Huluで映画「張込み (1958)」を観た
ずっと「観たい」と思っていた映画が珍しくHuluで公開されていたので、早速観てみた。
それにしても、HuluにしろNetflixにしろ、あれだけ映像作品が登録されているのに、観たい作品がほとんどないのはどういうことだろう。
なんだかなあ・・・(©阿藤快)
昭和三十年代の長旅
この大昔の日本映画「張込み」は、
関川夏央氏の名著「昭和三十年代演習」で知った。
この本では「ALWAYS 三丁目の夕日」の“ウソ”を暴き、その対比として、時代の真実を語る“実例”として、登場するのだ。
「ALWAYS~」で六子(堀北真希)は大晦日の当日になって、世話になっている鈴木夫妻(堤真一・薬師丸ひろ子)から切符をもらい電車に飛び乗るのだが、あろうことか、その電車(たぶん東北本線)はガラガラで、六子は4人掛けのボックス席にひとり悠々と座るのだ。
私が高校を出て上京する頃(約30年前)には東北新幹線が既に開業していたが、天下の東北新幹線でさえ、年末年始の自由席に座るのは至難の業だった。
これが、昭和30年代のリアルである。昭和30年代は、通路を「座席化」するのがデフォルトだったようだ。移動する人の数に対して、列車の本数が不足していたのだろう。
刑事のくせに、そんなところでタバコ吸うなよ・・・
というのは現代の感覚であって、「無秩序の時代・昭和」においては、いつでもどこでも、どんなに空間的に余裕がなくても、タバコは吸っていいものだったのだ。
鉄ちゃん垂涎
映画の冒頭、ふたりの刑事が横浜から佐賀まで移動するシーンでは、客車の中の様子とシンクロして、蒸気機関車の走行風景が映し出される。
たとえモノクロでも、やっぱり海はきれいで、その際(きわ)を黒煙を吐きながら走るSLの姿は、まるで獰猛な獣のようだ。
鉄道ファンなら、この短いシーンだけでも観る価値があるだろう。
往年の名役者たち
主役のお二人は名前と顔が一致しなかったのだが、
- 大木実(柚木刑事)
- 宮口精二(下岡刑事)
どうでしょうか、これらの面々は。
- 高峰秀子(横川さだ子)
- 田村高廣(殺人犯・石井)
- 菅井きん(下岡の妻・満子)
- 浦辺粂子(旅館の女主人)
- 北林谷栄(信子の母)
- 芦田伸介(捜査第一課長)
昭和の映画やテレビドラマを彩った、名男優・名女優の数々である。
昭和33年の映画なので当たり前ではあるが、昭和40年代前半生まれの私がこの方たちに抱くイメージからすると、みなさん随分お若い。特に、菅井きんは若いビジュアルのうちからやっぱり「菅井きん」で、けっこう笑える(失礼)。
とうてい殺人犯には見えない田村高廣の美青年っぷりも、数多の映画で主役を張っている割に決して美人ではない高峰秀子のアンニュイ(死語)な雰囲気も、必見である。
退屈の中でも光るシーン
映画のストーリーは、
- 逃亡犯・石井(田村高廣)が、逢いに来るであろう昔の恋人・さだ子(高峰秀子)の自宅を、ふたりの刑事(宮口精二・大木実)が張り込む
- さだ子は、決して愛してはいない銀行員の後妻として鬱屈した日常を送りながら、心の中では昔の恋人・石井を想い続け、やがてある日、感情の赴くままに、日常を捨て去って石井の元に走る
という話。
途中、柚木刑事(大木実)の回想シーンが随所に織り込まれる。現代なら、回想シーンはそれとわかるようにキャプションを入れたり色調を変えたりすると思うが、キャプションは一切無く、いかんせんモノクロなので、ぼおっと観ていると何が何だかわからなくなる。
「昔の人は想像力が豊かだったんだなあ」と感心するのは私だけだろうか。
高峰秀子演じる「さだ子」の、内面で燃えたぎる恋愛の熱情を感じられれば、いろいろと見所もあるが、それにはかなりの感情移入が必要となる。
私にはそれができず、ただ退屈な映画にしか思えなかったが、そこは日本映画史に燦然と輝く名作「砂の器」を作った「監督:野村芳太郎+脚本:橋本忍」の名コンビである。「おっ」と思わせるシーンが、無いわけでは無い。
例えば、柚木刑事が乗ったタクシーが、さだ子の乗った列車を追いかけるシーンで、田園の中を疾走するタクシーを俯瞰で撮った映像。田園が描く不規則な幾何学模様が、とても美しい。
わずかだが、昭和30年代前半の都内の風景を映したシーンもあって、その街中の「何にも無さ」に驚かされる。
やはりこういう古い映画は、どんなに退屈でも、そこに当時の風景が捉えられていれば、何某かの観る価値はあると思うのだ。