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あれから5年が経ちました

社会 生活


 

津波で母を喪った少年

今朝はいつもより約5分遅い午前7時38分に会社に着いて、昨日のブログを修正しつつ、「母亡くした少年を救った父の思い (3月11日)」と題された「朝日新聞デジタルヘッドライン」のトップ記事を何気なく読み始めた。

津波で母親を喪った少年の話だった。

www.asahi.com

母親を喪った心の傷によって、中学校を休みがちになった少年。その担任教師が少年に語ったセリフを読んで、読み進めるのを止めた。そのセリフでもう既に泣いてしまっていたが、さらにそれ以上読むと確実に号泣するのがわかったからだ。

 

「俺は悩んだとき、おやじならどうするかって心の中で会話するんだ。目の前にはいないけれど、いつも支えられてる気がする」

- 津波で亡くなった母、伏せた父 思い受け止めた17歳は:朝日新聞デジタル 

帰宅してから、つづきを読んだ。案の定、号泣というか、声を上げて泣いてしてしまった。

記事の少年・戸羽太河さんは、母の無念と遺志をしっかりと引き受けて、着実に人生を歩んでいくことだろう。

 

5年前の3月11日

かけがえのない人を喪った数多くの人達に比べれば、私は多少の不便を強いられただけで、何も辛いことはなかった。苦労でもなんでもないこんな話を書くのは恥ずかしいことなのかもしれないが、キリのいい節目の日なので、記憶が残っているうちに書き留めておく。 

地震があった日は、品川区にある某メーカーに出向していた。そこは戦前に建てられた古い建物なので、強い揺れがあってすぐに中庭に避難するよう指示が出た。

だが私は、その建物が「関東大震災より強い地震にも耐えられるよう頑丈に建てられた、それゆえに現在まで残されている」という話をある人のブログで読んで知っていたので、余裕をぶっこいてトイレの個室でくつろいで、のんびりプロジェクトルームに戻ったら、既に誰もいなくなっていてビビった。 
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結局その日は終日電車が動かなかったので帰宅できず、近所の居酒屋で、同様に帰れなかった皆といっしょに夜を明かした。夜が明ける頃には店の酒も底をつき、ひたすら「氷水」を飲みながら、見知らぬ他のお客さんも交えて話し込んでいた。

 

3日後、2011年3月14日(月)

コンビニから、食べ物が無くなった。
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自主的に会社を休んだのか、会社自体が休みになったのかは覚えていない。

写真のタイムスタンプを見ると、上のコンビニ店内の写真が「13:05」、下の食べ物の写真が「14:06」なので、近所のコンビニをすべて廻って食べ物をかき集めてきたのだろう。
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4日後、2011年3月15日(火)

この日は、(クルマでなら)近所にある「コストコ川崎倉庫店」に米を探しに行った。地震発生時にちょうど米を切らしていて、すぐに近所のスーパーやコンビニを探したのだが、既にどこにも売っていなかった。コストコなら、外国産の米が売ってるかもしれないと考えたのだ。

この写真▼のタイムスタンプが「16:12」。この日も会社を休んだようだ。
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結局、この巨大な店にも米は一粒も売っていなかった。店員さんに「米はいつ入荷するのか」尋ねたら、「わからない」とニベもなかった。

とりあえず米の代用の炭水化物として、「ナン」を買ってきた。f:id:ToshUeno:20110315173834j:plain
食料不足はこの時期がピークで、以降は落ち着いていったように思う。

 

そして計画停電

計画停電が実施されたのはいつ頃だったろうか。暖かくなってからだったような記憶もあるが、この▼東電様による当時のニュースリリースを見ると、

震災発生後すぐに実施したようだ。

ま、いつ頃だったかは覚えていないが、東京23区のほとんどで計画停電は実施されなかったのに対して、大田区から多摩川を挟んですぐ向こう側にある、私が住む川崎市幸区はしっかりと停電された。

一度、その対比が見たくて、品川区の某メーカーから歩いて帰宅した。

多摩川を渡るとき、手前(大田区側)は煌煌と灯りがともっているのに、川の向こう岸は漆黒の闇だった。あの光景は、本当に衝撃的だった。(この先、どうなってしまうんだろう?)と不安になった。

結果として、別にどうにもならなかった。

私が被った不便は、わずか数日の食料不足と、わずか数日の計画停電だけだった。

 

この国を殺す前にやるべきことがある 

一昨日の「ニュースウオッチ9」に、福島県南相馬市で自主的に捜索活動をしているという、私と同姓の、私と違って理知的な男性が出演していた。
静かに、かつ淀みなく言葉を繰り出す話し振りの中に、この国の政府に対する怒りが込められているのが感じられた。「フクイチ」周辺の帰還困難区域では、復興はおろか、行方不明者の捜索さえ手つかずなのである。

一方で、東北では未だに多くの人達が不便な仮設住宅暮しを強いられている。
阪神淡路大震災の場合、震災の5年後には仮設住宅はすべて無くなったそうだが、

被災地が広範囲に広がっているとは言え、例えば宮城県だけでも、未だに2万人以上の人がプレハブ住宅で暮している。

会津の片田舎に生まれ育った私からすると、(この遅遅として進まない復興は、やっぱり東北だからか?)なんて穿った見方をしてしまう。 

この国は間違っている。まず、「優先順位」が間違っている。

オリンピックなんかより、国立競技場の建て替えなんかより、先にやるべきことがあるはずだ。「スポーツによって勇気づけられるから、オリンピックには意義がある」なんてことを主張する向きもあるかもしれない。

でもそんなものは、最低限の暮らしが保証されて初めて感じることであって、5年もの月日が過ぎても未だに仮設暮らしを続ける人にとっては、慰めにさえならないだろう。喪った人をきちんと弔うことさえできない人に至っては、言わずもがなである。

今日日世間では、保育園に子供を入れられなかったぐらいで「日本死ね」なんて匿名で低俗なグチを書いた女が崇め奉られているようだが、その程度のことでこの国を殺してはいけないのである。

オリンピックよりも、保育園の増設よりも、先にやるべきことがある。

ひとつは、仮設住宅暮らしによってストレスを抱えた人達を救うこと。

そして何よりもまず、かけがえのない人を喪い、その亡骸の在処さえわからずに苦しんでいる人達に、手を差し伸べなければならないのだ。