「空が、赤く、焼けて」を泣きながら読む
今週のお題「読書の夏」
「空が、赤く、焼けて 原爆で死にゆく子供たちとの8日間」
この本は、奥田貞子さんという無名の女性が、原子爆弾が落とされた直後の広島で出会い、死んでいった子供たちのことを、ありのままに描いた稀代の記録である。
瀬戸内の島で原爆投下の8月6日を迎えた著者は、その翌日、広島にわたり、兄の子供たちを探して町中を巡ります。
これは、そこで出会った子供たちの死に立ち会い、彼らの最期の言葉を克明に綴った日記です。
- 「空が、赤く、焼けて」 表紙カバーより
重松清さんからの寄稿を含めても、わずか147ページ程の薄く小さな本なのだが、読み終えるのにずいぶん時間がかかってしまった。
ここにリアルに描かれた子供たちひとりひとりの、あまりにも”むごい”死に方を想像すると、涙と鼻水が止まらなくてしかたないのだ。そして、そんなふうに文字を追っていると、ひどく疲れるのだ。
しばくして、叔父が甘い水を作って、「ホラ淳坊」と言いながら持って来た。
だがそのときには、淳坊はもう死んでいた。
私は、悲しみと怒りが一度に胸にこみ上がってきて、くちびるを血の出るほどかんだ。
この小さな生命がなぜ必要なのだろうか。いったい誰がこんなことをしたのだろう。戦争は大人が勝手にはじめたのであって、子供には何の関係もないことなのだわ。私は心の中で本当に戦争を憎んだ。いくら憎んでも憎みきれない。
- 奥田貞子「空が、赤く、焼けて 『真っ赤な口の中』」より
日記なので当然なのだが、校正などしていない奥田貞子さんの感情に任せた記述が、かえって当時の惨状をリアルに感じさせてくれる。
戦争で最も”とばっちり”を喰うのは、子供たちを始めとする弱者だ。それは70年前も、今でも変わらない。この国は今のところ平和ではあるが、今現在でもシリアやイラクやウクライナなど、世界中では同じような悲劇が繰り返され続けている。
だから、新安保法案にただ反対を唱えるだけではなく、ジョン・レノンさんではないけれど、「争い事のまったくない地球」を想像し、そして「地球上からすべての争い事をなくすにはどうすればいいか」を、考えなければならない。
もう既に、自分の国の平和だけを考えていればいい時代ではないのである。
この本を教えてくれた「その人」
話は逸れるが、この本はある人のブログで知った。
「その人」は、70代も半ばだというのに「日本のシステム開発現場を変える!」と意気込んで、今も企業向けセミナーを開催したり、精力的に活動している人である。
ここでそのブログにリンクでも張れば話もわかりやすいのだが、ネットっていうのはどうやら繋がっているらしいので、ヘタにリンクを張ったりすると、このブログの存在が「その人」にバレかねない。それはちょっと避けたい。決して、「その人」に見られても恥ずかしくないようなブログではないので。
▲この時はまだ会ったばかりで、「よく喋るじいさんだな」ぐらいにしか思ってなかったので「講師のじいさん」なんて失礼な書き方をしているが(すみません)、この後、今年(2015年)の1月まで10回に渡って続いた一連の研修に参加するうち、「その人」は尊敬に値する人であると思い知るに至り、現在では定期的にブログをチェックしているのだ。閑話休題(閑話長すぎですみません)。
戦争体験者の声を拾い集めて
奥田貞子さんは、一連の記録の最後の方で、奇特なまでにこう綴っている。
私がいくら「戦争はおそろしいものだ、罪深いものだ」と訴えたところで、どうなるものでもないことはよくわかる。それでも訴えずにはおられない。
この悲しい思い出は私の日記の一部でしかない。けれども、この悲しい思い出は一人でも多くの人に聞いていただきたい。そして、戦争というものを、この目で見、この手でふれた者の義務として、私は平和を強く叫び続けたい。八月六日を悲しみ、苦しみ、憎しみの日としないで、神の真里にそむいた私たち日本人の悔い改めの日としたい。
- 奥田貞子「空が、赤く、焼けて 『一つだけ泊まったら帰ってくると言ったのに』」より
この本に書かれているむごたらしい惨状を目の当たりにしてもなお、自分たちを責める日本人の”精神性”が、この国の戦後の平和を守ってきたのだろう。
ごく一部の、著しく想像力が欠如した人間たちが始めた「戦争」という愚行によって犠牲になった、何の罪もない市井の人々が いかに”むごい”死に方をしていったか。
奥田貞子さんのように、それを現実に目の当たりにして、言葉にすることができる人たちがどんどん減ってきている。
この本「空が、赤く、焼けて」への寄稿で、重松清さんも
〔前略〕なによりも説得力を持つのは、平和や反戦、反核を訴える「論」よりも、むしろ、一人ひとりの姿がくっきりと伝わってくる、優れた「体験の記録」ではないか。
- 奥田貞子「空が、赤く、焼けて 『ささやかでなければ、伝えられないこと-重松清』」より
と訴えている。
新たな悲劇を生まないためにも、メディア関連の人たちには、今のうちにそれらの言葉を拾い集め、記録としてまとめて、世間に公開していく作業をぜひ続けていって欲しいものである。