今こそあえて言おう、「清原和博が好きだ」と



 

清原世代

「やっぱり」というか「とうとう」というか、清原和博がシャブ所持の容疑で逮捕された。じきに使用の容疑でも再逮捕されるだろう。

www.sankei.com

私は彼とタメ年であり、ガキの頃からずっと彼の動向に注目してきたひとりとして、今回の逮捕は甚だ残念でならなかった。哀しかった。切なかった。

私たちの時代にはそんな呼称はなかったが、昭和55年生まれの「松坂世代」に倣って表現すれば、昭和42年生まれは紛れもなく「清原世代」であった。彼はガキの頃から、それほどのスーパースターだったのである。

野球選手としての実績や実力で言えば、(世代的に近い人達の中から挙げれば)松井秀喜イチロー選手の方が上だろうが、こと「スター性」に限って言えば、清原和博の方が圧倒的に上であることは、多くの野球ファンが認めるところだろう。

 

出ました、日本の「ムラ社会」的報道 

いざ逮捕されたら「待ってましたぁ!」とばかりに、出てくるわ出てくるわ、「以前から行動がおかしかった」的報道の数々(笑)。やれ「銀座のクラブで、トイレから出てきたら明らかに様子がおかしかった」だの「トイレでコカインやってたんじゃないか」だの、昔どこかで聞いたことあるような話が(笑笑)。

だったら、週刊文春みたいに、逮捕される前から報道しろっつの。

その辺りが、ここのところ硬軟織り交ぜて数々のスクープ記事を飛ばしまくり、この国を大混乱に陥れている「ザ・キング・オブ・マスメディア」の週刊文春と(※決してホメているわけではありません)、その他大勢のコッパ報道機関の違いである。 

 

尾崎豊の件

尾崎豊が亡くなった1992年4月、彼の死亡の報道を受けて、当時勤めていた会社の上司達が喜々として彼の悪口を言い出した。やれ「シャブ中のバカが」とか、「ろくでもねえ死に方しやがって」だの、言いたい放題であった。

私は当時若干24歳、今以上に(以下に?)ペーペーだったので、そんな連中に反論はできなかったが、内心は「こいつらホント何もわかってねえなあ」と思っていた。

尾崎豊は、そんなふうに彼を嘲笑ったアホどもの何千億倍も才能を持って生まれ、その才能を余すことなく世間に知らしめた、稀代の天才アーティストであった。ただ、その才能に見合った精神力に少し欠けていただけだ。

あまりにもできすぎた話なので、ウソかホントかはわからないが、彼の最期の言葉は「僕、本当に勝てるかな」だったと伝え聞く。その言葉に範をとって表現すれば、彼は「自分の才能に負けた」のである。

自分のとてつもない才能が生み出すカネや、その才能に群がってくる人間たちや、その才能によって表情を変える社会に、彼自身の精神力が耐えられなかったのだ。

「高校時代、『甲子園のスター』に祭り上げられ、『岸和田の清原』から『全国区の清原』になって戸惑いを感じた」彼自身によるそんな心情の吐露を聞いて、晩年の尾崎豊を連想した。
清原もまた、自分の才能に勝てなかったのである。

「野球ができなくなって戦うものがなくなった」なんて言い訳を聞くと、(なに甘ったれたこと言ってんだよ)とは思うが、私ごときの凡人にはわからない、天才ゆえの、スーパースターゆえの苦悩があったのだろう。 

 

ドラッグストア・カウボーイ

薬物中毒と聞くと、必ず思い出す映画がある。
1989年のアメリカ映画「ドラッグストア・カウボーイ」だ。

「ドラッグストアや医療施設で盗みをはたらき続けてきたドラッグ中毒の青年が、あることをきっかけに更生を考えるが、その結果・・・」という筋書きの映画である。この映画のマット・ディロンは、何度観ても本当にホレボレする。

更生施設に入るときの事前聴取で、マット・ディロン扮するボブが施設の職員に薬物中毒者弱さを語るシーンがある。 

 

まず誰ひとりとしてヤク中にヤクをやめろと説得などできない

説得したところでヤク中は何かにすがる

ヤクでなくても、酒かシンナーか、頭に鉛玉をぶち込むか、何かが要る

「靴紐を結ぶ」とかいう日々の苦痛から救ってくれるものがだ

- Drugstore Cowboy (1989)

人間とは弱い生き物だ。誰もが何かにすがろうとしている。

われわれ一般人と、清原和博のようなスーパースターとの違いは、そのカネと名声にタカろうとして集まってくる人間がいるか/いないかだ。

もし、クスリが簡単に手に入るような世界にいれば、誰しもそれに手を出してしまうかもしれないのである。 

 

昭和42年生まれは、みんな清原和博を待っている

桑田真澄が、「僕がもっと清原君に注意してあげていれば」みたいなことをインタビューで語っている映像を見た。

私から言わせれば、桑田のように無二の友人を欺いて讀賣に入団するような、引退してすぐに、18歳のときに入るはずだった大学に改めて入るような、如才がない、要領のいい、ズル賢い人間に、清原和博を語って欲しくはない。

社会人としては、清原はダメ人間であることに違いは無いが、人間としての魅力は桑田など足元にも及ばない。不器用で、世渡り下手で、内面が悲しすぎるほど弱くて、だからこそ清原和博は魅力的なのだ。そういう彼に敬意を込めて、昭和42年生まれは「清原世代」なのである。

今回の一件で、もう二度と清原は野球界に戻ることはできないだろうが、持って生まれた「スター性」を活かして、どうか人生をやり直して欲しい。

桑田に(オレいま、ウマいこと言った)的なドヤ顔で「人生にピンチヒッターはいない」「逆転満塁ホームランを打って欲しい」なんてことを言われるまでもなく、私が知っている清原和博には、自身が犯した罪を帳消しにするだけの、とてつもない魅力と才能があるのだから。 

(以上、敬称略)

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