいいけど、後ろだけは見ちゃダメだ」、つまり、「失敗したときに少し落ち込むのは仕方ないが、後悔だけはするな」と、我が子に教えながら。

 

運命に身を任せて生きる

上述の東洋経済オンラインの記事で、松下幸之助は

 

ほとんどは運命によって定められているけれど、肝心なところは、ひょっとしたら、人間に任せられているのではないか。

- 松下幸之助は「人間90%は運命」と考えていた | 松下幸之助の珠玉の言葉 | 東洋経済オンライン

と説いている。人間を「船」に例えて、

「その船の行き着くところは、9割がた海波に委ねるしかないが、残りの1割は『舵』で決めることができる」

「『舵』とは、つまり『努力』である」

と言うわけだ。

この人の言葉はいちいち説得力があるが、「失敗したとしても、その人の努力が足りなかったとは言い切れない、それは運命でもある」と聞くと、ひどく救われたような気持ちになるのは、私自身が負け続けてきたからだろうか。

自分の意志に反して「会津」という雪深い土地に生を受け、過酷な自然の中で幼少期~少年期を過ごした私は、上京してからのさまざまな人生の場面場面で、自分の意志でさまざまな選択をしてきた。

決して努力を怠ったつもりはないが、結果として、不本意な現状を生きている。

どうしたって過去は変えられないから、これからも耐え難きを耐え、忍び難きを忍びながら、この「運命」に身を任せて生きていくしかないのである。
「無縁坂」の母のように。

そしてまたいつか、その「運命」という川に、抗うべき場面もあるだろう。

今度こそは、進むべき「方向」を間違えないようにしながら、泳ぎきろう。
涼しい顔をしながら、水面下で必死に足ヒレを動かすカルガモのように。