本
関川夏央著「昭和が明るかった頃」 この本については、当ブログでも何度か書いている。
ちょうど2年前の2013年9月に買った関川夏央氏の「昭和三十年代演習」は、随分久しぶりに買った、仕事関連以外の、ハードカバーの書籍だった。
タイトルに「(2)」なんてサラッと書いてはみたが、前回この本について書いてから、いつの間にか早5ヶ月以上が過ぎていた。
「空が、赤く、焼けて 原爆で死にゆく子供たちとの8日間」 この本は、奥田貞子さんという無名の女性が、原子爆弾が落とされた直後の広島で出会い、死んでいった子供たちのことを克明に描いた稀代の記録である。
【昨日に引き続き中川右介・著「昭和45年11月25日」から引用】 三島事件当時、古本屋に勤めていた作家・出久根達郎氏のエピソードが、”ニワカ”三島ファンが事件直後に急増したことを端的に表現していて、非常に興味深い。
タイトルを無理やり「続きもの」にしてみたが、タイトル前半分が昨日の内容で、後ろ半分が今日の内容。 タイトルだけ見ると無理やりっぽいが、話はキレイにつながっているはずである。
【昔テレビっこ、今ただのおっさん】 このブログでは「テレビは見なくなった」なんて書きながらも、昭和40~50年代、絵に描いたような「テレビっこ」としてスクスクと育った私であるので、完全にはテレビを捨てきれないのである。
ネタ元わずか7ページ 書いている本人と、唯一何度もコメントをいただいたwakumasaさん(いつもありがとうございます)だけが盛り上がった本シリーズも、出典が「福島民友新聞百年史」一冊の、わずか7ページちょっとしかないため、もうネタがない。
昨日のつづきで、会津博(昭和42(1967)年開催)の各館構成のうち、私が個人的に興味深い展示館を列挙する。 例によって引用元は大著「福島民友新聞百年史」である。
時は明治、東北最初の博覧会は鶴ヶ城で開かれた 明治7年4月、鶴ヶ城天守閣が取り壊される直前、東北地方最初の博覧会が鶴ヶ城跡で開催された。そこで、それまで武士しか中に入ることができなかった鶴ヶ城が、一般庶民に初めて開放されたのである。 なお鶴ヶ…
前回も書いたが、昭和42(1967)年に開催された会津博のおもしろいところは、「鶴ヶ城天守閣を中心として城跡全体を博覧会の会場としていた」ということである。
一昨日、ふるさと会津のシンボル「鶴ヶ城」について調べたくて、神奈川県立川崎図書館に行った。 鶴ヶ城の史実を詳細に解説しているような書籍はなかったのだが、いままで全く知らなかった歴史的事実が載った書籍を見つけた。
まだ全然途中までしか読んでおらず、にもかかわらず既にところどころ理解できない箇所もあるのだが(笑)、いろいろ思うところがあったので書き留めておく。