Huluで「つなぐヒロシマ」が観られるという話
昭和40年代当時、広島テレビによって制作されたドキュメンタリー番組について、今年7月に書いた。
つなぐヒロシマ
その記事で触れた「ある夏の記録」は、広島テレビの▼このサイト
で公開されている動画をPCで観たのだが、 つい先日、Huluのラインナップ作品をボケ~ッと眺めていたら、それらの動画がHuluでも公開されていることを知った。
そりゃあPCのディスプレイよりも、テレビの大画面で観られる方がうれしいに決まっている。このような地味なドキュメンタリー番組を、ラインナップに加えているHuluはすばらしい。
以下、現在Huluで「つなぐヒロシマ」と題して公開されている一連のドキュメンタリー作品の中から、60年代・70年代に制作された作品を引用・列挙する。
民放連盟賞金賞受賞「ある夏の記録」
保存工事が進行する原爆ドームと、闘病生活に苦しみながら原爆病院で生涯を閉じる被爆者。その怒りと悲しみ、平和を願う心を描いた。
初回放送日:1967.12.24 45分
芸術祭奨励賞受賞「朝顔」
8月6日の朝から夜の燈篭流しまで、街と人の表情を粛々と描く映像詩。静かに始まり静かに終わる1日を、邦楽だけで表現した。音楽は、当時の邦楽界各流派を超えて長老らが協力して作曲・演奏された前代未聞の邦楽ドキュメンタリー。
初回放送日:1968.11.17 50分
芸術祭優秀賞受賞「碑」
建物疎開作業中に生徒322人と教師4人が全滅した旧広島二中の悲劇を語り部・杉村春子と斬新なスタジオカメラワークで描く。
初回放送日:1969.10.09 55分
芸術祭優秀賞受賞「家路」
瀬戸田町出身の日本画家・平山郁夫の人生を辿り、平和への思いの篤さを伝える。15歳で被爆し、画家への道を歩んだ平山を支えたものは。父親の姿を通して知った仏教、平和への思いなど、平山画伯の精神的風土を発掘する。
初回放送日:1977.11.13 75分
「ある夏の記録」
そうは言っても、しがないサラリーマンである私が、平日にこれらの作品を一気に観る時間も体力もないため、取り急ぎ今日は、“代表作”である「ある夏の記録」を改めて観てみた。
昭和42年、夏。
その同じ時間軸において、保存工事の進む原爆ドームと、原爆症によって急速に病状が悪化していく女性とを、交互に対比させながらシーンが進んでいく。
当時の最新工法である「エポキシ樹脂の注入」によって、その“命”を長らえようとする原爆ドーム。
それに対して、なんら有効な治療法もなく、日に日にやせ細っていく若い母親。
原爆ドームの保存工事が一段落し、例年どおり「原爆の日」を迎えて、多くの人々が平和の祈りを捧げた数日後、その若い母親は33歳の短い生涯を閉じる。
カメラは、ただ静かに淡淡と、その母親と子供たちの様子を捉えていく。
特に葬式のシーンでは、母親の遺影に愛おしそうに頬を寄せる少女の姿に胸を打たれる。
「ある夏の記録」から50年近くが過ぎても
「ある夏の記録」で、母親を突然失ったことで戦争を憎んだであろう子供たち、原爆ドームを保存することに意義を見いだし、その方法を考えた人たち、炎天下で工事を続けた人たち、そして平和記念式典で祈りを捧げた人たち。
古びた映像の中で生きていた人たちの想いは、この国にだけは“タナボタの平和”をもたらして来た。
でも、ひとたび海の向こう側に目を向ければ、争い事の絶えないこの世界の“救いの無さ”に、絶望的な気持ちになる。
日本が、アメリカが、ヨーロッパの国々が、過去の戦争で何をしてきたのか。
テロの蛮行ばかりに耳目が集まるご時世だが、近現代において、人間が人間に対して犯してきた幾多の過ちに対する真の反省がなされず、何ら有効な手立てがとられてこなかったために、報復が報復を呼び、憎しみが憎しみを生み出していくのである。
とりわけ原子爆弾は、一瞬にして何十万もの人達の命を奪っただけでなく、その後何十年も、70年も経った今でさえ、多くの人達の身体を蝕み続けている。もっとも省みるべき愚行のひとつなはずなのに、未だ明確な謝罪の声は、アメリカから聞こえてこない。
広島テレビとHuluの英断によって提供された価値ある映像を眺めながら、そんなことをつらつら考えたのだった。