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電車通学する子供を見て思う



 

平日の朝、中央線のホームで

私は毎朝、東京駅からJR中央線の快速電車に乗る。

ここのところ、中央線のホームで、毎朝のように女性と子供を見かける。
おそらくは、母親とその子供なのだろう。まじまじと観察しているわけではなく、ぱっと見の印象に過ぎないが、母親は30代後半から40代前半ぐらい、子供は小学1、2年生ぐらいだろうか。

母親は、電車には乗らない。ホームで、心配そうな眼差しをたたえながら、わが子に手を振る。
子供は、足の届かない座席にひとり座りながら、その幼い容姿には似つかわしくないほどに小さく、母親に手を振る。

そんなほのぼのとした、かつどこか寂しい光景を、毎朝目にするのだ。

私は東京駅から二駅目の御茶ノ水駅で降りるので、その子供がどこまで行くのかは知らないが、どこか私立の、教育環境が整った(とされる)小学校に通っているのだろう。

 

昭和期と現代の田舎町では

私は「会津坂下町」という東北の小さな田舎町で、昭和49年から6年間、小学校時代を過ごしたが、当時その町では、小学生はみな「集団登校」であった。
小学1年生から6年生まで、地域毎に子供たちが集まって「班」を編成し、「先頭が6年生・ケツは5年生・1年生は一番安全な真ん中」みたいな陣形を組んで歩くのである。

小学6年生になると、1年生の面倒を見なければならない。いま思えば、小学6年生なんてガキもクソガキなのだが、当時の私には、1年生はひどく幼く見えて「愛おしい」存在だった。

金物屋のナオトシ君は元気だろうか。私が6年生のときに彼は1年生ということは、(当然のことながら)5歳しか違わないわけで、彼ももうじゅうぶん”オッサン”なんだろうけど。閑話休題。

当時、どのぐらいの時間をかけて小学校に通っていたのか覚えていないが(そもそも昭和の子供は時計なんてものは持ってなかった)、いま実家から小学校まで歩けば、5分ぐらいだろうか。一番遠い地域から通う子供でも、徒歩15分程度の距離だったように思う。

昭和40~50年代当時の田舎町では、「電車で小学校に通う」なんてことは、想像さえできなかった。

現代の田舎町では小学校が統廃合され、会津坂下町でも、オトナでもおいそれとは歩けないような距離を通わなければいけないようだから *1、当然スクールバスか何かはあるのだろう。

徒歩圏内の子供たちは、いまでも「集団登校」なのだろうか。ちょっと、実家に行って観察してみたくなった。

 

やっぱり教育は大事

危険な環境で仕事をした結果、重篤な病に冒されて一生を棒に振る。
自分が望む職業に就けず、望まない職場で不本意な評価を受け、過大なストレスを抱えながら生きる。

冒頭の母親は、わが子にそんな思いをさせないよう、多少無理をしてでも私立に通わせているのだろう(本当の金持ちだったら、電車なんかじゃなくてショーファードリブンのクルマで通わせると思うので)。

才能の無いヤツは大学へ行け!」とは、稀代の伝道師・忌野清志郎さんの名言だが、大学まで行って職業選択の幅を広げれば、たとえ才能がなくても、そこそこの人生は送ることができる。

やっぱり、教育は大事なのだ。

 

「愛おしい存在」として温かく子供を見守る

この記事▼を読んで驚いたのだが、

電車通学する小さな子供を、「ジャマモノ」として扱う大人がいるそうだ。怒鳴られたり、ランドセルにタバコの吸い殻を入れられることもあるという。異常である。

電車の中で排除すべき大人なんて、ヤマほどいるというのに(キリがないのでここでは書かない)。

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画像出典:『6歳児が1人で電車通学!?』 海外が「尋常でない独立性」と驚く理由とは? 

私は、小学6年生の頃、集団登校で1年生を見守っていたときのように、「愛おしい存在」として、電車通学する小さな子供を見ている。

どうか、異常な大人達によって嫌な思いをしたり、トラブルなどに巻き込まれたりすることのないよう、ずっと安全に通い続けて欲しいものである。

 

*1:会津坂下町出身者しかわからないだろうが、「窪倉」や「片門」なんて地域から小学校までは、8km程距離がある。

会津坂下町立小中学校の通学区域に関する規則