アイドルの時代(3):80年代(1):薬師丸ひろ子と「CM NOW」
「アイドル」について書いた前回から、早109日が過ぎてしまった・・・おお、稀代のクルーザー「M109R」の109だ。なんという偶然。
前回の2つの記事は、「アイドルについて書いたら、きっとおもしろいのが書ける!」と思って気合いを入れて書いたのだが、いざ書いてみたら思いの外おもしろくなかったので、凹んでもう書くのはやめようと思っていた。
でも、今日(2015年8月12日)の日経の夕刊に、栗原裕一郎さんの「ロックと日本語」というニューミュージックについて解説したとても興味深いコラムが掲載されていて、触発されてちょっとまた書いてみようと思ったのだ。
80年に登場した松田聖子は、70年代に起こった変革の総決算のようだった。
- ロックと日本語(2)栗原裕一郎 2015年8月12日付 日本経済新聞 夕刊
「80年代=アイドル黄金期」と松田聖子
私ごときが今さら語るまでもなく、80年代は、「男と女」「ピンとグループ」「キレイ系とカワイイ系」さまざまなアイドルが群雄割拠していた、まさに黄金期であった。
80年代アイドルのシンボルである松田聖子がデビューした1980年4月、ちょうど私も中学生になった。現代風に言うと「二次元」は完全に卒業して、同「三次元」に興味が移行した時期であるが、大変失礼ながら、松田聖子にはこれっぽっちも魅力を感じなかった。
でも、兄貴と共同の子供部屋にそのポスターが貼ってあったのが鮮明な記憶として残っている。それは、「この人のどこがいいんだろう?」という記憶である。一重まぶたのその顔は、70年代に見慣れた派手な顔立ちのアイドル達に比べると、随分地味に見えたのだ。
まあいまから思えば、兄貴の方が「先見の明」があった、ということだ。
ヤクシマルと”投資”の日々
私が最初に自分の小遣いを”投資”したアイドルは、薬師丸ひろ子である。テニスウエアで出演したカルピスソーダのCM(1981)の、わずか15秒間に見せる豊かな表情に中二の私はイチコロ(死語)であった。
当時、実家にはビデオデッキなんていう”高級”家電はなかったので、おやじさんの一眼レフ(オリンパス OM-1)で”手巻き*1”でバシャバシャ連写したものだ(笑)。
残念ながらYouTubeにそのCMはアップされていないようだが*2、ほぼ同時期のテクニクスのCM(の静止画とBGM)はある。
この”おちょぼグチ”がいいんだよなあ・・・
「薬師丸ひろ子写真集」も、ナケナシの小遣いをはたいてPart1からPart3まですべて買いそろえたし、映画も「野性の証明」から「メイン・テーマ」まではすべて観たし、映画のサントラに至るまで、ありとあらゆるものを(小遣いの範囲内で)買い漁った。
パンフレットもいろいろ買ったはずだが、いま手元にあるのはコレ▼だけ。
実家に行って取ってこようかなあ・・・もう捨てられちゃってるかも知れないけど。
CM NOW[シーエム・ナウ]
手元にある”資料”を確認してたら、ものすごくおもしろい雑誌を発見した。
(株)玄光社 1982年4月30日発行「コマーシャル・フォト別冊:シーエム・ナウ」 。
表紙▼は、松田聖子の「グリコ ポッキー」のCM撮影風景。
で、裏表紙▼はその「グリコ ポッキー」の広告。徹底してます。
▲ディス・イズ・ザ・「聖子ちゃんカット」。ちょうど松田聖子が、”バリバリ(死語)” の ”ぶりっコ(死語)”だった時代。
いちおう著作権とかを気にして、「玄光社 "シーエム・ナウ"」でググったら、この当時は「コマーシャル・フォト」の別冊に過ぎなかったこの雑誌は、なんといつの間にか定期刊行物になっていて、しかもまだ現役の雑誌であった。ぜんぜん知らなかったよ・・・ってことは、コレものすごく貴重な雑誌なのかしら。
まあ著作権法的には問題があるのかも知れないが、33年も前の雑誌だし、すごく懐かしい人が載っていたので何食わぬ顔で掲載してしまおう。
ジョジ・後藤[▼左側]。いま見てもちょーかわいいっす。「キリンレモン」のCMを覚えている人も多いのではないだろうか。
このジョジ・後藤の「キリンレモン」の立て看板を、近所の酒屋から夜中に■っ■らってきたなあ・・・なるほど、そんなことばっかりしてたから、いまその報いを受けてるのか・・・因果応報。天道は善に福し淫に禍す(←マイブーム)。
閑話休題。
まあとにかく、薬師丸ひろ子だけに留まらず、他にも好きなアイドルはたくさんいて、ブラウン管の向こう側や紙の上で微笑んでいる彼女たちを見ているだけでじゅうぶん満ち足りたキモチになれた。それは、ある種の「擬似恋愛」であった。
情報でアフれ、場合によってはアイドルと双方向の関係性すら持てる現代とは違って、80年代はまだ、ごく限られた情報の中で一方通行の笑顔を見て妄想を膨らませていた、そんな時代だった。
「春の目覚め」を迎えた少年たちにとっては、かえってその方が幸せなのかも知れない。