M109R:3度目のパンクは高速道路で起きた
2016年7月16日、私は東北自動車道を北に向かっていた。ひさしぶりの三連休ということで重い腰を上げ、秋田県内でキャンプをする計画を立てたのだ。
- 利根川橋を渡り切る頃、悪夢は始まった
- そして、3度目のパンク
- 約2年半ぶりに、JAFさんに救援要請
- 救世主、降臨す
- M109Rのリアタイヤは、やっぱり1万kmで交換が必要?
- JAFロードサービスカー_車積載タイプ
- ぽっかり空いた穴とパンク補修剤
- 3度目のパンクまとめ
利根川橋を渡り切る頃、悪夢は始まった
利根川にかかる美しいトラス構造の橋・利根川橋を渡ると、(いちおう) 首都圏に属する埼玉県を抜け、群馬県に入る。南関東から北関東へ。
個人的にこの橋は、東北への旅の、最初のマイルストーンだ。
(▲写真は2015年5月13日、日産リーフで会津にテストドライブしたときのもの)
左端をのんびり流しながら、橋を渡り切ろうとする頃、ハンドルに違和感があった。
(ん? なんだこれ? ちゃんと整備してんのかよ、高速道路のくせに)
2秒ぐらいは、舗装路の轍にハンドルがとられていると思った。それにしてはヤケに“轍”が長い。
(あぁぁぁ・・・パンクだわコレ)
周囲のクルマに気を配りつつ、急な動きをしてコケないように気を落ち着けながら、少しずつ路側帯に避難する。
左端をちんたら走っていて、かつ後方近くにクルマがいなくて本当に良かった。
もし、右端を他車と競うようにすっ飛ばしているときにパンクしていたら、こうしてこの記事を書くことはおろか、二度とブログを更新することもなかったかもしれない。
そして、3度目のパンク
極限まで路側帯の左隅にM109Rを駐めてから改めて確認すると、幅240mmのリアタイヤがベッコリとツブれていた。
この無残な姿を目にするのは、もうこれで3度目である。
1度目は2012年の春 *1、2度目は2013年の12月▼。
ただ、過去2回はいずれも川崎時代に借りていたガレージ (の隅っコ) で、乗車前に既にパンクしていたので、実際の走行には何も影響がなかった。しかし3度目のパンクは、思いっきり走行中、しかも高速道路上で起きた。
こんな間の悪いタイミング、シチュエーションもなかなかないと思うが、先にも書いたとおり、左端=第1走行車線を90km/h程度で流していて、かつ後続車も100m以上離れていたのが、不幸中の幸いであった。
約2年半ぶりに、JAFさんに救援要請
(ったくなんなんだよ・・・しょうがねえな、JAFさん呼ぶか・・・)
M109Rと防音壁の間に身を隠しながらJAFさんに電話していると、ほどなくしてNEXCO東日本のパトロールカーがやって来て、後方に停まった。
たまたま通りかかって、パンクしたアワレなオートバイに気づいたのだろうか。それとも、監視カメラにでもマヌケな私の姿が映ったのだろうか。
NEXCOの若いおにいさんが満面の笑みを浮かべながら駆け寄ってきたので、「JAFにもう電話しましたので」と伝えると、
「JAFさんが来るまで、コレ▼を着ててください」
そう言い残して、ド派手なベストを置いていった。
が、路側帯に駐めたオートバイの傍らでボケッと突っ立っているのさえコッパズかしいのに、さらに蛍光オレンジの“ちゃんちゃんこ”まで着させられたんじゃあ、たまったもんじゃない。ふと防音壁の方に目をやると、M109Rを駐めた位置でちょうど壁が切れていて、そこから外に出られそうだ。
というわけで路肩に植えられた樹木を避けながら防音壁の外に出て、“土手”に座ってひと休み。
喉が渇いて仕方なかったが、周囲を見渡す限り田圃と民家しかなく、店はもちろん、自販機らしきものも見当たらなかった。ま、田舎だから仕方がない。
ヨコを見上げると、M109Rが悲しげにこっちを見ていた。
こんなところに駐めちまって、すまんのぉ・・・
救世主、降臨す
救援要請の電話を切ってから約35分後、JAFさんが現場に到着。
高速道路上のトラブルということで、たかがオートバイに、なんと2台体制で駆け付けてくれた。大変申し訳ない。
ただ、こうして▲バカでかいトレーラーがすぐソバを猛スピードで通っている写真を改めて見ると、JAFさんとしても、安全な作業のために2台体制が必須なのだろう。
自分のために初めて焚かれた発煙筒を見て、「申し訳なく思う気持ち」がさらに倍増する。
かみさんとクルマで遠出したとき、高速道路の路肩に駐まっている故障車を指差しながら、「ちゃんと整備してねえからあんなことになるんだよ(笑)」なんてノタマっていた私だが、自分が同じ立場に立って初めて、きちんと整備をしていてもこういうことが起きるということを知った。
M109Rのリアタイヤは、やっぱり1万kmで交換が必要?
「M109Rのリアタイヤは11,000kmぐらいが限界」と、以前▼書いた。
この記事▲のときに「オドメーター=55,358km」で交換して、今回出発したときが「オド=65,350km」ぐらいだったので、この旅を終えたらタイヤ交換しようと思っていた。
そんな私の腹づもりを鼻で笑うように、タイヤの神様は、またしてもM109Rのリアタイヤに、“ブスリ”と穴を開けてくださったのである (後述)。
JAFロードサービスカー_車積載タイプ
JAFさんは、いつ誰が来ても皆さんとても感じのいい対応で毎回感心することしきりなのだが、今回来てくれた方も、御多分に洩れず大変好感の持てる人だった。
そして、オートバイを丁寧に扱いつつ、かつテキパキと作業する姿が見ていてとても気持ちがよかった。
今回は、荷台が“グゥイィィ~ン”って感じで前後/上下に動くロードサービスカーを初体験したので、
せっかくだから動画を撮ってみた。写真では必ずセッセと隠しているナンバーが思いっきり見えているが、動画にモザイクかけるのはめんどくさそうなので、そのまんまアップロードした。
ま、私の「撮って出し」の動画なんてどうせ誰も見ないから、別に問題ないだろう。
これは▼、パンク修理 (後述) を終えてから、後片付けをしているときに撮ったもの。
車体中央に備え付けられたブッとい“支柱”(▲ナナメってる黒い物体) に沿って、
このように▼、荷台がクルマから完全に下りて、地面とほぼ水平になる。
そのおかげで、パンクしたオートバイでも簡単に積載することができた *2。
そして、ありがたいことにロードサービスカーの助手席に乗せていただいて、現場からすぐ先の館林I.C.まで移動した。
ぽっかり空いた穴とパンク補修剤
心にぽっかりと空いた穴を
館林I.C.まで移動した後、改めてタイヤを見ると、まあモノの見事に、ぽっかりと穴が空いていた。
さすがに3回もパンクさせると、走り方に何か問題があるのではないかと自分自身を疑ってしまう。
ま、今回の場合は、この手前で事故渋滞があったので・・・(以下自粛)。
溢れる愛で埋めてほしい
- 補修スティック(大)を用意する
- 補修スティック(大)に補修剤をたっぷりと塗りたくる
- 補修スティック(大)を“ブスリ”と穴に挿し込む
- タイヤに空気を入れる
- 泡スプレーを塞いだ穴に噴射して、空気が漏れていないことを確認する
修理自体は、モノの5分で終わった。
その間、メインで応対してくれた隊員さんと、2台目 (サポートカー) の後方で、他のドライバーに注意を促すために旗を振ってくれていた隊員さんが、修理の方法を巡ってアレコレ言い合う様子が、なんかとっても微笑ましかった。
3度目のパンクまとめ
2013年は、クルマで1回、オートバイで3回もJAFさんに救援要請した私であるが (どうもすみません)、上記で引用した2013年12月のパンクを最後に、ここ約2年半はトラブルに遭っていなかった。
ひさびさのトラブルが「高速道路でのパンク」とは、なかなかキツいものがある。
今回はパンクに気づいた後に数百メートルしか走らなかったのが、パンク補修剤による簡単な修理で済んだ要因だったが *3、「キケンな高速道路上に留まるより、わずか2km先の館林I.C.まで走る」という選択肢を考える人もいるかもしれない。
どちらが“正解”かはわからないが、無事こうしてブログを書いているので、ひとまずは「結果オーライ」ということにしておこう。
いずれにしても、すっかり凹んでしまって、「無理しないで、下道とおって帰った方がいいですよ」というJAFの隊員さんのアドバイスを聞くまでもなく、おとなしく館林市内を埼玉方面に引き返す私であった。