映画「はだしのゲン PART3 ヒロシマのたたかい (1980)」を観た
季節はめっきり、秋の装い。
川崎は今日もまた、冷たい雨だった。雨降りすぎだよ、今年の9月は。結局今年は8月下旬からの長い長い雨の後、一度も暑さが戻ることもなく、秋が深まりそうだ。悲しい。
以前、「『はだしのゲン』は夏の季語だ」と書いた。
1970年代後半に制作された「映画『はだしのゲン』」は3部作であり、1作目の記事は(「このブログのレベルでは」という注釈付きで)それなりにアクセスがある。
というわけで、もうすっかり秋ではあるが、3作目も観ることにした。
な、なんなんだ、このオープニングは!?
アゼンとした。
「唐突」というか、「スジ違い」というか、「勘違いも甚だしい」というか、「違和感ありまくりマクリスティ」というか。
いずれにしても、ふざけるにも程がある。
私は第1作目は公開当時にほぼリアルタイムで見たが、その後、2・3作目が作られていたことなどまったく知らなかった。というか、1作目のことをブログに書くに当たって「映画版『はだしのゲン』」をググるまで知らなかった。
このオープニングを観て、2・3作目がなぜ話題にならなかったかがよくわかった。
「原爆”被”投下直後」の話だよ?
いったい何をどう考えたら、この演出になるんだ?
これは私の想像に過ぎないが、大御所・平尾昌晃大先生に音楽監督を頼むに当たり、その”バーター”として、平尾先生作の曲を「平尾昌晃ミュージックスクール」の有望株・原田潤に”歌って踊らせる”ために、このオープニングをブッ込んだのではないだろうか。
ちなみに原田潤とは、この映画の少し前に「ぼくの先生はフィーバー」で一世を風靡した、あの美少年である。
映像もフザケているが、歌詞もかなりフザケている。
君はいいもの持ってるね
そいつをボクにくれないか君のモノはボクのモノ
ボクのモノはボクのモノさ気に入らない 気に入らない
そんなときにはグーチョキパー戦争なんかごめんだね
ボクはヒロシマ
ボクはハトボクはヒロシマ
ボクはハト
全体的に意味不明だし、ヒロシマの話なんだから、「ボクのモノさ」じゃねえだろ(笑)。
「誰だよこんなフザけた歌詞を書いたのは!?」と思って確認したら、この3部作の監督だった(笑)。1・2作目があまりに”不入り”だったから、心身共に疲れ切ってヤケクソになったのだろうか。
まあでも、曲自体は、平尾先生の真骨頂である”キャッチー”なメロディで、なかなか良い。
興味がある人は、ぜひこの動画▼を観てください。
やっぱり原作に忠実なシナリオ
基本的なストーリーは、1・2作目同様、原作を忠実に踏襲している。原作を読んだことがある人なら、「ああ、こんな話あったなあ」というエピソードだけで全体が構成されており、映画オリジナルのエピソードはひとつもない。
本作のストーリーは、ちょうどWikipediaのこの章▼の内容のまんまである。
はだしのゲン 4 あらすじ - 4.1 第一部 - 4.1.1 ジャンプ掲載期(第一部) - 4.1.1.2 戦後 - Wikipedia
そんな中で、細かい小道具はなかなかに興味深かった。
例えば、ゲンの同級生の女の子・野村の食卓の風景を見て驚く。
ス、スニッカーズだ!
Wikipediaによると、本国では1930年から発売されているので、この演出に間違いはない。
この映画の公開当時である1980年頃には、日本で既に売られていたのだろうか。私の田舎である会津ではまったく見た記憶はないが、明治屋とか三浦屋とか、都会の”高級”スーパーでは普通に売られていたのかも知れない。
キャストと役作りに難あり
2作目のキャストがあまりに地味すぎて反省したのか、3作目には有名ドコロが結構出演している。
長兄・浩二:桜木健一
父・大吉:鈴木瑞穂
野村スミ子:風吹ジュン
朴さん:財津一郎
中山少尉:小野進也
熊井少尉:にしきのあきら
民吉:東野英心
鉄:丹古母鬼馬二
和尚:ケーシー高峰
巡査:江戸家子猫
男:村上不二夫
青塚:赤塚不二夫(特別出演)
森田:タモリ(特別出演)
Wikipediaから、私が名前と顔が一致する人をざっと拾い上げただけでも、これだけの役者さんが出ている(「役者」ではない方もチラホラいらっしゃるが)。
この中では、米兵に強姦されて、その”仕返し”のためにパンパンになった風吹ジュンと、この漫画を読んだ人なら誰でもそのキャラクターを記憶しているであろう「朝鮮人の朴さん」役の財津一郎が、いい味を出していた。
予科練上がりと特攻隊員なのに
ただ、長兄・浩二は「予科練上がり」という設定なので、撮影当時既に30歳をとうに過ぎている桜木健一は、無理がありすぎる。
それを言ったら、長兄・浩二の回想シーンに特攻隊員として登場する、スター★にしきのと小野進也も既に30過ぎで、これまた若干違和感がある。
ちなみに、この3人は同じ1948年生まれであり、設定上は「一番年下でなければならない」桜木健一だけが早生まれで、”学年で言えば”、1コ上である。
栄養失調の母親なのに
また、ゲンの母親役である丘さとみという女優さんはこの映画で初めて知ったが、なんと健さんと同期で、東映時代劇で大活躍した往年の名女優らしい。
ただ、そんな名女優なのに、「役作り」という姿勢はなかったのだろうか。
あるいは、名女優ゆえ、「そんなものワタシには必要ないわ」とでも思われたのだろうか。
だって、昭和21年の、広島の話だよ?
自身の母乳が出なくて、赤ん坊を死なせてしまった母親の役だよ?
なんで「二重あご」なの? おかしいでしょ(笑)。
この名女優がちゃんと痩せていれば、キレイな顔立ちからして、2作目の宮城まり子よりも、原作の母親像に近かっただろうに・・・。
1作目でやめておいた方が・・・
エンディングには、栄養失調と原爆症で亡くなったゲンの妹・友子を悼む曲「星になった」が流れる。ただ、あまりにもオープニングが衝撃的過ぎて、妹を亡くした悲しみを切々と歌っている曲さえ、「ふざけているのか?」と思えてしまう。
2作目も微妙な出来ではあったが、「被爆者への差別」を具体的に描いているという点では、観るべきところがあった。
が、この3作目は、原作を良く言えば「忠実に」、悪く言えば「何の工夫もなく淡淡と」描いているだけで、あまり見所がない。
もちろんさまざまな事情があってこういう形になったのだろうが、ムダに3部作にするよりも、三國連太郎の重厚な存在感で全体を引きしめつつ、左幸子による稀代の天皇批判で最後を締めくくった1作目でやめておいた方が、映画「はだしのゲン」としての、後世の評価は上がったのではないだろうか。
(以上、敬称略)