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伊藤整「弟の日」を読んで家族のことを想う

家族

伊藤整氏の「弟の日」という詩を、長年ずっと読みたくて仕方なかった。でも大昔にこの詩を書き留めたノートが先月末まで住んでいた賃貸マンションの押入の奥底に沈んでいたため、面倒が先に立って読みたい気持ちを抑えていた。



 

伊藤整「弟の日」

時折、「"弟の日" "伊藤整"」で検索もしてみたのだが、さすがにこのマイナーな詩を(一部でも)掲載しているサイトはなかった。この度の引越によって、ようやくその貴重なノートが“発掘”され、十数年ぶりにこの名作を読むことができた。 f:id:ToshUeno:20160510231124j:plain

 「弟の日」       伊藤整

 弟が死んでから一年目の日
 きらきらと夕焼けがして いい晩になった。

 姉はものを言うようになった甥をつれて来て
 皆でおとむらいのような御馳走を食べた。

 小さな甥は家中を走って賑やかにした。
 炉を囲んでの物語がはずんだ。

 末の弟はとうとう姉を言い負かし
 妹は笑わぬようにして耳をすませ
 父は聞いたり 見たりしていて幸福だった。

 もうこのままで結構だった。
 これ以上何も起きてはならなかった。

 家の横を昔からの小川が淙々と流れ
 ときどき帰りの遅い荷馬車が
 橋を過ぎゆく音がした。

作者の伊藤整氏は1969年11月没なので、「著作者の死後50年までが原則」とする著作権保護期間はまだ3年ちょっとあるのだが、あえて一編の詩全体を引用する。そう、あくまで“引用”である。

 

家族のカタチを成していた最後の時代

この詩を初めて知ったとき、私はまだ18歳で、父も母もまだ現役でバリバリ働いていたし、兄貴や姉貴とも仲が良かった。愛犬もいちばん元気な頃だった。家族が家族の“カタチ”を成していた、最後の時代であった。

ではなぜそんな時期に、この詩に感動したのか。

それは、家族の日常を一変させてしまった「弟の死」から一年後、そのカタチを変えながら元の平穏を取り戻しつつある家族の様子を見た作者が、

   もうこのままで結構だった。
   これ以上何も起きてはならなかった。

と願って、この先また起こるであろう不幸を予見しながらも、強い“禁止”の表現によって運命に抗おうとする、そんな深い悲しみが感じられたからだと思う。

 

そして家族はバラバラになった

私が31歳のとき、そのかけがえのない存在によって「実家を帰るべき場所たらしめていた」愛犬が16歳で亡くなり、35歳のときに父が68歳で亡くなった。

定年後わずか2年半で逝ってしまった父とは真逆で、70歳をとうに過ぎても母は至って元気で、国内海外問わず旅行に行っては、老後を満喫していた。(この人は90歳までは余裕で生きるだろうな)なんて思っていたが、ガンを患って77歳であっけなく死んだ。私は42歳になっていた。

ガキの頃から家族の中心にはいつも母がいたが、その母が亡くなって、家族は完全にそのカタチを失った。30歳を過ぎた頃から、既にほとんど連絡を取り合わなくなっていた兄姉とも、完全に関係が切れた。もう何年も会っていないどころか、電話も、メールさえも交わしていない。母が亡くなってから、私は毎年欠かさず墓参りに行っているが、実家に立ち寄ることはない。詳細は差し控えるが、立ち寄りたくない理由があるからだ。

今回の引越も、まだ兄姉には知らせていない。道義的には(笑)知らせるべきなのだろうが、どのような方法で知らせるべきか、ずっと思案中である(このブログを読んでくれていれば話が早いのだが)。

「世界でたった3人だけの“きょうだい”なんだぞ」
そんなことをよく言っていた母の声を思い出す。兄姉と距離を置こうとする私のことが、歯がゆかったのだろう。
お母さん、あなたの子供たちはもう、完全に“他人同士”になってしまいました(※遠藤ミチロウ風)。

michiro-oiaw.jp

 

ふたりきりの家族で生きていく

実家は完全に「一家離散」してしまったが、現在のかみさんとは、かれこれもう20年近くいっしょに暮らしている。子供はできなかったので最小限の家族構成だが、私にとっては彼女が唯一の家族である。

人生においてツマズキっ放しの私は、落ち込んだり、プチウツ状態に陥るのはしょっちゅうなのだが、そのたびに、いつも明るく励ましてくれる彼女に救われている。

また、新居 *1 では毎朝バスで駅に向かうのだが、先日バスの車窓から、自宅から少し離れたゴミ置き場に引越で出た大量のゴミを持って行くかみさんの後ろ姿が見えて、何だかとても愛しくなった。決して私にゴミを持って行かせようとはしない彼女は、働き者でもある。

本当にいい人に巡り会ったと思う。

自分でもそんな年齢になることがまだ信じられないし、人生の終幕に向けて何の覚悟もできていない、相変わらずのテイタラクなのだが、来年はとうとう50歳になってしまう。思うに任せない人生ゆえ、「いつ死んでもかまわない」なんて考える一方で、「あと10年ぐらいは、現在の家族のカタチのままで静かに暮らしたい」とも思う。

中古で狭隘ながらも一軒家を買ったことで、私が先に死んでも、かみさんは住むところには困らないだろう。自慢できる金額でもないが、いくらかは保険金も受け取れるはずだ。逆に、(そんなことは考えたくもないが)もしかみさんが先に死んだら、私はひとりで生きていける自信がない。

自分が死んだとき、あるいは、かけがえのない人を喪ったとき、家族という“カタチ”は消えてなくなる。伊藤整氏が「これ以上何も起きてはならなかった」と強く願ったように、私もこの不本意な人生を終えるまでは、「かみさんにはナニゴトも起きないで欲しい」と心から願うのである。

 

*1:中古住宅だけど