おっさんに友達は必要なのか
日経夕刊に「プロムナード」という、様々な肩書きの人が毎日日替わりで書くコラムがあって、帰りの電車でのささやかな楽しみになっている。毎週水曜日は、当代きっての若手人気作家、朝井リョウさんが担当している。
大人のための友達論
この人の話は毎回とてもおもしろくて、「ああ、こんなにおもしろい話が安定して書けるから、こんなに若くても人気作家なんだねえ」といつも感心している。
今日(2015/08/26)の当該コラムは、「友達」に関する内容であった。
断られてもいいじゃん。また誘えば――テレビの中のその人は、そう言ったのだ。
私はその言葉を聞いたとき、自分は人見知りなんかではない、と気づいた。
自分は、人見知りという自己申告により「他人との距離を上手に測れない不器用で奥ゆかしいワタシ」を演出しているだけの、ただただ傲慢な人間なのだ、と。誘っても断られるかも、嫌われるかも、と思っている時点で、自分の誘いは断られないだろうし、自分は嫌われていないだろうと思っているということなのだ。
- 2015年8月26日 日本経済新聞夕刊 プロムナード「大人のための友達論」朝井リョウ
「誘っても断られるのが恐いと思っている=自分の誘いは断られないと思っている=傲慢」という論理は、「なるほど、さすが視点が違うなあ」とは思ったが、「自分には当てはまらない」とも思った。そもそも、誘う気がないのだから。
「友達ゼロ」は人としてダメか
「自分はダメな人間なのではないか」と思ったこともないわけではないが、それは若い頃のほんの一時期だけで、「かみさん」という唯一無二の“友達”を除くと、20代以降ひとりの友達もいたことがない私は、「これでいいのだ」とずっと思っていた。
その一方で、「こんな自分は誰にも理解されないだろう」とも思っていたが、ある記事を読んでからは、「やっぱりこれでいいのだ」と認識を強くした。
「1人の時間を過ごせる力」、言い換えれば「孤独力」は、現代をタフに、しなやかに、クリエイティブに生きるための必須能力で、今からの時代、ますます大切になっていきます。
その意味では、ビジネスパーソンに限らず、孤独を愛する人は、人生を充実させるうえで強烈なアドバンテージを持っていると言っていい。
これは諸富祥彦・明治大学文学部教授へのインタビュー記事(2013年11月)だが、読んだときは(そうでしょそうでしょ)と内心うれしくなってしまった。
特に「しなやか」っていう言葉が大好きなので。
とある飲み会の席で、「ひとりでツーリングに行って、ひとりでキャンプする」という話をしたとき、「寂しいね」「孤独じゃん」と口々に言われた。「だからいいんじゃないですか!」と自信たっぷりに言い返したのだが、みなポカーンとしつつも、憐れむような目で私を見るのだった。
まあいいだろう。諸富教授のように、わかってくれる人もいるのだから。
友達の友達は、みな友達?
ちなみに私のFacebookの「友達」は1人(笑)。最初にアカウントを作ってから、かれこれ5年以上になるが、ずっと1人のままである。その1人は、会社のひとまわり以上年下の同僚に請われたので、断れなかった。
でも、その彼が「リア充(笑)ぶり」をいちいち通知してくるのがうっとうしくて、「お知らせを受け取る」をOFFにし、「親しい友達→知り合い」に格下げした。そもそも「友達の友達だから、友達でしょ?」と友達申請を促してくるFacebookの論理は、意図はわかるが意味がわからない。
じゃあなんでFacebookに登録しているかというと、「スポット」という機能の日本地図を、丸数字で埋めるのが楽しいから。ただそれだけなのだ。
(▲北海道がスカスカなのが悔しい・・・)
ネットの世界でもこんな調子だから、このブログの読者も増えないのだろう*1。
でもまあ、「これでいいのだ」。
*1:ま、もっとおもしろいブログなら、自然と読者も増えるんだろうけど