73歳のツーリングレポートに思う

9月ももう半分以上が過ぎたというのに、はてなブログにログインしたのは一昨日が今月最初であった。相変わらず仕事にまつわる心配事で、デカいだけで容量のプアな脳ミソが埋め尽くされて、休日に何かをする気にもならない。



 

金曜夜のプチ・ツーリング

先週の金曜の夜。いつもどおり戸塚駅東口の駐車場からホンダ・PCXに跨がり、拙宅に向かった。

toshueno.hatenablog.com

戸塚に引っ越して来てから1年と4カ月が過ぎたが、まだまだ知らない所だらけだ。
(よし、ちょっと遠回りして帰るか)
いつもなら右折して横浜市道環状3号線に入る「環3長沼」交差点を直線してみる。きれいな戸建が建ち並ぶ住宅街を抜けると、程なくして「飯島団地」というデカい団地に迷い込んだ。
(ああ、「飯島」って書いてあるバスは東口でよく見るなあ、なるほど、この辺から来てんのか)
戸塚駅東口のバスロータリーでは「戸塚駅 飯島」と表記されているバスをやたらと見かけるので、てっきり飯島町も戸塚区だと思っていたが、いま調べたら栄区だった。ふーん。閑話休題。

基本的に「拙宅←→戸塚駅」間の往復しかしないPCXに、当然ナビは付いていない。停車してスマホでGoogleマップでも見ればいいのだが、めんどくさいし、だいいちそれじゃおもしろくない。

まったくアテにならない「カン」に頼って拙宅方面に抜けようとしたら、方向音痴ヨロシク、ぐるっと廻って、いつも右折する「環3長沼」交差点にたどり着いた。抜け道をしたつもりが、ぐるっと廻って同じ場所にたどり着く。まるで、いつものツーリングと同じじゃないか・・・
とまあこんな感じで、週末にプチ・ツーリング気分を味わうのがせいぜいの、今日この頃なのだ。

 

「風まかせ」2017年10月号

そんな「なんちゃってライダー」のお慰みは、このブログでも何度か取り上げているおっさん/じいさんライダー御用達オートバイ雑誌「風まかせ」である。

2017年9月時点での最新号=2017年10月号 (No.64) のメインテーマは、「いつまでもビッグバイク。」という、スズキ謹製重量級クルーザー=ブルバードM109Rを愛車とする私にとっては非常に興味深いものだ。 

風まかせ 2017年 10 月号 [雑誌]

風まかせ 2017年 10 月号 [雑誌]

 

(ビッグバイクっつっても、CB1100R nineT Racerじゃ、それほどビッグでもねえよなあ)
そんなツッコミは不粋である。排気量がデカけりゃいいってもんではない。逆に、安易にH-D等に逃げたりせずに、むしろ軽量級とさえ思えるこの2台を表紙に並べる辺りに、「風まかせ」のセンスがにじみ出ていると思う。

そしてこの雑誌のおもしろいところは、メインテーマに沿って名も無き一般人を取り上げ、その人物とオートバイとの関わり方に多くのページを割くところだ。今回も「60歳・59歳・66歳」の3人の諸先輩方の話を、存分に参考にさせてもらうことができた。

私は、生きている限りはオートバイに跨がっていたいと思う者である。そしてこの雑誌に登場する名も無き多くの諸先輩方も、私と同様な思いを抱きながら、私よりもずっと長くオートバイに跨がり続けている。こんな雑誌は他にない。隔月刊のままでもいい。どうか廃刊の憂き目を見ることなく、末永くこの国のオートバイ文化に貢献し続けて欲しいと願う。

 

73歳のツーリングレポート

「風まかせ」には、「全国読者紀行 風からの便り」というコーナーがある。平たく言うと「読者からのお便り欄」である。いつもはナナメ読みでさらっと流すのだが、2017年10月号のある便りには、ふと目が留まった。

「ツーリングレポート」という素っ気ないタイトルのその便りには、「会津若松」という故郷の(正確には「故郷=会津坂下町」の隣町の)地名が書かれていたからだ。文面から察するに会津若松市に在住していると思しき筆者によるこのレポートは、なかなかの「ネタの宝庫」であった。

全文を書き写すほどヒマではないので(というかそもそも丸写ししたら怒られるので)、以下にざっと要約する。

  1. 叔母のお見舞いに行くため *1 ツーリングに出た
  2. 南会津町田島で豪雨になり始め、田島~今市間でゲリラ豪雨に遭う
  3. 豪雨のせいで(?)エンストして転倒(1回目)、通りがかりの人に起こしてもらう
  4. レッドバロン宇都宮北で転倒による不具合を修理してもらう・・・筆者曰く
    「宇都宮は大都会だ〈中略〉会津若松は田舎で発展性がない〈中略〉宇都宮は暮らしやすそうだ〈中略〉会津若松は寒すぎて、年々体が悪くなっていくのを体感している」
  5. 宇都宮でホテル泊
  6. 2日目、鹿沼I.C.から東北道に入り東京方面に向かう
  7. 東映東京撮影所の近くのI.C. *2 で一般道に下りる
  8. 道を間違えてUターンした際にエンストして転倒(2回目)、周りの数人に起こしてもらう
  9. 目的地である病院に到着し、叔母に会うことができた・・・筆者曰く
    「心にやっと余裕ができた」

(おいおい、こりゃひでえな・・・)
と思いながら最後にプロフィールを見たら、「治郎衛門弘彦 (73歳・福島県・XLディグリー)」とあった。

一泊しているとは言え、73歳で会津若松市から練馬区までツーリングに来るのは確かにスゴいし尊敬されるべき偉業だが、それにしても2回も転倒し、かつ2回とも他人に起こしてもらうようでは、その尊敬の念も薄れてしまう。しかも愛車は「ホンダ・XLディグリー▼」である。
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車両重量、たったの「129kg」である。

編集部からのコメントは「次のツーリングはノートラブルであることを祈っております!」なんて温かい言葉で締めくくられていたが、このレポートを読んだ誰もが思うだろう、
「おじいさん、もうオートバイは降りた方がいいよ」
と。ところで余談だが、「73歳の男性の叔母さん」は、いったい何歳なんだろう。

 

殺伐とした現実を笑い飛ばす

珠玉のレポートを読み終えた日曜の午後、拙宅で昼寝をしているときに夢を見た。ガキの頃に実家で飼っていた愛犬と、雨の中を散歩している夢だった。

ガキの頃は全然気づかなかった。先のことも、明日のことさえ気にせずに愛犬とのんびり過ごすことが、どれだけ幸せなことなのかに。常にせき立てられるように、「残り時間」ばかりが気になる今となっては、あんな日々はまさしく夢のように思える。

翻って、(私に訪れるかどうかはわからないが)未来から現在を俯瞰してみる。

現在はM109Rという車両重量400kg超のオートバイに乗っている私ではあるが、やがてそんなマシンは取り回しさえできなくなる時が来るだろう。そしてようやく気づくのだ。ただ「殺伐としている」としか思えない現在が、「夢のような日々だった」ということに。

当たり前のことが、当たり前にできなくなる。「老いる」とはそういうことだ。そうなった時にせめて「ああ、あの時は楽しかったなあ」と思える時間を、少しでも多く過ごしておきたいと思う・・・思うのだが、こう仕事が切羽ツマっていると、キモチとカラダが言うことを聞いてくれない。

100kg台前半のマシンでさえ自分で起こせなくなってしまった治郎衛門弘彦さんは、今どんな景色を見ているのだろうか。思うようにマシンを操れない自分に、歯ギシりしているだろうか。そんなことを考えていて、ふと気づいた。

2回も転倒しながら、自身の身体とマシンを傷めながら、あきらめずに目的地までたどり着いた彼のことだ(私ならきっと、1回目の転倒でマシンに不具合が出た時点で、あきらめて引き返しているだろう)。
「昔のことばっか考えたって、しょうがねえべした」
そんな会津弁で、殺伐とした現実を笑い飛ばしているのかもしれない。 

 

*1:明記されていないがおそらく会津若松市から

*2:明記されていないがおそらく大泉I.C.