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方言について考える(主に会津弁)

今週のお題「方言」

元々は先日2月26日に「二・二六事件からちょうど80年目のこの日、日本の言語文化について考える」と大仰かつ若干意味不明なタイトルで書き始めたのだが、仕事でトラブってそれどころでなくなってしまい、途中で投げ出してしまった。

が、せっかく途中まで書いたし、「今週のお題」にしては珍しくいいテーマなので最後まで書く。もちろん、エラそうに語れるほど学問的な知識があるわけではないので、以下の内容は私の“個人的な見解”に過ぎない。

その点につきましては、何卒ご了承のほどお願いいたします。



 

方言をヒトコトで区別するのは難しい

この「今週のお題」の紹介文は、予想どおり関西系の方言で書いてあった。

よく「関西弁」という表現を耳にするが、「関西弁なんてものはあらしまへん *1」と主張する人も多く、確かにそのとおりだと思うので、ちょっと長ったらしいがここでは「関西系の方言」と書く。

私は会津の出身だが、ガキの頃話していたのは「会津弁」であって、決して「東北弁」などではない。実際に高校3年生のとき、インターハイの東北大会で秋田の高校生と話したことがあるが、半分は何を言っているのかわからなかった。

話は逸れるが、日本テレビの桝太一アナウンサーは、日テレ系「ZIP!」の毎朝6時26分頃に放送される「ZIP! MAPPING」のコーナーで、東北6県に限って必ず「東北の」と付けるのだが、あれはナゼなんだろうか。他の地方には何も付けないのに・・・例えば「北陸の富山」や「九州の長崎」とは言わないのに、「東北の秋田」や「東北の岩手」と言うのである。
彼は東北をコバカにしてるのだろうか、それともその逆なのか。閑話休題。

つまり、「関西弁」が存在しないのと同様に、「東北弁」なんて方言も存在しないのだ。よってここではわかりやすいように、リスペクトの意味も込めてあえて「ズーズー弁」としよう。

ちなみに「『ズーズー弁』は東北地方だけでなく、出雲地方でも遣われている」というのは、名作「砂の器」のプロットによって有名な話である。

<あの頃映画> 砂の器 デジタルリマスター版 [DVD]

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なぜ関西系の方言を堂々と話す人は多いのか

こういう疑問の答えは簡単で、メディア(主にテレビメディア)による「イメージ操作」である。特にテレビメディアという領域においては、大阪周辺は「『お笑い』というカルチャーを供給する側である」というアドバンテージもあるだろう。

そしてその根幹にあるのは、関西地方で暮らす人々に根付く「東京より京都・大阪、関東より関西の方が上」という意識だろう。とてもすばらしいことだし、うらやましいと思う。

 

なぜズーズー弁はバカにされるのか

この疑問の答えも、上述のとおりである。さらに付け加えれば、「明治政府の陰謀」だろうか。明治政府による思想統制とプロパガンダ、それを受け継いだマスメディアのイメージ操作によって、東北地方は蔑まれ、ズーズー弁は嘲笑の対象となってしまった。

その結果として東北地方の人々に根付いているのは、「関東・関西より東北はずっと下、北海道よりも下、最底辺」という負け犬根性である。実に嘆かわしいことだ。

私も上京して1~2年目の頃は、たまに実家に行くと都会人気取り(笑)で会津弁を話す地元の人達を嘲笑っていた。「ホント訛ってるね(笑)」なんて。
今思い返すと、本当に恥ずかしい。嘲笑われるべき対象は、その当時の私である。

 

思い出の会津弁

自分自身の愚かさに気分が暗くなってしまったので、話を変えよう。

今では話すことはもちろん、耳にすることもなくなってしまったが、ガキの頃は会津弁がコミュニケーションの基盤であった。そんな時代が私にもあった。
そんな「思い出の会津弁」を列挙しつつ、当時の出来事をふり返ってみる。

なお、記憶している「音」を正確な「文字」に起こすために参考にしたのはこちら▼のサイト。

わかりやすくまとめていただき、ありがとうございます。

あんつぁ = [目上の男性への敬称]

今は亡き私の父は、生前この敬称付きで呼ばれていた。「サダあんつぁ(仮名)」と。自分の弟 (=私の叔父) はもちろん、近所のオヤジ達も親しみを込めてそう呼んでいた。

ずっと単身赴任ばかりで、めったに家にいることのない父親だったが、たまに彼がこう呼ばれるのを耳にするとき、彼が皆に愛されていることを感じて、なんだかうれしくなったものだ。

もちろん私も、毎朝仏壇に手を合わせるとき親しみを込めてこう呼びかけている。
「サダあんつぁ(仮名)、おはようございます」と。

さすけね = 大丈夫、差し支えない

私は極端に頭がデカくてバランスが悪かったせいか、ガキの頃よく転んだのだが、そんなときに母から必ずかけられたのが「さすけね」という言葉であった。
母は会津の出身ではなく、会津に嫁に来たことを後悔していたせいか会津弁もあまり遣いたがらなかったが、この言葉は気に入っていたのだろう。

もし母がまだ生きていたら、ぜんぜん大丈夫ではない私の人生に対して、「さすけね」とやさしく言ってくれるだろうか。

~なし = [丁寧にいうときの語尾]

【例】よく来らったなし (ようこそお出でくださいました)

上記の「さすけね」もそうだが、この言葉は大河ドラマ「八重の桜」を放映していた頃、主演の綾瀬はるか氏がドラマ番宣のためのバラエティ番組出演で会津を訪れた際、何度かクチにした言葉である。 そのどこかぎこちない、柔らかな発音を耳にして、会津出身のおっさん達はみな彼女のファンになったであろう(もちろん私もそのひとりだ)。

ちなみに、「八重の桜」は第5話までしか観ていないが *2、ハードディスクレコーダーの容量を大きく占有するその全50話 (=74.85GB) を、未だに消せずにいる私である。

ざい = 田舎

私は会津坂下町という当時人口2万人程の田舎町の中心部で育ったが、町外れの地域およびそこに住んでいる人達のことを「ざい」と呼んでいた。つまりこの言葉は「蔑称」である。自分たちも田舎者のくせに。

「自分より下を見て安堵する」という人間の悲しい性(さが)を見せつけられるようで、虚しくなる言葉である。

むずせ = かわいそう

その頃からもう40年近く経とうとしているのに、いまだにはっきりと覚えているのだが、この言葉は小学4年生の時に同級生のヤマダ君が最初に発して、私たちの間で瞬く間に「流行語」になり、やがて定着した言葉である。 ヤマダ君はおばあちゃんが良く遣っているから自然に発したそうだが、私たちの誰もが、初めて耳にする言葉であった。
つまり私たちの世代 *3 でさえ、会津弁の単語のいくつかは、既に過去のものになろうとしていたのだが、ヤマダ君のおばあちゃんのように下の世代に言葉を伝える人がいれば、方言は生き続けるのである *4

主に「むずせなあ (=かわいそうだなあ)」という形で遣う。語源はわからないが、その意味を示すような、どこか切ない響きを持った言葉だと思う。

くたびっちゃ = 疲れた

「くたびれた」は標準語なので、この言葉は日本人なら概ね理解してもらえるだろう。
「~れた=~っちゃ」なのである。よってまったく同じ意味で、「つかっちゃ」とも言う。

みったぐね = かわいくない

数年前、山形にキャンプ・ツーリングに行ったとき、そこで話した地元出身のおじさんがクチにしたので驚いた。

toshueno.hatenablog.com

なぜなら、会津の人はほとんど山形には行かないからだ。会津と山形は地理的には近いが、地理的に近くても、そこに直接行く交通手段がないのだ。
学問的なことはまったくわからないが、「言葉の広がり方」というのは時に不思議なものである。

めげぇ = かわいい

私は大の犬好きだが、今でもかわいい犬を見かけると「めげぇなあ」と独りごちる。「かわいい」では、自分の心情にまったくフィットしない。

わすっちゃ = 忘れた

出典元には「わすっちだ=忘れてた」とあったが、私はあまり遣った記憶がないので、未だにクチにする形式”に変更して掲載する。例えば大事なモノを忘れたりすると、かなり焦る。そんなとき、この言葉がクチをついて出てしまう。

「めげぇ」もそうだが、素直な心情を吐露するときに会津弁を発することが多い。それは、自分の「心根(こころね)」にもっとも近い言葉だからだろう。

 

方言を捨てずに生きていこう

会津弁は、アクセントに乏しい方言である。

上京して間もない頃、バイト先の焼肉屋で賄いを食べながら皆で話している時、「台湾」のアクセントがどうしてもわからなくて、思わず「いわん」とを強調したら思いっきりバカにされ、しばらく話すのがイヤになってしまった。 

ウチのかみさんは東京出身なので、「ん?もう一回言ってみ?(笑)」と、コバカにされながらアクセントの誤りを指摘されることがいまだにある。でも、最近は全然気にならない。笑いたいヤツには笑わせておけばいいのだ。

その土地で生まれ育ち、その土地独特の言葉を聞いて、話して、上記に列挙したような言葉の思い出があるのは、とてもステキなことだと今では思う。別に標準語 (と分類される言葉) が飛び交う環境で無理に方言を遣う必要はないが、多少方言がクチをついて出たとしても、何も恥ずかしがることはないのである。

これからもずっと私は、忘れ物をしたら○○わすっちゃ!」とテンパり、かわいい犬を見かけたら「めげぇ」と独りごちるだろう。
そして父のことは「サダあんつぁ(仮名)」と呼び続け、母の「さすけね」を胸に抱いて生きていくだろう。

 

*1:馬鹿にしてるわけではありません

*2:歴史歴史しすぎていてドラマとしてはあんまりオモシロくないので

*3:昭和42年生まれ

*4:ちなみに私の祖母は、一日中テレビを視ていて、ほとんど言葉を発しない人であった