「私の街も戦場だったⅡ 今伝えたい家族の物語」を観た

TBS「私の街も戦場だったⅡ 今伝えたい家族の物語」

放送から既に2週間以上経って今さらだが、8月15日にTBSで放送された「私の街も戦場だったⅡ 今伝えたい家族の物語」を観た。思っていた以上に”タメになる”内容だったので、今さらながら感想を書いておく。

番組の冒頭で、MCの久米宏さんが「あえて”敗戦”記念日と言いますが・・・」とおっしゃったことに、まず好感を持った。

私は「”終戦”記念日」という表現が嫌いである。どこか責任の所在を曖昧にしてしまう印象を受けるからだ。「敗戦」と表現するだけでも、無謀な戦争を始めた数多の為政者達の責任を明確にしようとする、まあそこまで言わなくても、「もう二度と戦争はするまい」という意志を、「敗戦」という言葉には感じる。

 

今もなお知らなかったことを知る

番組では特攻兵器「桜花」について、レプリカを作るほどの気合いの入れようで、その構造を詳しく解説し、その兵器に関わった人達の証言をたっぷり時間をかけて紹介していた。

「桜花」に攻撃された米兵の方にも直接取材しており、その方が特攻隊の愚策を批判しつつも、それに従ったパイロットには敬意を表していたことも印象的だった。

「桜花」のことはガキの頃から知っていたが*1、米軍がそれを日本語を使って「BAKA Bomb (バカ爆弾)」と呼んでいた、という史実は初めて知った。シンプルかつ”言い得て妙”な表現で、笑ってしまった。

こんな兵器を考え、作戦を実行に移した当時の軍関係者は、本当に大馬鹿者だ。国家レベルで考えれば、このような人命軽視の兵器を作り、使っていたのだから、ヒロシマ・ナガサキを「実験台」にされたとしても文句が言えないのではないか。

そして、戦争関連の番組だと得てして被害者の視点でしか描かれない場合が多いが、上述のとおり「桜花」では米兵の方への取材によって、「風船爆弾」のエピソードでは、その製造に携わった当時の女学生の方の証言によって、「加害者」としての側面もきちんと描いていた点も、評価されるべきだと思う。

 

私は何度でも書く

文藝春秋9月特別号で立花隆さんが

 

あの終戦にいたる現実過程がどれほど複雑なものであったかをつぶさに知るようになり、

- 「あの夏の記録」立花隆 文藝春秋 2015年9月特別号 

と書かれているように、立花さんほどの大評論家でさえもそう書いてしまうほどの複雑な事情があったとしても、それでも私は何度でも書く。

やはり、昭和天皇は、ご自分の決断で、一刻も早く、あのくだらない戦争を終わらせるべきだったのだ。その責任に一切触れようとしないメディアには、どうにも違和感がある。

番組の最後で久米さんがおっしゃった。

 

あと10日早かったら、広島と長崎には原爆が落ちなかった、なんで8月15日まで、なんで馬鹿なことをやったんだ、

「原爆が落ちたんじゃなくて落とされたんよ」というのは「夕凪の街 桜の国」の主人公・平野皆実(麻生久美子)のセリフだが、久米さんは、早く戦争を終わらせなかった昭和天皇を始めとする当時の為政者たちの愚かさを踏まえて、あえて「落ちなかった」という表現をしたのだろう。

70年目の8月も、明日で終わる。

最後の最後で久米さんがおっしゃったように、次の戦争を始めない限り、まだまだ「戦後」は続く。

この国のテレビメディアに関わる人達には、来年も再来年もそれ以降もずっと、あの戦争の真実を語り、その愚かさを考え続ける番組を作り続けて欲しいものである。

 

*1:ゲストの瀬戸内寂聴さんが「『桜花』を初めて知った」とおっしゃったのには驚いた