君は「会津博_1967」を見たか:その1:会津博を知るまで(序)
神奈川県立川崎図書館にて(一昨日)
一昨日(2015/05/22)、ふるさと会津のシンボル「鶴ヶ城」について調べたくて、神奈川県立川崎図書館に行った(▼一昨日と同じ写真)。
鶴ヶ城の史実を詳細に解説しているような書籍はなかったのだが、「ええーっ!まじで!?」と驚くほどの、いままで全く知らなかった歴史的事実が載った書籍を見つけた。
借りようかどうしようか散々迷ったのだが、
- 「借りたら返さなきゃいけねえし、それはめんどくさい」といういつもながらの怠惰な気持ちと
- 「こんな出来事があったんなら、誰かが(ネット上で)記事にしてんだろ」といういつもながらの何の根拠もないテキトーな推測
に基づき、結局なにも借りずに図書館を後にした。
ググってはみたけれど
その驚愕の歴史的事実とは、
昭和42(1967)年、鶴ヶ城跡全域を会場として、43日間に渡って「会津博覧会(会津博)」が開催された
という事実である!・・・え?「だから何だ」って?
・・・ま、会津に縁もゆかりも興味もない人にとっては、知ってても知らなくてもどうでもいい話だろうけど。
まあとにかく、「"会津博"」でググると一昨年(2013年)の「八重の桜」ブーム(※会津限定)の時のイベントばかりがヒットする。
ならば、と思い「"会津博" "昭和42年"」でググると、その往年の会津博で展示された「怪獣館」の記事がいくつかヒットするが、会津博全体の情報を伝える記事は残念ながら見当たらない。
・・・つか、この程度の検索なら図書館にいたってスマホで確認できたのに。確認できてたら、一昨日その場で本を借りたのに。相変わらず機転が利かないというか・・・アタマの回転がワルすぎる。
神奈川県立川崎図書館ふたたび
そんな自分のダメっぷりは置いといて、ネット上に情報がないのであれば、やはりあの書籍を借りてくるしかない。
というワケで、本日(2015/05/24)朝イチで、また神奈川県立川崎図書館に行ってきた。
図書館のすぐ隣に「競輪場」があるのが、「川崎っぽい」と言えば、川崎っぽい。
日曜の朝っパラから、日々を刹那的に生きている方々が競輪場にワラワラと大挙して群がっているサマを横目に見ながら、にわかインテリ気取りでガラガラの図書館に入る。
半分息を切らしながら階段で4階まで上がり、「社史室」へ。
ちなみにここは、(当たり前だが)大企業なんかにありそうなその会社だけの「社史室」ではなく、
会社史・経済団体史・労働組合史の特別コレクションは、県立川崎図書館の重点分野である科学技術及び産業関係資料を補完するものとして、開館当初から収集に力を入れてきました。
現在はおよそ1万7千冊を所蔵し、その質・量ともに全国有数のコレクションとなっています。
大企業を中心とした数多の企業の社史が、ワンフロア(けっこう狭い)に集められているのだ。
そして、お目当ての書籍はこれである。
▼「福島民友新聞百年史」 写真ヘタクソですみません
地方新聞とはいえ、「100年史」だけあって随分リッパな装丁である。 このリッパな本に、「会津博」について詳しく解説されていたのだ。
元祖・会津博について誰も語らず
とにかく、昭和42(1967)年=大阪万博の3年も前に 549,641人もの入場者総数を集めた大博覧会が、あの鶴ヶ城内で開かれてたなんて、初めて知ったのだ。父も母も、ガキの頃関わった数多の教師達も、誰ひとりとしてそんなことは教えてくれなかったのである。
ちなみに、大阪万博の入場者総数は・・・64,218,770人・・・すみません。ケタが2つも違ってました。ま、あっちは国家プロジェクトだからね。
今は亡きおやじさんも、「オレは大阪万博に行ったんだぞ」と、生前自慢気にチケットの半券を見せてくれたことがあったが、会津博については何も語らないまま、この世を去ってしまった。おふくろさんもまた然りである。
ふたりは、はたして会津博に行ったのだろうか。乳飲み子の私を連れて(または誰かに預けて)。今となっては、知る術もない。
そんなわけで、いまはもう誰も知らない、主催者である福島民友新聞社も、その歴史に銘記さえしていない「会津博」について、今後何回かに分けて自分なりにまとめてみようと思う。
・・・ま、ほとんどが「福島民友新聞百年史」からの引用になると思うけど。
▼怒られるだろうけど、こんな面白い写真を誰の目にも触れない社史に眠らせておくのはもったいないのであえて掲載
(つづく)