「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」を観て思ったこと
私と「スター・ウォーズ」(ネタバレはありません)
自慢でもなんでもないが、私は齢48にして「スター・ウォーズ」シリーズを観るのは今回が初めてである。
最初の作品「スター・ウォーズ (エピソード4/新たなる希望)」がこの国で公開されたのは、私が小学5年生のときであった。
会津の片田舎の小学生だったとは言え、「スター・ウォーズ」なる話題作が公開されたことはもちろん知っていたし、その後3年おきに2回制作された続編が、中学・高校の頃愛読していた角川書店の雑誌「バラエティ」で特集された記事も目にしていた。
ではなぜ当時観なかったかというと、「1970~80年代当時は『スター・ウォーズ』はワリとオトナが観る映画だった」という記憶がある。
ちょうどその頃、1978年に「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が公開され、私も含めた当時の小学生はみな「宇宙戦艦ヤマト」に夢中であった。
- 宇宙戦艦ヤマト > スター・ウォーズ
- アニメ > 特撮
だったのである。
1999年に公開された「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」も随分話題になったと記憶しているが、結局映画館にも行かなかったし、ビデオもレンタルしなかった。
なぜなら私は、生まれながらの、真性の「アマノジャク」だからである。話題作になればなるほど、メディアで騒がれれば騒がれるほど、観る気が失せるのだ。
今回、「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」を観たのは、「スター・ウォーズに興味を持ったから」でもなんでもなく、「MX4Dで公開されていたから」である。
「TOHOシネマズ 川崎」に初めて行って「MediaMation MX4D」なるものがあるということを知り、それを体験したいと思った時機に公開されていたのがたまたま「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」だっただけで、それが「マッドマックス」や「ジュラシック・ワールド」だったら、そちらを観ていただろう。MX4Dを体験したかっただけで、作品は二の次だったのだ。
そんなわけで、特に渇望も期待も興味もないまま観た「はじめてのスター・ウォーズ」。
本国アメリカにもこの国にも「スター・ウォーズ」シリーズの狂信的なファンは多いようだが、「いったいこのシリーズの何がそんなに人を惹きつけるのか」
今回一見しただけでその理由の一端は理解できたが、個人的かつ全体的な印象は「受け入れがたい映画である」というものであった。
「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」で良かったところ
圧倒的な映像表現
まずもって、戦闘シーンなどの映像表現は圧巻かつ圧倒的かつ感動的でさえあった。後述するこの映画の「骨子」はともかく、全編を通して繰り広げられる壮大な映像は、観ていて本当に飽きなかった。「上映時間=136分」は、アッという間だった。
おそらく日本映画のレベルでは、100世紀かかっても追いつけないだろう。
思うに、映画に対する「真摯さ」がメリケンさんと日本人とでは違うのだろう。この国では、未だに「エンターテインメントとしての映画」が育っていないのだと思う。
1960年代の映画黄金期にテレビが普及し始め、観る側の“目”がそちらに向いてしまうと、作る側のリソースも全部そちらに行ってしまう。
あの時代に、テレビに対抗して映画カルチャーをもっと育てようという気概のある人がもっといれば(もちろん、石原裕次郎のようにそうしようとした人はいたのだろうが、いかんせん数が少なすぎた)、この国の映画ももっとマシなものになっていただろう。
「右へ倣え」の国民性がなければ、この国でも「スター・ウォーズ的な」映画が生まれていたかもしれない。
明確で一貫したキャラクター設定とプロット
上述のとおり、私は過去に「スター・ウォーズ」シリーズを観たことがなかったが、「C-3PO」や「R2-D2」などのキャラクターは知っていた。
ハリソン・フォードが70~80年代のシリーズ(エピソード4~6)に出演していたことも知っていたが、「ハン・ソロ」というキャラクター名は、今回初めて知った。
逆に「レイア姫」というキャラクターはなぜか知っていて、雑誌等で見た70~80年代当時の容姿もうっすらと記憶していたが、その女優がキャリー・フィッシャーという名前であることは今回初めて知ったし、最近の容姿はまったく知らなかったので、(うわ、この人ずいぶんババアになったなぁ)と驚いた。
これらの有名なキャラクターやキャストを、1作目から40年近く経とうとしているのにきちんと一貫性を持って(マニアから言わせれば矛盾点はいくつかあるらしいが)ストーリーに登場させる辺りに、このシリーズに対する作り手の真摯な姿勢を感じるのである。
主演=デイジー・リドリー
とりたてて美人なわけでも恐ろしくスタイルがいいわけでもなく、女優としてのキャリアもほとんどないのに、こんな超大作にメイン・キャストとして抜擢されただけあって、芝居に躍動感があり身のこなしも颯爽としていて、非常に好感の持てる女優さんだった。
敵の親玉的な大男とライトセーバーで互角に渡り合ったりして、(ちょっと能力を与えすぎなんじゃねえの?)とも思ったが、まあその辺が“フォース”とやらなんだろう(よく知らないけど)。
「闘うヒロイン」の役なので終始険しい表情を見せていたが、一度だけニッコリ微笑むシーンがあって、その笑顔がとても魅力的だった。こんな役じゃなくてもっとフツーの女性を演じて欲しいところだが、以降の三部作は「レイ三部作」と名付けられているので、このシリーズに出演し続けることは既に決まっているのだろう。
キャリー・フィッシャーのようにプレッシャーに押し潰されてドラッグに手を出したりしないよう、「レイ」役のイメージが染みついてしまわないよう、「スター・ウォーズ」以外にもいろんな映画に出演して欲しいものである。
「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」のダメなところ
やはりメリケンさんは戦争がしたくてしかたないのか
冒頭のシーンで、ファーストオーダー側の兵士に「(捕らえた)村人達はどうしますか」と聞かれた上官が「全員殺してしまえ」と答えるシーンがあった。さすがに村人が殺されるシーンは、“音”だけで表現されていたが。
このシーンに象徴されるように、終始徹底して
- レジスタンス=善
- ファーストオーダー=悪
として描かれ、後半はファーストオーダー側がガンガンやられていくのに対して、レジスタンス側の戦闘機には全く“タマ”が当たらない。
互いに傷つけあうのが戦争だと思うのだが、ファーストオーダー側の視点で悲しみが語られることはない。(ファーストオーダーの殺された兵士にも、家族がいるだろうに)と思いながら、私は観ていた。
戦争に「善」も「悪」もない。「正義」も「不義」もない。
「死」と、「破壊」と、「絶望」があるだけだ。
そんなことはもう世界中の人間がわかっていて、わかっているはずなのに争い事が絶えない、じゃあどうすれば平和を手にできるのだろう、と思い悩んでいるこの時機に、大昔と変わらない「勧善懲悪」で戦争を描いている。
「現実の戦争」なんて考えずにシンプルに「物語」を楽しめばいいのだろうが、こういう一方の視点だけで描かれた「絵空事の戦争」を何の疑問もなく喜んで受け入れるというのは、もうそろそろヤメた方がいいのではないのだろうか。
そういう“おキラク”な感覚が、世界中で次々と起こり続ける争い事の遠因である・・・とまでは言わないけれど。
スター・ウォーズ/フォースの覚醒 オリジナル・サウンドトラック(初回スリーブ仕様)
- アーティスト: John Williams
- 出版社/メーカー: WALT DISNEY RECORDS
- 発売日: 2015/12/18
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