君は「会津博_1967」を見たか:その3:白虎隊から宇宙旅行まで

時は明治、東北最初の博覧会は鶴ヶ城で開かれた

明治7年4月、鶴ヶ城天守閣が取り壊される直前、東北地方最初の博覧会が鶴ヶ城跡で開催された。そこで、それまで武士しか中に入ることができなかった鶴ヶ城が、一般庶民に初めて開放されたのである。

 

なお鶴ヶ城では明治七年四月二十日から五月九日まで二十日間、東北地方では最初の博覧会が開かれ、会津地方の人たちが初めて城内の土を踏んだ。
戊辰戦争で最後まで戦った会津藩の象徴である鶴ヶ城は、無数の弾痕を残していたが、それまで武士以外の人は城内に入れなかったので、庶民にとっては初めての城内見物でもあった。

-福島民友新聞百年史:昭和・中期編:6 会津博覧会の大成功

想像してみて欲しい。f:id:ToshUeno:20150527012720j:plain
激しい内戦によって心に傷を負った人々が、その傷も癒えぬまま、自分たちのまるで身代わりになるようにして深く傷を負い、そのまま放置された郷土の象徴を、初めて間近で仰ぎ見た時の心情を。

同郷の子孫として、先人の悲しみや絶望の深さはいかばかりであっただろうと、心痛を禁じ得ないのである。

時は昭和元禄、また同じ舞台で

昭和の「会津博覧会(以下「会津博」)」は、明治の博覧会から約90年後、戊辰戦争からちょうど100年後の昭和42(1967)年、その内戦争の”中心舞台”であった鶴ヶ城跡で、9月10日から10月22日までの43日間にわたって開催された。

会津博の何が興味深いか

昭和42(1967)年に開催された「会津博」で興味深い点として、

  • 鶴ヶ城天守閣を中心として鶴ヶ城跡全体を会場としていたこと

は、前回も前々回もシツコイぐらいに述べた。それ以外にも、いくつか面白そうな展示や出来事があるので紹介しよう。

「白虎隊から宇宙旅行まで」

「会津博」の開催年である1967年、世はまさに宇宙開発競争が華やかなりし頃。この2年後には、アポロ11号が月面着陸をした(とかしなかったとか)、そんな時代。

鶴ヶ城天守閣のソバに、その高さに迫らんばかりの巨大なロケットが置いてある光景の写真を見て、度肝を抜かれるのは私だけではないだろう。
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開催場所は東京や大阪ではない。会津なのである。「よくこんなモノここまで運んできたなあ」まずそれからして驚きだ(まあこれは”ホンモノ”のロケットではなかったようだが)。

そして、サブテーマを「白虎隊から宇宙旅行まで」として(なんだそりゃ(笑))、

  • 月面のパノラマ
  • 月面から見た地球の姿
  • 通信衛星(の模型)

など、宇宙に関するさまざまな展示がなされたのである。大阪万博の「月の石」のような飛び道具こそなかったけれど、繰り返して言うが、開催地は50年近く前の会津なのである。いまでも田舎だが当時はもっと田舎だった会津の人達が、刮目してそれらの展示物を見つめたであろうことは、容易に想像できる。

怪獣館

会津博が開催された昭和42(1967)年9月は、初代「ウルトラマン」の放送が終わり、「キャプテンウルトラ」の放送が終盤を迎えた頃だろうか。

テレビ後進県である福島県(1970年にようやく2局目の「福島中央テレビ」が開局)は、昭和42年当時、民放のテレビ局は福島テレビ1局しかなかったはずなので、はたして「ウルトラQ」「ウルトラマン」並びに「キャプテンウルトラ」が放送されていたかどうかは不明なのだが、「福島民友新聞百年史」には、以下のように記されている。


  • 怪獣館
    須賀川出身の円谷英二映画監督が生み出した怪獣のさまざま、映画撮影のスタジオ、怪獣との力くらべなど、子供たちの人気の中心となった。 
    -福島民友新聞百年史:昭和・中期編:6 会津博覧会の大成功

当時の会津の子供達は、はたしてウルトラマンを見ていたのだろうか。

以下、ヨタ話

もっといろいろ書こうと思っていたのだが、残業(という名の会社組織へのご奉仕)のために時間がなくなってしまったので、今日はこの辺でヤメときます。

おやすみなさい。

 (つづく)