映画「母と暮せば (2015)」 レビュー

もうすっかり去年の話になってしまったが、ザ・シネコン「TOHOシネマズ 川崎」で、

山田洋次監督「母と暮せば」を観てきた。

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 ▲ずいぶん久しぶりに映画のパンフレットなんてものも買ってみた

 

なんちゃってサユリスト

中学生の頃から「サユリスト最終世代」を自称してきた私 (※1967年生まれ) であるが、真実を告白すると、「主演・吉永小百合」の映画を映画館では一度も観たことがない。

「忘れてるだけで、なんか観たことなかったかな?」と思ってWikipediaの「出演作品-映画」をひとつひとつ確認したが、やっぱり記憶にはなかった。1980年代以降の作品のほとんどは、レンタルビデオやテレビ放送で観てはいるのだが・・・

小百合さん、ごめんなさい。「潮騒」はDVDを購入したので勘弁してください。

というわけで、主演・吉永小百合の映画を映画館で観たのはサユリスト歴35年目にして初めてであった。

 

ネタバレがコワイ

このブログでは、20年以上前の映画を中心に箸にも棒にもかからない(つまり何らリアクションのない)映画評を何度か書いている。なぜ古い映画ばかり取り上げるかというと、「ネタバレがどーのこーの」という批判を気にせずに、書きたいことを書けるからである。

他人様のご批判を気にするほどメジャーなブログではないとは言え、「どこまで書くのが許されるのか」は、いちおう気にしているのだ。

というのも、この▼サイトにある

 

いずれにしろ「ネタバレ」はマナー違反。

「映画を愛する心があれば理解していただけるはず」(20世紀フォックス)です。 

という言葉がとても心に響いたからだ。 

何と言っても本作はまだ絶賛公開中の、バリバリの「新作」である。かと言って、映画の内容に一切触れずにレビューが書けるほど、豊かな表現力があるわけでもない。

というわけで、「母と暮せば」に関する一切の情報を知りたくない人は、以下は読まない方が良いかと存じます。

 

あらすじ

ものすごく簡単に言うと、「母と息子の物語」である。

多くのシーンが、母・福原伸子 (吉永小百合) とその二男・浩二 (二宮和也) のふたりだけの芝居で構成されるが、「浩二は、長崎に投下された原爆によって命を落とした」という点と、「浩二は、死の3年後に母親の前に現れた亡霊である」というファンタジーの要素が加わっているのが重要なポイントである。

突然息子を失った母親の「喪失感」をベースにして、亡霊となって現れた息子との絆を確かめながら静かに過ぎていく年老いた母親の日常と、現世への心残りを捨てきれない息子の切ない無念を描く。

 

印象に残ったシーンとセリフ

ここでは、印象に残ったシーンとセリフをとおして、ネタバレにならないように映画「 母と暮せば」の断片的な感想を書いてみる。

原子爆弾炸裂時の光景

「(原爆が炸裂した瞬間の様子を)僕はこんなふうに表現してみました」

山田洋次監督ご自身がテレビのインタビューで語っていた、そのワンシーンをたまたま目にして、この映画を映画館で観てみたいと思った。

まず巨大な閃光が走り、大学で講義を受けていた福原浩二が「あっ」と叫んだ間際にガラス製のインクのボトルが一瞬で溶け落ち、轟音とともに爆風によるモノの破片や砂埃で空間のすべてが覆われる。

原爆投下の瞬間の表現は「閃光」と「キノコ雲」で済まされることがほとんどだが、山田洋次監督によるそれは「ああ、あの瞬間はこんなだったのかなあ」と想像力をかき立てる見事なものだった。

そしてまた、映画館ゆえの巨大なスクリーンと音響設備によって、その迫力がじゅうぶんに体感できたことは言うまでも無い。
TOHOシネマズ 川崎では、この映画はノーマルなスクリーンで上映されているが、もし「アトラクション型4Dシアター」で上映されたなら、

「瞬間的な突風が顔に吹き付け」「大地が震えているような地響きを体感」することになるのだろうか・・・うーん、それはちょっとトラウマになりそうだ・・・。

「あんたは元気?」

亡霊となって突然目の前に現れた息子・浩二に、母・伸子が笑顔でこう尋ねる。息子は「僕は死んどるとよ」と笑い飛ばす。
笑顔の裏にある「突然の息子の死を3年経っても未だに受け入れられない母親の気持ち」が、痛いほど伝わるシーンだ。

愛する家族を突然失った経験のある人なら、こう尋ねてしまう気持ちはよくわかるのではないだろうか。

「なんがあったかわからんかった」

浩二が、原爆によって殺された瞬間の心境を伸子に吐露する。
ヒロシマ・ナガサキでは、まさに「何があったかわからない」まま、数え切れない数の人々が一瞬で命を奪われたわけだ。

先の大戦では何百万という無辜の人々が様々な方法で殺されたわけだが、ヒロシマ・ナガサキでのそれは「一瞬で多くの命を奪った」だけでなく「その後何十年も多くの苦しみを生み続ける」という特殊性ゆえに、決して「昔の出来事」にしてはいけないのである。

「うちは生きてるのが申し訳ないの」

息子・浩二の婚約者だった佐多町子 (黒木華) が、伸子にこう言って詫びる。

被爆したにもかかわらず生き残った人達は、何の落ち度もないのになぜかこういう心境になって、自分を責め続けるのだ。

原爆投下から10数年後の広島を舞台にした映画「夕凪の街 桜の国」でも、理由のわからない罪悪感に囚われて「幸せになること」を自分自身で受け入れることができない主人公・平野皆実 (麻生久美子) の苦悩が描かれていた。

本作での町子は、浩二に対する罪の意識に苛まれながらも、別の男性との結婚を決意する。町子の結婚の報告を受けて、伸子は浩二に本心をさらけ出すのだが・・・

そのセリフで表される意外なまでに正直な母親の心情には、ちょっとドキッとさせられた *1

 

映画「母と暮せば」感想まとめ

このブログで何度も取り上げている関川夏央氏の名著「昭和が明るかった頃」で「代表作がない」などとコキ下ろされている吉永小百合だが、70歳を過ぎているというのに未だにメジャーな作品の主役を張れる彼女は、やはり偉大である。

本作が吉永小百合の「代表作」と呼べるものになるかどうか私にはわからないが、夫を病で亡くし、ふたりの息子を戦争で失ってなお、ひとりで生き抜く女の強さと、亡霊となって突然現れた息子にすがろうとする母親の弱さを、彼女独特のしなやかさで演じていたと思う。 

映画館で驚いたのは、「ジジババ+おっさんおばちゃんしかいないであろう」という私の予想に反して、多くの若者たちが観に来ていたことだ。特に女性が多かったので、「なるほど、二宮和也目当てなのか」と理解した。

20年以上前、「驚きももの木20世紀」という番組で松田優作が取り上げられたとき、映画「ブラック・レイン」での彼の芝居を「ケレン味のある」と表現していたが、「母と暮せば」における二宮和也はそのまったく逆で、「ケレン味のない」芝居であった。飄々とした雰囲気を漂わせながら、心憎いほど自然に亡霊のはかなさを演じるそのサマは、なるほど各方面からの高評価もうなずける。

そんなふたりの役者と山田洋次監督によって紡ぎ出された結末は、悲しいはずなのになぜかあたたかな気持ちになる、不思議なハッピーエンドなのである。

(以上、敬称略)

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*1:そのセリフは「ネタバレ中のネタバレ」なので、掲載は自粛します。