「スズキ歴史館」に行ってきた:お楽しみ篇(3)
まだまだクルマはあるだに(遠州弁)
大変恐縮ながら、またまた連日の「スズキ歴史館」に展示されていたクルマのお話。
以前「トヨタ博物館」の記事を書いたときは、1本の記事に大量のクルマをまとめて載せたので5日ぐらいかかったのだが(※もちろん一日中書いていたわけではない)、いまは「1日1本投稿」を自分自身に課している。
そして、クルマは1本にまとめるつもりでいたのだが、写真も「撮って出し」しているワケではなくてすべてトリミングなど多少の加工をしているし、車名やそのクルマの”背景”を確認するのにも時間がかかるので、結局”小出し”になってしまった。
ところで、いま気づいたのだが、「Car Watch」のこちら▼の記事にここ「スズキ歴史館」の四輪のほとんどが掲載されていた。
この「Car Watch」の記事は2009年の「スズキ歴史館」開館直後のものなのだが、私が行った2015年6月19日も当時とラインアップがほぼ同じだった(笑)。
というわけで、以下、“プロ”の文章と被らないように、できるだけ自分自身の言葉で書いてみるが・・・、そのクルマの裏話ができるほど博識ではないので、結局現地のパネルに書いてあったことや私自身の感想になってしまうのは、どうかご容赦のほどを。
フロンテ360SS(LC10)(1968)
「SS=ストリート・スポーツ」を標榜し、レーシングドライバー:スターリング・モスがイタリアの高速道路でテストを行ったという個体で、いちおう、イタリアっ“ぽい”展示にはなっていた。ちなみにこの2代目・LC10からRRになっている。
フロンテ800 (1965)
クルマ好きを自称している私であるが、このクルマの存在はまったく知らなかった。もちろん、ナマで見るのも初めて。
いわゆる「2ドアセダン」。「これが1960年代のスズキのクルマ?(失礼)」って思うほど、かなりカッコよくて驚いてしまったのだが、販売面では競合車であるトヨタ・パブリカ等に押されて振るわなかったらしい。
こちら▼の詳しい記事に「ほとんど手作りで細々と生産された」とある。
手作りでこの曲面を作り上げた当時の職人さんはスゴいが、いちいち手作りしてたんじゃ、そりゃパブリカにはかなわないだろう。
キャリイバン(L40V)万博電気自動車 (1970)
真ヨコから見ると前後のデザインが同じという変わったデザイン。だったら真ヨコから撮ればいいものを、このクルマはこの写真だけだった。気が利かねえなあ。
ちなみにデザインは、あのジウジアーロ氏とのこと。
フロンテクーペ (1971)
このクルマはよく覚えている。スーパーカーブーム世代なのに、スーパーカーなんてものには田舎ではお目にかかれないので、こういう”尖った”デザインのクルマで、スーパーカーへの”憧憬”を紛らわせていたのである(泣)。
たとえ、その対象がこのクルマのような軽自動車であっても(号泣)。
ちなみに、メーターは6連メーターだった。ガラスが反射して、その様子はウマく撮れなかったが、逆にガラスに映り込むオートバイや展示物が、この歴史館っぽい。
ジムニー LJ20型 (1972)
軽とは言え、この車体に「2サイクル・2気筒・359cc」でまともに走るのか疑問だが、「最大傾斜角35度の優れた登坂能力を発揮」とあるので、スペックから受ける印象ほどは非力ではなかったのだろう。
歴代ジムニーそろい踏み。左端が初期型(LJ10)、一番奥がジムニー55(SJ10)。
フロンテLC20 (1973)
この辺の時代のクルマになると、昭和40年代前半生まれの私の記憶にも登場してくる。
アルト(初期型) (1979)
「アルト47万円」。ただ車名と値段を合わせただけなのに、なぜか”名コピー”のように聞こえてしまうほどエポックメイキングな、70年代最後の(ある意味)名車。
「アルト47万円と比べてみよう!」 ラジカセとかパソコンとか松田聖子のシングル盤とかは皆ホンモノが置かれていた。もっと正面近くから撮りたかったが、ガラスが反射してどうにもキレイに撮れないので断念。
コンデジじゃなくてもっといいカメラなら、こういうシチュエーションでもキレイに撮れるのだろうか。
マイティボーイ (1983)
稀代の名コピー「スズキのマー坊とでも呼んでくれ」で有名なクルマ。というか、どんなクルマかはまったく覚えてなかったが、その車名とコピーだけは覚えていた。
CMキャラクターは「東京JAP」。摩天楼ブルース。
こういう「ヘンなクルマ」は、「スズキならでは」だなあ・・・現代の安全基準でも、このリアの意匠は許されるのだろうか。
カルタス (1984)
これまた稀代の迷コピー「オレ・タチ・カルタス」だけが記憶に残るクルマ。パネルを読んで初めて知ったのだが、GMと業務提携して技術供与を受けて開発したとのこと。
ビターラ(エルトン・ジョンモデル) (1988)
初代エスクードの海外仕様版。これは1997年にドイツで発売された特別限定モデル。ずいぶん長い間生産されていたことがわかる。
ちなみにエルトン・ジョン氏のサイン入りだが、例によって素っ気ない展示。
ワゴンR(初期型) (1993)
「エルトン・ジョン氏のサイン入りカー」はあんなに素っ気ない展示なのに、こちらは超華やかなスペシャルステージに展示。
さすが、ランボルギーニ・カウンタックをデザインしたかのマルチェロ・ガンディーニ氏が愛用している(と言われている)だけのことはある。
カプチーノ(初期型)
いま現在でもたまに目にする「カプチーノ」は、大概乗りツブされてボロボロなのだが、この個体はさすがにキレイだった。
このタルガトップ(?)部分がこれだけピカピカなのは、すごくひさしぶりに見た気がする。
いつの時代も、クルマ好きはこういうクルマに乗りたいのに、スズキはもうこんなクルマを作ろうとはしないだろう。そして、こういうクルマを作り続けられないのは、自動車メーカーにとっても不幸なことだろうと思う。
ツイン (2003)
隠れた名車・ツイン。販売期間が3年にも満たない、生産台数1万台ちょっとのマイナーカーだが、トリを飾るにふさわしいスバラしいクルマなのである。
だって、「最小回転半径=3.6m」だよ?オートバイじゃねえっつの(笑)。
こういう割り切った(ちょっと割り切り過ぎだが)クルマを作れるところが、スズキのスゴいところであり、スズキがスズキたる由縁なのだ。
ちなみに、ネット上の試乗レポート系では私がもっとも好きな「モーターデイズ」でも、絶賛されている。
(つづく)