四十五回目の憂国忌

11月25日。やはりこの日は、この話題を書かねばならない。

三島由紀夫先生が自死してから、45年目の11月25日である。
昭和45年から45年目、昭和90年。
昭和とともに生き、「古き良き昭和」の終わりとともに自らの生涯も終わらせた大作家の目には、この国の現状は、はたしてどう映っているのだろう。



 

初めての憂国忌

上京してすぐ、通っていた予備校があったお茶の水の街角で、「憂国忌」のビラが貼ってあるのを目にした。

「ああ、東京にいれば、こういうイベントにもいつでも行けるんだなあ」

そんなビラ1枚にさえ「上京した喜び」を感じた私ではあったが、かと言って私ごときがそんな場所に行くのは畏れ多い気がして、結局、今まで憂国忌に行くことは一度もなかった。

今年こそは、会社をサボってでも行こうと思っていたが、そんな日に限って、朝から晩まで、一日中打合せが入ってしまった。

なんだかなあ・・・。

 

昭和45年11月25日

この日のことについては、今年の6月、「櫻井有吉アブナイ夜会」で三島先生の遺作本が紹介されているのを視たのがきっかけで、 

中川右介氏の名著「昭和45年11月25日-三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃」 を引用しつつ、

おふくろさんが残してくれた事件直後に発売された各雑誌の特集号も紹介したのだった。

回を追うごとに、少ない「はてなスター」がさらに少なくなっているあたりが、いかにも私のブログっぽい。

というわけで今回は、事件当時に発売された「週刊現代 三島由紀夫緊急特集号」のアンケート特集「日本の知性40人は三島事件をこう見た」より、当時の著名人の発言を拾い上げ、時代の空気を感じ取ってみよう。
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夕立ちのさわやかさ 岡潔

あの岡潔先生が事件に対してコメントを寄せていたとは、この記事を今回改めて読むまで知らなかった。
他の著名人とはだいぶ趣の異なる内容だが、「なんとも先生らしいコメントだなあ」と、納得したのだった。

 

驚いている。しかし、三島さんがあの行動をとるにあたっては、だいぶ犠牲も払っている。奥さんや息子さんがありながら、押し切ってやったことでもあるし。

私は夕立ちのさわやかさを感じる。
このうっとうしい世相の中に。

- 岡潔

三島事件は、「ミシマのハラキリ」ばかりが注目されるが、事件当時自衛隊市ヶ谷駐屯地にいた職員数名が負傷している、言わば「傷害事件」なのである。
にも関わらず「夕立ちのさわやかさ」と表現してしまうあたりに、戦後の世相に絶望していた岡先生らしさがにじみ出ている。

また、この記事は著名人の発言が3つの質問に答えるアンケート形式で構成されているが、「この事件が社会に及ぼす影響、三島文学に与える影響としてはどんなことが考えられますか」という設問に対しては、

 

世の中がこんなふうじゃいけない、と誰もが思うようになればいいけれども、影響はないだろう。(あの行動は)やることが奇矯すぎる。

しかし、それでも偉いやつだとも思っている。

- 岡潔

と、とことんまで三島先生の行為を礼賛している。岡先生にとっては、三島先生の犯した「犯罪」よりも、 戦後社会の「堕落」の方がよほど腹立たしかったのだろう。

 

昭和は終わった 山口瞳

いちばん印象に残ったのは、作家・山口瞳氏のコメントだ。以下の引用は、上述の「この事件が社会に及ぼす影響~」という設問に対する回答である。

 

この事件は、非常に画期的な、つまりエポックメイキングなものだと思います。三島さんの死によって、昭和が終わったといってもいい。

ちょうど、乃木希典が死んで、明治が終わったように、また、芥川の死によって、大正が終わったように・・・・・。

昭和という時代のもつある種の幻想、たとえば、アメリカをもう一度やっつけてやりたいというような、そんなことを考えている戦中派以前の人にとっての“昭和”が終わったといえるわけです。

- 山口瞳

「昭和のビジネスマンたちは、『経済でアメリカを負かしてやろう』と本気で思っていた」なんて話は、最近でもときどき耳にする。
山口氏のこの回答が後世のものだったら驚くに値しないが、これは1970年11月25日の事件直後のものだということが、非常に興味深い。

三島事件の翌年に「ニクソン・ショック」が、その3年後には「オイルショック」があり、それを乗り越えて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なんて言われて有頂天になり、「プラザ合意」が招いたバブル景気でハメを外して、

結局は、太平洋戦争のときと同じように、アメリカの軍門に降ったのである。

三島先生が死の数ヶ月前、

 

無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。

- 三島由紀夫

 と危惧したこの国は、

その言葉どおりの「からっぽ」な状態のまま、45年もの時を刻んできたのだろうか。

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