「Honda Collection Hall」に行ってきた:1階ロビー篇
「Honda Collection Hall」の1階ロビーには、本田宗一郎氏の小僧時代の“作品”「カーチス号」と、2階フロアのテーマ「人に役立つものを創ろう」および3階フロアの「世界の頂点を目指そう」をそれぞれ象徴するクルマ/オートバイが各1台ずつ展示されている。
カーチス号 (1924)
その存在感に圧倒され・・・る?
「Honda Collection Hall」のエントランスを入ると、すぐ右手にこのクラシカルなレーサーが展示されていて、いきなりドギモを抜かれた・・・
・・・というのは真っ赤なウソで、急いでトイレに駆け込んだときも、そこからロビーに戻るときも、すぐ真横にあったはずなのにまったく気づかなかった(笑)。
ホンダがF1初優勝を飾った記念すべきマシン「RA272」を後方から撮っていたとき(あら?向こうにナニやら古くせえマシンが置いてあるな)と、ようやく気づいたのだった。視野が狭いのかしら。ヤバイな、運転気をつけよう。
水冷4サイクル V型8気筒 OHV 8,237cc(!)
カーチス・ライト製の複葉機用8リッター(!)エンジンをフロントに積んでいるだけあって相当フロントヘビーだと思われ、ゆえにドライバーズ・シートを後方に配置しているのだろうが、この時代のレーサーは概ねこういう車体構成であった。
波打っているリアカウルが、“手作り感”を醸し出していて味わい深い。
カーチス号と本田宗一郎「私の履歴書」
本田宗一郎氏ご自身のカーチス号でのレース体験があったからこそ、ホンダというメーカーは二輪/四輪ともに「最高峰」と呼ばれるレースに挑戦したわけだ。すべてはこのマシンから始まっているのである。
ゆえに本田宗一郎氏もこのカーチス号については相当思い入れがあったらしく、氏が50代の頃に書いた日経新聞「私の履歴書 *1」の中でもちゃんと触れている。
千葉県の津田沼にあった飛行学校から払い下げてもらったカーチスのエンジンを改造して2台つくった。このレーサーは非常によく走り1着を取った。
そんな思い入れゆえ大切に保管されていたのだろう、先の戦争でのアメリカによる容赦無い無差別爆撃をもくぐり抜け、90年以上の時を経た現代にこうしてその姿を見せているのだ。
そう、これはレプリカではない。当時の個体がそのまま残され、かつ、(もちろんいくつかのパーツは交換されているとは思うが)ちゃんと走るというから驚きである。
庶民のための2台と、“勝つ”ための2台
1階ロビー中央には、
- 2階フロアのテーマ「人に役立つものを創ろう」を象徴するオートバイ「スーパーカブ C100」と、クルマ「S500」
- 3階フロアのテーマ「世界の頂点を目指そう」を象徴するオートバイ「RC142」と、クルマ「RA272」
が、それぞれのステージに配置されている。
俯瞰で見ると、こんな感じ。マシンに合わせてステージが組まれているのがよくわかる。
人に役立つものを創ろう
左:S500 右:スーパーカブ C1002階フロアには、ホンダの二輪 *2 /四輪の市販車が展示してある。その基礎をつくったのが、この2台というわけだ。
ホンダ スーパーカブ C100 (1958)
オートバイでもない、スクーターでもない独特のデザイン。オートバイと言えば黒基調のモノしかない時代に、このポップなカラーリング。 まさにエポックメイキングなマシンである。
それなのに、上の「S500」とのツーショット以外は、なんとこの1枚しか写真を撮っていなかった *3。
ホンダの礎を築いた名車であることには何の疑いもないが、ま、しょせんカブは「実用車」。ワクワクするようなマシンではない・・・と、身も蓋もないことを書いてしまうが、そんな私の「無意識」が、ろくに写真を撮らないまま、すぐに「S500」に足を向けさせてしまったのだろう。ま、しゃーない。ドンマイ、オレ。
ホンダ S500 (1963)
ホンダが四輪メーカーに参入した、記念すべき最初のクルマ・・・って、参入からまだ50年ちょっとしか経ってないのか!
S500は「トヨタ博物館」にも置いてあって、そっちの個体は若干クタビれた感じがあったが、この個体はさすがに丁寧にレストアしたのだろう、驚くほどキレイだった。
同時代の、例えばダットサン「フェアレディ(初期型) (1962)」やマツダ「コスモスポーツ (1967)」なんかと比べると若干地味でチープなのだが、このシンプルかつ“抑えた”感じが、またタマラナイのである。
世界の頂点を目指そう
左:RC142 右:RA272
3階フロアには、二輪/四輪それぞれのレース用マシンが展示してある。
ホンダ RA272 (1965)
ホンダがF1で初優勝を飾った、記念すべきマシン。
「初優勝」と言っても、年間タイトルが既に確定した後の最終戦でのことであり、1965年シーズン通しての成績を見るとほとんどが「リタイヤ」で、優勝した最終戦以外での最高位は6位なので、優勝は“まぐれ”みたいなもんだろう。まあ例えまぐれでも、参戦してわずか2年目で優勝したのはスゴいことに違いはないが。
私は、F1を始めとして「レース」というものにまったく興味はないのだが、このRA272をひと目見て自分自身が“昂揚”するのがはっきりとわかった。当時の技術者達の情熱が余すことなく込められたこのマシンからは、とてつもない“オーラ”が発せられていたからだ。
(ここで初めて奥に見えるカーチス号の存在に気づいた)
ダブルウィッシュボーン・サスペンションの複雑な構造と、ひとつひとつのパーツが恐ろしくキレイに手入れされているのに驚いた。
そこにあるのは、このマシンと、このマシンを造り上げた先人達に対する深い畏敬の念だろう。
RC142 (1959)
この個体は“ホンモノ”ではなく、「WGP参戦50周年記念事業」として、2009年に復元されたものである。
こちら▼のサイトで、テスト走行時の動画が見られる。
それにしてもこのエンジンの精緻な雰囲気は、とてもわずか排気量124ccのものとは思えない。
が、真後ろから見ると、やっぱり124ccのマシンである。車体も、タイヤも、ほっっそ!
こんなタイヤで、よくバンクできるなあ・・・。
(つづく)