床屋に行ってきた
以上。
と、昨日に引き続いて「だからどうしたんだよ?」ってテーマだが、しがないおっさんの日常のささやかな営みを記録するのがこのブログの主旨でなので(と今決めたので)、今日もまた、どうでもいい話を何の衒いもなく淡淡と書くのである。
画像出典:【楽天市場】K-6963 サインポール [理容] :ビューティー・ストアー
床屋がキライ
私は床屋がキライである。
なぜキライかと言うと、小一時間、てるてる坊主の状態でじっとしていなければいけないのが苦痛だからである。
鏡の前に座らされるのも、目線をどこに置いていいのかわからない。じっと自分の顔を見るのも「このおっさん、ずっと自分の顔見てるわ、ナルシストかしら、きもっ」みたいに思われるのも心外なので避けたいし、かと言って、眼前にデカい鏡がドンと置いてあるので、他に見るモノがない。
しかたなく、目をつぶる。そうすると、眠くなる。
小学校低学年ぐらいまでの頃は、必ず眠ってしまうので、ハナから仰向けになって髪を切られていた記憶がある。今はさすがに眠ることはないが、ガキの頃の習性が頭にこびり付いているのか、やはり床屋に行くと必ず眠くなるのだ。
眠くなるのに眠れない。これもまた、床屋に行くときのストレスになる。
そんな感じなので、たかが床屋に行っただけなのに、今日も「ひと仕事終わった感」がハンパないのである。
「人に何かをやってもらう」のがスキ?
ウチのかみさんは3週間に1度ぐらいの頻度で美容院に行く。
”美”にこだわらない女はダメな女だと思うので、頻繁に美容院に行くのはすばらしいことだと思うのだが、そんなことよりも「美容院が好き」なのだと言う。理由を聞いてみたら、「人に何かをやってもらうのが気持ちいいから」という答えが返ってきた。
なるほど。
「髪を切られる」ことについて、そういう発想は50年近く生きてきて一度もしたことがなかった。
確かに、床屋に行くことによって”気持ち良く”なるのであれば行きたくもなるだろうが、「髪を切られる」のなんて気持ち良くもなんともない。もし・・・と、ここで「安直な企画モノの三文アダルトビデオ」を連想してしまったが、それ以上は公序良俗に反するのでやめておこう。
ひと言も話さない
床屋が美容院よりいいところは、「余計な会話を求めてこない」という点である。こんな私でも、20代から30代前半頃までは、カッコつけて主に美容院に行っており、美容院ってところはどこに行っても大概いろいろと話しかけられるので、話したくもない内容にいちいち答えるのが面倒でしかたなかった。
いま通っている近所の床屋の女性(推定20代後半)は、若い女性のわりに一向に話しかけてこないので、面倒がなくて良い。
ただ、その床屋の女性が、他の若い男性客とは機関銃のように話す様子を何度か目にしたことがあって、それはちょっと寂しかった。「オレとはぜんぜん話さないくせに・・・」と。
人間とは、ワガママなものである。
髪結いの亭主
これが常識なのかどうか判断できないが、「髪結いの亭主」という表現には「かみさんの稼ぎでメシを食う」という、”ヒモ”的な意味合いがある。
中学3年のときに通っていた英語塾の講師のおっさんが、この言葉を時々クチにしていて、「何を言ってるんだこのおっさんは?」と当時は何のことか意味がわからなかったが、要は、おっさんは働きたくなかったのだろう。
たまに酔っ払って(!)授業に出てきて、挙げ句の果てに女子生徒に絡むという、とんでもなくファンキーなおっさんだったが、あれから30有余年、おっさんは元気だろうか。それとも、とうに死んだだろうか。閑話休題。
私も、「髪結いの亭主」になりたかった。
「金銭的にラクになる」ってことより、「キライな床屋に行かなくて済む」からである。
残念ながら、いままでそういう出会いはなかった。かみさんも、いまから理容師や美容師になる気は無いようだ(そりゃそうだ)。
それにしても、「カミユイノテイシュ」・・・とてもいい響きだと思う。
こんな映画▲もあったなあ・・・