レコードプレーヤーの思い出
十数年ぶりの電源投入
昨日、菊池桃子の隠れた名盤「OCEAN SIDE」のことを書いていて、拙宅でただの「オブジェ」と化しているレコードプレーヤーに十数年ぶりに電源を入れた。
このレコードプレーヤー(SONY PS-FL77)は、私が17歳の時に生まれて初めてアルバイトをして買ったものである。「グゴグガグゴオォォーーン」と、怪しげに動くフロントローディングの様子を見ていろいろな記憶がよみがえったので、忘れないうちに書いておく。
ホップ畑でのアルバイト
高校2年、1984年の夏休み、実家のある会津坂下町で「ホップ選別」のアルバイトをした。
おふくろさんに「レコードプレーヤーが欲しいからアルバイトがしたい」と言ったら、人づてにそのアルバイトを探してきてくれたのだ。クソ田舎ゆえ、高校生を雇ってくれるアルバイト先は限られていた。
町外れにある見明山(みみょうやま)に、キリンビールと専属契約したホップ畑があった(※現在でもあるかどうかは不明)。
高さ3メートルにもなるホップ畑から、同じアルバイトとして雇われている地元の中学生たちが、ハシゴに登ってその実を摘んでくる。
画像出典:ホップ畑: 秋田にあるべこんなとこ
ここで少し外れて秋田県大館市のこと
ちなみに上の画像のホップ畑は、出典元のとおり秋田県のもの。
写真サイズも大きく、畑の様子が私の記憶に残るイメージに一番近かったので勝手に使わせてもらった。写真を使うに当たり、
秋田県を紹介していただく目的に限り、当サイトに掲載している写真の使用を許可しております。
とあったので、撮影場所である秋田県大館市のことも書いておく。
ホップは秋田県の特産品の一つであり、特に大館市は栽培が盛んな地域だそうだ。大館市内のホップは「大手ビールメーカーが全量を買い取る契約をしている」とのことなので、私の郷里である会津坂下町の「ライバル」になるわけだ。
その大館市には、一度だけ泊まったことがある。
大館市に宿泊したこの▲記事の前日は、今までで最も「ガス欠の恐怖」に怯えた時だったので、よく覚えている。
這這の体で辿り着いたGSでも、宿泊先の「ホテル ルートイン 大館駅南」でも、上の過去記事に書いた農業用倉庫でも、そこで出会った人達はみな親切だった。
秋田県は、人情味あふれたとてもいいところです!・・・閑話休題。
ふたたび、ホップ畑でのアルバイトの話
私は高校生でいくらか身体が大きかったので、畑でホップを摘むのではなく、別の仕事を命じられた。
畑から集められてきた大量のホップを、
画像出典:遠野のホップ
「農用フォーク」で選別用の機械にせっせと運び、放り込むのである。
画像出典:木柄4本爪フォーク 千吉 SGF−1 フォーク
その後、地元のおばちゃんたちが毬花(きゅうか)を選別する。
画像出典:遠野のホップ
「世の中にこれ以上はない」という単純かつ重労働を、朝の6時(!)から夕方の4時まで、昼休憩の1時間を除いた9時間、ひたすら続けた。
17歳という若い肉体があってこそできたのであって、もし今やれば、15分と持たないだろう。
それだけの重労働をこなしても、日給はわずか3,000円(!)であった。時給に換算すると、「3,000÷9=333.3333...」円・・・。
高校生のアルバイトは私だけで、その重労働を担ったのも私だけだったので、毎日ひとり孤独に作業していたのだが、アルバイト最後の日、帰る間際におっちゃんやおばちゃんたちが皆口々に「来年もまた来いよ」と言ってくれたのがうれしかった。
結局、次の年は「受験」を理由に行くことはなかった。今思えば、どうせ勉強なんてしないのだから行けば良かったのだが、そういう「中途半端さ」が、後々の人生の「敗因」のひとつなのだろう。
あこがれのレコードプレーヤーには届かない
ホップ畑でアルバイトをしたのは、夏休みの8日間であった。
日給3,000円×8=24,000円。
対して、私が狙っていた「PS-FL77」は定価49,800円。
Sony PS-FL77 - YouTube
発売から1年経っていたせいか若干安くなっていて、会津若松市内にあった「大竹電気」で、当時45,000円程だったと記憶している。
私は 「フルオートプレーヤー」であるPS-FL77が欲しかったのであって、コンベンショナルな、手でトーンアームを動かすプレーヤーには興味がなかった。
現代の感覚だと「フルオート」と言われてもピンと来ないだろうが、レコード盤をターンテーブルに置きさえすれば、あとはボタンひとつで再生してくれるレコードプレーヤーには、圧倒的な“未来感”があったからだ。
こういう▼シンプルなヤツなら、当時2万円ちょっとで買えただろう。
画像出典:SONY レコードプレイヤーPS-150の仕様
よってバイト代を手にしたときは、
「アレ(PS-FL77)が買えねえなら、ファミコン買うべ」
と、発売されて間もないファミコン初代機を買おうとした。
当時はまだ「スーパーマリオブラザーズ」が発売される前でそれほどブームだったわけではないが、「ゲームセンターと同じゲームが家で楽しめる」というのは非常に画期的で、欲しい物のひとつだった。値段も15,000円程だったので、バイト代だけでじゅうぶん買えた。
すると、おふくろさんが
「ゲームなんか買うなら、足んねえ金出してやっからプレーヤー買いっせ! *1」
と、PS-FL77を買うための残り2万円ちょっとを出してくれると言う。
母親としては、「ただでさえ勉強をしない息子がゲーム機なんか手にしたら、一層勉強しなくなる」と危惧したのだろう。そんな母親の危惧のお陰で、無事PS-FL77を手にすることができたのである。
ま、ファミコンがあろうがなかろうが、結局勉強はしなかったんだけど(笑)。
捨てられないレコードプレーヤー
ようやく手にしたPS-FL77だが、その後、プレーヤーの価格が一気に下がったために世の中はあっという間にCDの時代になり、私自身も、上京して2年目の20歳の時、36回払い(笑)でCDプレーヤー *2 を含むシステムコンポを手にして、レコードはまったく聴かなくなってしまった。
実働、わずか3年。
今でももちろん使わないどころか、冒頭に書いたとおり、電源を入れたのは十数年ぶり、おそらく21世紀になってから初めてだろう。
それでも、このレコードプレーヤーだけはどうしても捨てられない。20歳の時に買ったシステムコンポは、とうの昔に捨ててしまったのに。
あの17歳の夏の、過酷なアルバイトの思い出と、おふくろさんの息子を想う気持ち、そしてそれを結局は裏切ってしまったという後悔の念・・・いろいろな想いが、この平べったい四角いハコに詰まっているからだ。