読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

レコードプレーヤーの思い出

昔話 ガジェット


 

十数年ぶりの電源投入

昨日、菊池桃子の隠れた名盤「OCEAN SIDE」のことを書いていて、拙宅でただの「オブジェ」と化しているレコードプレーヤーに十数年ぶりに電源を入れた。

このレコードプレーヤー(SONY PS-FL77)は、私が17歳の時に生まれて初めてアルバイトをして買ったものである。f:id:ToshUeno:20151122014139j:plain「グゴグガグゴオォォーーン」と、怪しげに動くフロントローディングの様子を見ていろいろな記憶がよみがえったので、忘れないうちに書いておく。

 

ホップ畑でのアルバイト

高校2年、1984年の夏休み、実家のある会津坂下町で「ホップ選別」のアルバイトをした。

おふくろさんに「レコードプレーヤーが欲しいからアルバイトがしたい」と言ったら、人づてにそのアルバイトを探してきてくれたのだ。クソ田舎ゆえ、高校生を雇ってくれるアルバイト先は限られていた。

町外れにある見明山(みみょうやま)に、キリンビールと専属契約したホップ畑があった(※現在でもあるかどうかは不明)。

高さ3メートルにもなるホップ畑から、同じアルバイトとして雇われている地元の中学生たちが、ハシゴに登ってその実を摘んでくる。f:id:ToshUeno:20070817160615j:plain
画像出典:ホップ畑: 秋田にあるべこんなとこ 

ここで少し外れて秋田県大館市のこと

ちなみに上の画像のホップ畑は、出典元のとおり秋田県のもの。
写真サイズも大きく、畑の様子が私の記憶に残るイメージに一番近かったので勝手に使わせてもらった。写真を使うに当たり、

 

秋田県を紹介していただく目的に限り、当サイトに掲載している写真の使用を許可しております。

とあったので、撮影場所である秋田県大館市のことも書いておく。

ホップは秋田県の特産品の一つであり、特に大館市は栽培が盛んな地域だそうだ。大館市内のホップは「大手ビールメーカーが全量を買い取る契約をしている」とのことなので、私の郷里である会津坂下町の「ライバル」になるわけだ。

その大館市には、一度だけ泊まったことがある。 

大館市に宿泊したこの▲記事の前日は、今までで最も「ガス欠の恐怖」に怯えた時だったので、よく覚えている。
這這の体で辿り着いたGSでも、宿泊先の「ホテル ルートイン 大館駅南」でも、上の過去記事に書いた農業用倉庫でも、そこで出会った人達はみな親切だった。 

秋田県は、人情味あふれたとてもいいところです!・・・閑話休題。 

 

ふたたび、ホップ畑でのアルバイトの話 

私は高校生でいくらか身体が大きかったので、畑でホップを摘むのではなく、別の仕事を命じられた。

畑から集められてきた大量のホップを、f:id:ToshUeno:20110822105841j:plain
画像出典:遠野のホップ

「農用フォーク」で選別用の機械にせっせと運び、放り込むのである。
f:id:ToshUeno:20081217002309j:plain
画像出典:木柄4本爪フォーク 千吉 SGF−1 フォーク

その後、地元のおばちゃんたちが毬花(きゅうか)を選別する。f:id:ToshUeno:20110822110126j:plain
画像出典:遠野のホップ

「世の中にこれ以上はない」という単純かつ重労働を、朝の6時(!)から夕方の4時まで、昼休憩の1時間を除いた9時間、ひたすら続けた。
17歳という若い肉体があってこそできたのであって、もし今やれば、15分と持たないだろう。

それだけの重労働をこなしても、日給はわずか3,000円(!)であった。時給に換算すると、「3,000÷9=333.3333...」円・・・。

高校生のアルバイトは私だけで、その重労働を担ったのも私だけだったので、毎日ひとり孤独に作業していたのだが、アルバイト最後の日、帰る間際におっちゃんやおばちゃんたちが皆口々に「来年もまた来いよ」と言ってくれたのがうれしかった。

結局、次の年は「受験」を理由に行くことはなかった。今思えば、どうせ勉強なんてしないのだから行けば良かったのだが、そういう「中途半端さ」が、後々の人生の「敗因」のひとつなのだろう。

 

あこがれのレコードプレーヤーには届かない

ホップ畑でアルバイトをしたのは、夏休みの8日間であった。
日給3,000円×8=24,000円。

対して、私が狙っていた「PS-FL77」は定価49,800円。
Sony PS-FL77 - YouTube

発売から1年経っていたせいか若干安くなっていて、会津若松市内にあった「大竹電気」で、当時45,000円程だったと記憶している。

私は 「フルオートプレーヤー」であるPS-FL77が欲しかったのであって、コンベンショナルな、手でトーンアームを動かすプレーヤーには興味がなかった。
現代の感覚だと「フルオート」と言われてもピンと来ないだろうが、レコード盤をターンテーブルに置きさえすれば、あとはボタンひとつで再生してくれるレコードプレーヤーには、圧倒的な未来感があったからだ。

こういう▼シンプルなヤツなら、当時2万円ちょっとで買えただろう。f:id:ToshUeno:20151123134239j:plain
画像出典:SONY レコードプレイヤーPS-150の仕様

よってバイト代を手にしたときは、
「アレ(PS-FL77)が買えねえなら、ファミコン買うべ」
と、発売されて間もないファミコン初代機を買おうとした。

当時はまだ「スーパーマリオブラザーズ」が発売される前でそれほどブームだったわけではないが、「ゲームセンターと同じゲームが家で楽しめる」というのは非常に画期的で、欲しい物のひとつだった。値段も15,000円程だったので、バイト代だけでじゅうぶん買えた。

すると、おふくろさんが
「ゲームなんか買うなら、足んねえ金出してやっからプレーヤー買いっせ! *1

と、PS-FL77を買うための残り2万円ちょっとを出してくれると言う。

母親としては、「ただでさえ勉強をしない息子がゲーム機なんか手にしたら、一層勉強しなくなる」と危惧したのだろう。そんな母親の危惧のお陰で、無事PS-FL77を手にすることができたのである。

ま、ファミコンがあろうがなかろうが、結局勉強はしなかったんだけど(笑)。

 

捨てられないレコードプレーヤー

ようやく手にしたPS-FL77だが、その後、プレーヤーの価格が一気に下がったために世の中はあっという間にCDの時代になり、私自身も、上京して2年目の20歳の時、36回払い(笑)でCDプレーヤー *2 を含むシステムコンポを手にして、レコードはまったく聴かなくなってしまった。

実働、わずか3年。

今でももちろん使わないどころか、冒頭に書いたとおり、電源を入れたのは十数年ぶり、おそらく21世紀になってから初めてだろう。

それでも、このレコードプレーヤーだけはどうしても捨てられない。20歳の時に買ったシステムコンポは、とうの昔に捨ててしまったのに。

あの17歳の夏の、過酷なアルバイトの思い出と、おふくろさんの息子を想う気持ち、そしてそれを結局は裏切ってしまったという後悔の念・・・いろいろな想いが、この平べったい四角いハコに詰まっているからだ。

にほんブログ村 オヤジ日記ブログ アラフィフオヤジへ

 

 

*1:会津弁で「買いなさい」

*2:CDプレーヤーは1982年に既に発売されていたが、高価格が災いして数年は普及しなかった