ラジカセがいつもそばにあった頃(1):エアチェック(死語)とカセットテープ
「現実はいつも殺伐としている、
昔をふり返るばかりがいいことではないけれど」と、昔さださんが東大寺のコンサートで言っていた。
できる限り「いま現在」のことを書きたいのだけれど、イチ個人の極マイナーブログとは言え、リアルタイムの話題であまりいい加減なことは書けない。「ホントに○○は××なのか?」チクイチ確認しようとすると、けっこう手間と時間がかかる。
が、昔のことなら多少テキトーに書いても「ま、『記憶違い』ということで・・・」「いちおう検索したんだけど情報がヒットしなくて・・・」みたいなテキトーな言い訳で大目に見てもらえそうなので、また新たな「昔をふり返る」シリーズを始める。
昭和40年男
「昭和40年男」という雑誌がある。
超一流バイク雑誌「風まかせ」で有名な「(株)クレタパブリッシング」が出版している、ざっくり言うと
- ガキの頃(70~80年代)の、自分も日本もイキイキしてた頃をふり返って、殺伐とした現実に対処するための活力にしよう
的な雑誌である。
私は昭和40年生まれではないが、ほぼ同世代であるので「Vol.10:2011年12月号(WALKMAN2が表紙の号)」から、興味がある号はずっと愛読している。
ラジカセの時代
「昭和40年男」の最新号(Vol.30:2015年3月号)は、ラジカセ特集である。
とても楽しみにしながら、いつもどおりiPad用にデジタル版を購入したが、正直に言って特集(メイン)の内容自体は期待外れだった。
ラジカセの“メインストリーマー”であったSONYの機種がたったの見開き4ページ、うち最初の2ページが1台のモノラル機(CF-1980II)。それ例外に掲載されていた機種も「ZILLBA’P」と「Metal365」以外は、うーん・・・ちょっと的外れじゃねえかなあ・・・ってカンジのヤツばかり。「もっと他にもいい“マシン”がいっぱいあったのになあ・・・」と思った。
なにより残念なのは、当時私が愛して止まなかったマシン、まさに「愛機」がカケラも載っていなかったこと。「1979年=あのウォークマン初号機が誕生した年」に発売されたエポックメイキングなマシンであるにもかかわらず。
わかってねえなあ・・・
ま、その愛機については、ここで書くのはちょっともったいないので、また別の記事で。
カセットテープとエアチェックの青春
当該雑誌に載っていたラジカセは、パイオニアの「ランナウエイ」以外はいまいち私の「懐かしさ琴線」には触れなかったが、「カセットテープ特集=魅惑のカセットテープたち」は良かった。懐かしいメーカー/ブランドのカセットテープがたくさん掲載されていた。
雑誌の記事を載せることは当然できないので、代わりに当時エアチェック(死語)したオリジナルテープ(死語)のうち、思い出の“高級”カセットテープを掲載する。
SONY DUAD(デュアド)
なぜ46分テープかというと、60分は高くて当時の自分の小遣いでは買えなかったから(笑)。当該雑誌には「60分=¥800」とあったが、もっと高かったんじゃないかなぁ・・・
「DATE:55.4」は昭和表記。ちなみに当時は、西暦で年号を言ったり書いたりすることはほとんどなかった。
A面(死語):さだまさし- さだまさし - 中島みゆき - 山下達郎 - 谷村新司
B面(死語):松山千春 - トワ・エ・モア - 高田みづえ - 鹿取洋子 - 長渕剛 - さだまさし
(※敬称略)
さださんで始まり、さださんで終わる(笑)。「ミュージック」がなぜかドイツ語表記だったり、ライブラリ集・“通常シリーズ”の60分テープに対して46分だったので「MINI」とタイトルに付けるセンスが、ワレながら笑える。
この頃はまだ、ただインデックスを書いているだけでジャケットを“装丁”はしてなかった。
TDK MA-R
当該雑誌に記載されていた値段はなんと「60分=¥2,000」!
なぜこんなに高いテープを買ったかというと、エアチェックで作っていたライブラリ集の「20本目記念」だったから(笑)。 後にも先にも、これほどの高級テープを買ったのはこの時だけだった。
ちなみに、私の愛機はメタルテープ非対応だったが、フツーに録音再生できた。まあ、ヘッドには良くなかっただろうけど。
どんなにテープが高級でも、しょせん中味はエアチェック。17歳の春。青春だなあ・・・
ジャケット写真。
この人が誰なのかまったく覚えていないが、単純にキレイなのでジャケットに採用(笑)した記憶がある。
今から思えば、FMから流れてくる曲をただ録音して、カセットテープの“装丁”を手作りしていただけなのだが、当時はそれが楽しくてしょうがなかった。
冒頭のさださんの東大寺ライブも、NHKーFMで放送されたヤツをエアチェックして、何度も何度も聞いた(当時、実家にはビデオデッキがなかった)。
ガキの頃、私の部屋にはラジカセがあり、プライベートな時間はラジカセを中心に流れていた。
(つづく)