「スズキ歴史館」に行ってきた:お楽しみ篇(1)
3階「ものづくりの歴史」フロアへ
2階フロアで「クルマができるまで」をたっぷり勉強した後は、「時代をさかのぼる階段」を上がって3階へ向かう。
上に行くに従って時代が過去へと流れていく、これはまさに“タイムトンネル”だ(大げさです)。
タイムトンネルを抜けると、そこは「鈴木式・改良自動織機」の看板が掲げられた、明治末期の足踏式織機工場であった。
店主は、すでに銅像になっていた。
この人がいなければ、愛機・M109Rも誕生しなかったワケで、取り急ぎ敬礼しておいた。
ちなみに、「”タイムトンネル”って、ワレながら言い得て妙だなフフ」なんてホクソ笑んでたら、まるも亜希子さんが雑誌「ahead」で既にそう表現されていた▼(パクったワケじゃないヨ)。
女性に寄り添ってきたSUZUKIを知る スズキ歴史館を訪ねて | ahead magazine archives
さらっとしか見てないけど(※じっくり読むと影響されちゃうので)、女性らしい視点の表現豊かな内容っぽかった。やっぱり、プロには勝てないわ(当たり前です)。
自動織機いろいろ
足踏式自動織機(杼箱上下器搭載織機)のレプリカ。
マネキンが、2階にたくさん置いてあった「人間の形をした黒い物体」ではなく、女性らしいやさしい表情を湛えた白いヤツで安心した。あの黒いヤツだったら、興ザメもいいとこだったよ。
この規模の織機だと、製造業の発達史的には「家内制手工業」あるいは「問屋制家内工業」ぐらいの段階だろうか。
上の写真のような女性がホソボソと家内工業を営んでいた時代のちっちゃいヤツから、
「工場制手工業(マニュファクチュア)」の頃であろう中規模のヤツ、さらに「工場制機械工業」に移行してからの巨大なヤツまで、
「これでもか」ってほどに自動織機(およびその関連機器)が並んでいた。ただ正直、あんまり・・・というかまったく興味を惹かれなかったので、掲載はこのへんで。
まあ、「スズキの歴史は自動織機から始まったんです、だからいろいろ見てもらいたいんです!」って思いはわかるのだが、自動織機を見て楽しめる人はそんなに多くはないだろう。
ならば、これらの展示を半分にして、そのぶん二輪/四輪の展示を充実させた方がココに来る人たちの大半は喜ぶと思うのだが・・・。
お楽しみはここから
いよいよ、待望の二輪展示ゾーンに足を踏み入れる。まずは、「チャリンコに毛が生えた系」のヤツから。
パワーフリー E2 (1952)
スプリンガーソフテイルみたいな(H-Dオーナーに怒られます)フロントサスが装着されている点に注目。はたして効果があるかどうかは、ハナハダ疑問だが。
ダイヤモンドフリー DF (1953)
このカタチは「チャリンコ毛生え系」からオートバイへの過渡期なのか。フレームはもう既に立派なシングルクレードル?
コレダ CO (1954)
「チャリ毛系」からわずか2年で、もうすっかりカタチはオートバイ。カタチだけじゃなく、主要諸元もすっかりリッパなオートバイ。
- 4サイクル(!) OHV単気筒90cc
- 容量7リットルのティアドロップ型タンク
- 国産量販車初のスピードメーター装備
ちなみに、「コレダ」は誰もが連想するとおり「これだ!」という意味(笑)。
ダイヤモンドフリー:アジア~ヨーロッパ巡走車 (1956)
1956年3月から2年かけて、バンコク~パリ間の32カ国・47,000kmを走破したという”偉業”を成し遂げた、その実車(が、こんな素っ気ない展示をされている)。
「1956年」となっているが、「その年からアジア~ヨーロッパ間走破の冒険に出た」というだけで、年式的には上の「コレダ」と2つ上の「ダイヤモンドフリー DF」の中間ぐらいだろうか。
だから、こんな「チャリ毛系+α」で、「よくもまあ(当然ほとんどが悪路だったはずの)47,000kmを走破したものだ」と感心したり、「ホントかよ?」と疑ったり。それにしてもホント、もうちょっと”偉業を称える”カタチの展示をした方が良くないスか?(笑)
コレダ ST-6A (1959)
ここで初めて、現行の「S」字マークが登場する。
まあとにかく、こんなふうにギチギチに並べてあって、後方のヤツなんて写真もまともに撮れたもんじゃない(笑)。
前段の自動織機の項でも書いたが、「アクセスが決していいとは言えないこの博物館に、人々は何を求めて来るのか」を、この3階フロアを管理する人たちはもう少し考えた方がいいと、私は思う(※あくまで個人の見解です)。
(つづく)