ツーリング:磐梯吾妻スカイライン(2)

2015年11月6日に日帰りで行った、磐梯吾妻スカイラインへのツーリングのつづき。

浄土平を後にしてから、 磐梯吾妻スカイラインの「終点」までの行程を書く。



 

道路最高点と、その付近の絶景

道路最高点=1,622m

クルマの往来が、ほとんどというかまったくなかったので、多少中央寄りに停めて記念撮影。やはり何でも「一番高いところ」というのは気分がいいもんだ。
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人生においては、「一番高いところ」になど立ったことがないもんでよ(哀)

ちなみに、一旦通過してから「やっぱ写真撮ろう」と思ってUターンしたので、進行方向が浄土平方面。

遙かなる山の呼び声

そして、最高点付近のどこかから、近くの山々(吾妻連峰?)を眺める。
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風の音さえしない完全な静寂の中で、この見事な眺望を得て、また「ああ、今日ここに来て本当に良かったなあ」と思えたのだった。
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なお、例によってコンデジのGPS機能がイカレていたため、スマホのいい加減なGPS機能で代用したのだが、案の定とんでもない場所(道路から大きく外れた山の中)が記録されていたので、正確な場所はわからない。

 

展望ポイントいろいろ

湖見峠

現地では「みとうげ」と読んでいたのだが、この記事を書くに当たってちゃんと確認したら「うみみとうげ」だった。

逆光の向こう側に、会津人の心のふるさと「磐梯山」がぼんやり浮かんでいて、言葉を失うほど美しかった・・・
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・・・が、コンデジによる写真には、やっぱり写ってなかった。もっといいカメラが欲しい。

ちなみに、「裏磐梯周辺の湖を一望できる」ってのがこのポイントのウリだったが、言うほど湖は見えなかった。湖への「光の射し方」で、見え方が変わるのだろうか。

天風境

このポイントからの眺めは別にどうってことなかったが、この、秋の終わりを独りで(1本で)物語るような枯れ木の風情が、寂しげで堪らなかった。
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案内板やガードレールや舗装された道路がなければ、すぐにでも「木枯し紋次郎」のロケ地として使えるだろう・・・なんて言われても、ピンと来る人はあんまりいないか。

この写真の撮影時刻は、まだ15時45分。でも、だいぶ陽が傾いてきた。f:id:ToshUeno:20151106154515j:plain

国見台

写真をぱっと見る限りでは、「湖見峠」と風景がたいして違わないのだが、
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陽が傾いたせいか、今度は、ちゃんと中央に磐梯山が写っていた。
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どうですか、この美しさは。

いや、コンデジ(Nikon COOLPIX S9500)で撮った方は、やっぱりちゃんと写っていなかったので、スマホ(LG isai FL LGL24)で撮ったお陰かもしれない。ピントがなかなか合わなかったりで、いまいち使えない「isai FL」のカメラだが、「遠景や逆光には強い」ってことが証明された。すばらしい。

それなのに、湖見峠ではスマホで撮ってなかった。オレのバカ。

ちなみに案内板には、かの井上靖が磐梯山に落ちる夕陽をここから眺めた、とあった。

私が生まれ育った会津坂下町からは、ここよりもだいぶ大きく磐梯山が見えるが、その名峰は町の東側に位置しているため、当然のことながらそこに夕陽が落ちることはない。つまり、磐梯山に落ちる夕陽というものを、私は目にしたことがないのだ。

そんなことを考えていたら、しばらくここに留まって夕陽を見たくもなったが、まだまだ先があるので断念した。
 

廃墟でお別れ

いい感じの廃墟が夕陽に照らされて、時間の流れの残酷さを、より一層際立たせていた。
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「横向温泉ロッジ?」とかろうじて読めるのだが、その名前で検索すると、心霊スポットだのなんだのと、くだらない情報ばかりヒットする。

「霊」なんてものは存在しない。人は死んだら、ただ「物」になる。もう少し叙情的に表現すれば、「無」になる。ただそれだけのことなのに、稲川淳二的な話の、いったい何がおもしろいのだろう。さっぱりわからん。

この建物が、いつ建てられたのか。
今は周囲に何もないが、昔ははたして賑わっていたのか。
いったい、いつ潰れたのか。
私がガキの頃、初めて浄土平に来た時(1973年頃)は、ここにあったのか。

そういうことが知りたいのに、Webの大海はくだらないゴミ情報で埋め尽くされていて、「歴史の真実」はついぞ得られなかった。Web検索だけでは、得られない情報もまだまだ多い。

えーっっと・・・何の話だっけ?

そうそう、5年前に来たときには、磐梯吾妻スカイラインはまだ有料で、料金所があって「終点」を明確に認識できたのだが、
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(▲撮影:2010年10月8日)

それが跡形もなく無くなっていて、どこが終点なのかよくわからなかった。
撮影してきた写真を見ると、この廃墟が、磐梯吾妻スカイラインでの最後の写真であった。

よって、「横向温泉ロッジ」の廃墟を持って、この項は終わりとしよう。

(この項おわり)