今年も1年が終わりました
暖冬を訝るクリスマス
この冬は暖冬だそうだ。
確かに、もし18歳の頃の私がいま現在の東京に来たのなら、
「東京って、あったげなあ」
と、会津弁で独りごちただろう。
だが悲しいかな、人間は歳をとる。
歳をとると、カラダのいろいろな機能が衰える。
私の体温調節機能の低下は、切ないほどに著しい。
今日も会社から御茶ノ水駅まで歩く間、北風があまりに寒くてマイった。
どこが暖冬なんだよ ┐('~`;)┌
先日買ったばかりのダウンコートがありがたかった。
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周りを見渡すと、スーツを着た人たちはペラッペラのステンカラーコートか、あるいはコート類を着ていない人も珍しくないが、みんな寒くないのだろうか。
仕事納めのクリスマス
本当は12月28日までが出勤日なのだが、こなすべきタスクも特にないし、「納会」なんてものにも出たくないし、だいいち12月28日に出勤したら“たったの”6連休になってしまうので、当日は有給休暇を取った。
というわけで、本日・12月25日が「仕事納め」であった。
今年は、3月末までは「こんなラクな仕事ばっかりしてて大丈夫かしら」なんてノホホンとしていたら、4月から怒濤の“ハードワーク・ラッシュ”。
3月までの3ヶ月間は給料の半分も稼いでなかったと思うが、4月からの9ヶ月でじゅうぶん元を取ったどころか、オツリが・・・おっと、7月に始末書モンのトラブルを起こしたのでエラそーなことは言えないか。まったく、「プログラム」ってのは恐ろしいもんだよ。たった「スラッシュ2つ」を見落としただけで、クッソミソにボロクソにナジられ(泣)、おまけにボーナスを5パーもカットされちゃうんだから(号泣)。くわばらくわばら。
とにかく仕事に関しては、今年もいいことがなかった1年だった。
故郷を思うクリスマス
長期休暇に入った安堵感から、いつも以上にハイボールを飲んだくれていたら、ふと「会津に行こうかなあ」と思い立った。
「でももう雪、積もってんだろうなあ」と思い直して、福島県出身者のソウル・サイト「ふくしまの窓から」のライブカメラをチェックしてみた。
私の故郷「会津坂下町」にもライブカメラは設置されているが、町役場から何もない町中をただ俯瞰で撮っているだけなので、夜間は真っ暗で何も見えない。
よって、深夜午前3時でもライトアップされている、会津人のソウル・キャッスル「鶴ヶ城」を見てみた。
なんと、一片も雪がない(▼2015年12月26日 午前3時30分頃)。
12月も終わるというのに、まったく雪がない。こんなことは、私のガキの頃では考えられないことだ。いまさら言いたくもないが「温暖化」の影響と、やっぱり今年は「暖冬」なのだろう。
「雪がない会津の冬は、“らしくない”」
なんて思わなくもないが、積雪どころか降雪さえ珍しい地域に安穏と暮らしている私がそんなことを思うのは、「傲慢」というものだろう。
そこに暮らしている人々にとっては、雪なんて降らないに越したことはないのだから *1。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
よく「田舎に帰る」と人は言うが、それは違う。
いま住んでいる場所が帰るべきところなのであって、田舎とは「訪れる」ところなのだ。そして、私にとって「冬の会津」というのは、訪れることさえない、ただ懐かしく思い出すだけのものなのである。
なぜなら、雪がキライだから。
おふくろさんが6年前の今頃に亡くなったのは (※12月29日が命日)、年末年始にまったく実家に寄り付かない親不孝者に対して、「冬の会津も見ておけよ」と言いたかったのかもしれない。そしてその年の大晦日は、会津特有の、見事なまでの「ドカ雪」であった。元日の朝、逃げるように川崎に帰ってきた。
そんなことも思い出し、「雪もねえことだし、ちょっと行ってみるか」と酔っ払った勢いで考えたが、天気予報は12月27日からきっちり「雪」であった。
やっぱり冬の会津は、「遠きにありて思ふもの」である。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふものよしやうらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじやひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ 涙ぐむ
そのこころもて遠きみやこに かへらばや
遠きみやこに かへらばや
- 「小景異情」 室生犀星
犀星先生の稀代の名作でごまかしてはみたものの、なんだかよくわからない記事になってしまった。
まあとにかく、今年1年おつかれさまでした。明日からはノンストレスに、ヌケガラのように、ダラけた9日間を過ごそうと思います。
*1:スキー場等の「雪を必要とする施設」の関係者は除く