映画「はだしのゲン (1976)」を観た
漫画「はだしのゲン」
現代の多くの人が「少年ジャンプ」に対して抱く(であろう)イメージからすると*1 何か信じられない気もするが、漫画「はだしのゲン」は当初「少年ジャンプ」で連載されていたのである。1973年、オイルショックの影響で少年ジャンプの厚さが1.5cmぐらい(※オレ記憶)しかなかった頃の話だ。
当時私はまだ保育所に通うクソガキだったので、原爆なんて何のことかさっぱりわからず、当然おもしろいと思うこともなく、兄貴が買っていたその漫画雑誌に同時期に連載されていた「トイレット博士」や「マジンガーZ」に夢中だったのだが、どこか”異質な”作風の漫画だったことだけは覚えている。
その数年後、昭和7年(1932年)生まれで戦争体験者*2であるおふくろさんが自分で読むために買ってきた単行本を、夢中で何度も読み返した記憶がある。
私にとって「はだしのゲン」は、原子爆弾の恐ろしさを教えてくれる唯一の「教科書」だったのである。
映画版「はだしのゲン」(1976)
実写映画である「はだしのゲン」は、Wikipediaによると「1976年公開」とあるが、その年に観たのか、次の年だったか記憶が定かでない。
なぜなら、私の故郷である会津坂下町には映画館(坂下銀星座)はあったが、田舎なのでロードショーと同時期に新作映画を上映することはまずなく、どんな映画も数ヶ月は遅れて上映されていたし、しかもさらにこの「はだしのゲン」は、映画館でなく町の体育館(笑)で観た記憶があるからだ。
キャストで覚えているのは、ゲンの父親役の三國連太郎さんと母親役の左幸子さんぐらいで、あとの残りのキャストも、ストーリーもほとんど覚えてはいない。ただひとつ明確に覚えているのは、昨日(2015年8月6日) の記事にも書いたとおり、ラストシーンで母親役である左幸子さんが強烈な天皇批判をすること。
昨日記事を書きながら「でもオレの記憶なんてアテになんねえからなあ・・・映画観たいなあ・・・」なんて思いながらググってたら、なんと「『チャンネルNECO』で「はだしのゲン」3部作を一挙放送する」というではないか・・・!
「まじか!放送日は!?今日(8月6日)じゃん!まあそりゃそうか・・・で、何時?もう放送終わってんじゃん・・・」
「ん?でも明日(8月7日)も再放送すんじゃん! おし、契約すっか!」 ※すべて昨日の心の声
というワケで、昨日帰宅後、映るかどうかもわからない*3「チャンネルNECO」を早速契約した。
はたして、ちゃんと映っているだろうか・・・
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映ってた! ※▼後述の天皇批判をするラストシーン良かった・・・。
つか、こんな緊張感を味わわなくても、フツーにAmazonでDVDが売られてた。
天皇批判をする映画だから、DVDなんて売られてないと思い込んでいた。
まあでも、2,000円以上払ってDVD1枚買うよりは、540円で「チャンネルNECO」を契約して観た方が”オトク感”はある。今なら「闇金ウシジマくん」 ももれなく観られるし。
骨太な反戦映画
前置きがずいぶん長くなってしまったが、肝心の「映画版:はだしのゲン (1976)」は、徹頭徹尾、びっちり「反戦映画」であった。
ストーリーは、漫画の単行本で言うと第1巻にあたる。原子爆弾を落とされる2ヶ月前から、被曝して敗戦に至るまでの、ゲン一家の日常を描いている。
ゲンの父親(三國連太郎)は、「非国民」と呼ばれても、特高に痛めつけられても、町内会で村八分にされても、声高に「反戦」を叫び続け、子供たちにも「戦争は悪である」と教え続ける。
ゲンを始めとする5人の子供たちは、そんな父親のせいで学校や町でいじめられるので当初は父親に反発するが、どんなにヒドい目にあっても決して信念を曲げない父親を見て、やがて父親を信頼し、世間を訝しむようになっていく。
たとえば、朝鮮人を馬鹿にした歌を歌うゲン達を叱った後、父親がこう諭す。
朝鮮人も支那人もみんな同じ人間じゃ
「馬鹿で弱い相手じゃけえ戦争に勝てる」と信じ込まされとるんじゃ
ええかゲン、騙されちゃいけんよ
騙されんことが戦争を防ぐことのできるたったひとつの道なんじゃ
とにかく、父親役の三國連太郎さんのひとつひとつの芝居に”スゴみ”があって、映画全体が締まっている。
それにしても、こういう「ザ・役者」みたいな人が少なくなっちゃったねえ・・・
稀代の天皇批判
昨日から書いているが、ラストシーンではゲンの母親(左幸子)が昭和天皇を思いっきり批判する。「もしかしてカットされてるんじゃ・・・ 」なんて不安だったが、きっちり放送された。すばらしい。「チャンネルNECO」はすばらしい専門チャンネルだ。
で、その問題のセリフは、私の記憶に基づいて昨日記事に書いた内容とはだいぶ違ってた。まあ大学に入る記憶力さえない私の、しかも40年近くも前の記憶なので当然と言えば当然なのだが。
天皇陛下様・・・天皇陛下様
あなた様はこうやって戦争をやめさせる力がおありになった
じゃたら・・・じゃったらどうして、戦争を始めるときに止めてくださらなかったんですか
この戦争がおきんかったら、ピカドンでこげんむごたらしい死に方せんでいかったんですよ
戦争を始めたのは誰です?
誰なんです?
誰なんです・・・
「なぜ早く終わらせなかった」ではなくて「なぜ始めるときに止めなかった」だった。ぜんぜん違うじゃん。すみません。お詫びして訂正します。でも昨日の記事はあえて修正しない。というか、記事の論旨*4が変わってしまうので、できない。
昔の会津坂下町のオトナ達に感謝
古いアルバムを確認したら、ちゃんと映画の半券が残っていた。オレエラい。
こちらの記憶は合っていて、ちゃんと「坂下町民体育館」で上映した”証拠”が残っていた。映画の内容自体はほとんど覚えていなかったが、「反戦」の意識はきちんと植え付けられたと思う。
この映画を体育館で上映すると決めたのは誰だろうか。「チケットぴあ」なんてない時代、前売券は小学校で売られた記憶があるので、町の教育委員会だろうか。その誰かを知る術はもうないし、おそらくご存命の方も少ないと思うが、この映画を観るように”仕向けて”くれた当時の会津坂下町のオトナ達に、心より感謝する次第である。