秋田なまはげツーリング2016:3日目 (前篇)
9月に入ってから、ずっとどんよりした天気が続いている。秋の長雨+台風コンボが始まる前に、思い切って有休を取って旅に出てよかった。
そんなちょうど2週間前、秋田県を中心したツーリング最終日のあれこれを振り返る。
三流の人間が幅を利かす時代
前日の夜、「自分たち “だけ” の世界の中で生きている人たち」の無粋な声を遮断してくれた耳栓である▼。
ありがたや。silencia.jp
が、深夜にもかかわらずテントサイトの周囲をオートバイで走り回るバカがいて、さすがにオートバイの音までは遮断してくれなかった。もっと “強力” な耳栓はないものだろうか。
前日は潮騒を遮るような虫たちの声をじゅうぶんに堪能して、さわやかな朝を迎えることができたが、この日は「耳栓」を強いられたあげく、深夜に聞きたくもないエンジン音に叩き起こされたので、非常に寝覚めが悪かった。
というわけで、前日より若干遅い午前5時過ぎにテントから這い出た。人間どもは愚かでも、木々達はただ静かにそこに佇んでいた。
「宴会場」のあと▼。よりによってテントサイト中央にある東屋で、宴会は繰り広げられていた。ここはこいつらの占有物なのか?
左側の青いシュラフでは、ひとりの男がイビキをかいていた。やりたい放題だな(苦笑)。自分たちが楽しむのは結構だが、「世の中には『他人』がいる」ということを、こいつらは肝に銘じるべきだろう。
思わず、
三流の人間がだな、幅を利かす時代よ。われわれは黙して語らずさ。
という、稀代の名作「野獣死すべし」の有名なセリフを思い出した。私はただ、こういう連中と同じ日に泊まってしまった「巡り合わせ」を恨むしかない。
私がテントを張った位置と反対側、テントサイトのいちばん奥にある東屋は “無傷” だった。
どうせ「宴会」やるなら、こっちでやれよ。以上。
「南の池公園・キャンプ場」の朝
入植者の記念モニュメント▼。
この意匠が何を意味しているのかはわからないが、早朝の柔らかな光の下で鈍く光る、クロームの輝きが美しかった。
炊事場はこんな感じ▼。
「宴会場」だった東屋の奥の方にある。照明がないので、夜間はどこにあるかわからない。私はとっととあきらめて、トイレで歯磨きをした。
トイレのごく一部▼。
(▲壁から距離がないため、スマホのカメラと私のスキルではこんな写真しか撮れなかった)
小便器には水洗装置がないが、不思議と臭くはなかった。「個室」の方は和式と洋式 (いわゆる「多目的トイレ」) が1つずつの親切設計。
写真▼のタイムスタンプは5時23分。木々の向こう側に朝陽が顔を出した。
気を取り直して、さあ、レッツラ撤収。
2泊3日のロングツーリングは慌ただしいのだ。
(▲ムダに広いが、重量級クルーザーにはツラい駐車場全景)
3日目のざっくり計画
3日目=最終日は、
- 今回のテーマ「秋田県の海沿いを走る」に則って青森県まで抜け、最初に右折できる道に入って青森県の内陸に行き、東北道で帰路につく
という、ざっくりした計画はあった。
でも例によって、地図はまったく見ていない。もちろん、青森県の最新の道路事情等もチェックしていない。その一方、次の日 (9月5日(月)) はフツーに仕事で早朝5時25分起きなので、できるだけ早く帰りたい・・・我ながら何の計画性もないアホだとは思うが、今までそれで何とかやってきた。今回もそれで何とかなると思っていた。
まあ実際に何とかはなったのだが、おもしろくも何ともない帰路であった (※次回に詳述)。
Tokyo Cityは風だらけ、秋田県は風車だらけ
これは初日からだが、(秋田県はやたらと風車が多いなあ)と思っていた。
この日、「釜谷浜海水浴場」からいわゆる「風車地帯」を見るにつけ、漠然とした思いはほぼ確信に変わった。
念のため調べてみた。お隣・青森県がダントツで、北海道が2位、秋田県は第3位。
出典:2015年末の風力発電推定導入量 (都道府県別) - JWPA 一般社団法人日本風力発電協会
なぜ都道府県によってこんなにバラツキがあるのか疑問だが、それを調べ出すとまた記事の更新が遅れるので、ヤメておこう。
山田久志サブマリンスタジアムで半生を反省する
この珍しくイチ個人名を冠した野球場は、前日キャンプ場を探しているときも真横を通って寄りたかったのだが、「日没前にテントを張らねばならない」という焦燥感に駆られ、泣く泣くスルーしたのだった。
この日、すぐ近くを通る国道101号を北上しているとき、[山田久志サブマリンスタジアム ←]という案内標識を見かけたので、迷わず左折した。
「一球入魂」というタイトルの付けられた、右バッターがスイングした状態の銅像がまず目に入った。
(球場名が「山田久志」で「サブマリン」なのに、なんでバッターなんだよ(笑)・・・そもそも「一球入魂」って、どっちかっつーとピッチャーが言うことなんじゃねえの)
野球ファンなら誰もが思うであろうツッコミを抱きつつ、球場正面にあるショーケースの展示物を見てみた。
・・・だそうだ。
もともとは「能代球場」で球場名は変わらないが、ここ能代市出身の山田久志氏が中日ドラゴンズの監督をやったり野球殿堂入りしたりして球界で一定の地位を築いてきたので、「ちっとアヤカんべ (※秋田弁がわかりません)」というスケベ心に基づき、こんな「愛称」を加えたようだ。
だから上の銅像は愛称を加える前に設置されたもので、それをアンダースローのピッチャーに置き換えるには、予算が足りなかったのだろう。
ちなみに、私が現在もっとも敬愛し心酔し尊敬する野球選手である、イチローさんの写真も飾られていた。どうやら山田氏の野球殿堂入りを祝ったパーティーでの写真らしいが、この写真の「主役」は、間違いなくイチローさんである。
さらにちなみに、後方に田口某という元野球選手も写っているが、この人物が昔、阪神球団に対して放った暴言を、阪神ファンは決して忘れていない。
ゲートが解放されていて、「どなた様もウエルカム」な状態だったので中に入ってみた。
9月4日当日は「第39回 東日本野球 秋田県大会」とやらが開催されていた (ゲート横に掲げられた掲示板に、そう書かれていた)。
プレーしていたのはオトナだったので現地では何の大会なのかわからなかったが、大会名で検索してみた限りでは、どうやら社会人の軟式野球大会らしい。
彼氏の応援をしているのだろう、数人ではあるが、スタンドには妙齢の女性の姿があった。これが都市対抗野球のようなシビアな大会なのか、草野球的な “アソビ” の延長線上にあるものなのかはわからないが、恋人が見守る中、こんなステキな球場で日曜日の朝8時半から野球の試合をする。なんと健全な人生だろう。
閉店までキャバクラで飲んだくれ、ヘベレケになって始発で帰り、挙げ句の果てに・・・もういいか。ま、そんな私とは大違いである。私もイキがって必死コイて上京などせず、ずっと会津でのんびり過ごしていたら、健全な人生を歩めたのだろうか。
ふとそんなことを考えて、自分のアホさ加減になんだか気分がどんよりと重くなって、「山田久志サブマリンスタジアム (こうして書くと結構長い!)」を後にしたのだった。
(つづく)