四国・九州ツーリング:2013GW~6日目

2013/05/02(木):熊本~長崎

”デイリー”マンションを早々に撤収。

宮原SA。スカイラインクーペ越しの、スカイラインクーペ。f:id:ToshUeno:20130502095528j:plain

広川SA。f:id:ToshUeno:20130502111738j:plainあ・・・ここは佐賀県なんだね・・・f:id:ToshUeno:20130502111803j:plain

 

そして、長崎へ

長崎市平和公園前。この日は本当に天気が良かった。f:id:ToshUeno:20130502133422j:plain

元々はいくつもりはなかったのだが、ホテルに向かう通り道でもあるし、かみさんのリクエストもあったので、平和公園および原爆資料館へ向かう。f:id:ToshUeno:20130502133708j:plain噴水の向こう側、遠くに平和祈念像が見える。f:id:ToshUeno:20130502133833j:plain

平和祈念像に辿り着くまでの途中、たくさんの銅像がある。f:id:ToshUeno:20130502134031j:plainf:id:ToshUeno:20130502134224j:plainf:id:ToshUeno:20130502134241j:plain

なかでも、これが一番好きだった。f:id:ToshUeno:20130502134057j:plain

平和祈念像は、写真では飽きるほど見たことはあるが、実物は想像以上にデカかった。f:id:ToshUeno:20130502135019j:plain

資料館の方は、広島のそれに比べると、だいぶ見劣りがした。変な言い方で申し訳ないが。

展示物の向こう側に”人間”があまり見えなかったのだ。

 

当時、その場所に暮らしていた人々と、そのリアルな生活。

戦後の日米政府の意図的な教育および喧伝により、「戦後は明るい」「戦前は暗かった」と戦後生まれの我々は思い込まされているが、そんなことはない。

戦前のこの国にも、穏やかで明るい暮らしは確かにあったのだ。

それが、一瞬で奪われた怒りと悲しみ。

 

広島の、「女学校1年生の夏服」のように、見るだけで涙が溢れてくるような、衝撃的な展示品は、残念ながらなかった。

 

大下靖子さんの夏服

これは今、Webで見るだけでも涙が出てくる

 

それでも、長崎でも数万人の人達が理不尽に殺されたことに変わりはない。

こんなことを二度と起こさないよう、この非道な行いを、戦争を、心に刻み続けなければいけない。

 

そんな沈鬱な気持ちになる施設内で、(どこの国かは当然わからないが)白人の若い女2、3人が、コールガール(表現が古い)みたいな格好で、香水の匂いをプンプンさせながら展示品を見て回っているサマは、「こいつら何しに来てんだよ」という感じだった。

でもまあ、こういう所に来るはずもない、よもや存在さえも知らない、日本の多くのオネエチャン達よりは、来るだけマシなんだろうけど。

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この国は、この人達の悲しみを、f:id:ToshUeno:20130502145624j:plainその願いを、f:id:ToshUeno:20130502135745j:plain果たして伝えていけるのだろうか・・・f:id:ToshUeno:20130502150050j:plain

・・・というわけで、早々に切り上げてホテルへ。

ホテルに向かう道が狭い上に商店街で人通りが多い、ってことはストリートビューでわかっていたので、できるだけ早めに行くのが吉だと考えていたからだ。

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長崎は、なかなか運転スキルを要求される街だった。

坂道も多く、さほど広くもない道を、結構な量のクルマが走っていた。

そして、警報機も遮断機もない、市電の踏切。f:id:ToshUeno:20130502150743j:plain

一度、あまり意識せずに通り過ぎたら、電車が動き出してこちらに向かっている所だった。

いやいや、あれはねーわ。

 

ホテルは、この旅の鬼門であった「機械式」「トレイ式」「横ずれ防止?の溝が切ってある式」の立体駐車場だった。係のおばちゃんの責め立てるような案内に渋々従いながら、なんとか入庫。

気分は最悪だったが、なんとかガマンした。

 

そして、この日は、この旅の最短距離。

  • 261.2km
  • 4時間9分

 

早くホテルに着いたので、日が出てるうちに街に出た。

思案橋横町は、いい感じだった。通り過ぎただけだけど。f:id:ToshUeno:20130502171718j:plain

アーケード街は人通りも多く、フツーに都会だった。

晩飯を食う店を探したが、ピンと来るところがなく、結局全国チェーンの居酒屋へ。

「日本海庄や」だったか、どこだったかも覚えていない程、我ながらつまらない選択だった。

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