福島県浜通りツーリング:2016年4月16日:後篇

国道6号線に再び戻って、北上を続ける。相変わらず続く「二輪通行禁止」の電光掲示板は無視して、行けるところまで行くのだ。

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国道6号線:二輪通行禁止区間に行く

若い警察官とおじさん

この写真▼の奥の方、「ミスタータイヤマン 富岡店」の先で、オートバイを止めるよう“命じられる”。
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ここでも、若い警察官が2人 *1、対応に当たっていた。

楢葉町の検問所にいた警察官Bの「テメェ何しにこんなトコ来てんだよ」的な態度と違って、こちらの2名は「非常に申し訳ございません」的な低姿勢で、いわき市内からずっと「二輪通行禁止」の電光掲示板をシカトし続けてきたコチラの“非”を責めたくなるほどであった。

とはいえ、問題は迂回路である。

「ここから先、二輪は通っちゃダメ」って言い張るのなら、迂回路を示すべきだ・・・というか、まずもって「すぐ傍を通っている常磐道は通行可能で、国道6号がダメ」って理屈がよくわからない。

  • 直線距離にして約2kmしか離れていないのに、常磐道の方が放射線量が低いとでも?
  • それとも、スピードが出てれば放射線の影響が薄まるのか?
  • そもそも、「二輪はダメ」の理由はなんだ? 全身が剥き出しになってるからか?
  • だったら、四輪のオープンカーはどうなんだ?「ルーフ閉めろ」とでも言われるのか?

疑問は尽きないが、そんな疑問を現場の警察官にブツけたところで答えてくれるはずはない・・・というか、彼等にそんなことを聞くのもオカド違いなので、
「相馬の方に行きたいんですけど、迂回路はどこにあるんですか?」
とだけ聞いた。

若い警察官は、ふたりとも答えに窮してしまった。その様子を見る限り、この辺の地理はまったく把握していないようだった。どこか遠方から、応援として派遣された警察官なのだろうか。

そんな若いふたりをフォローするためなのか、制服を着ていない、地元の人っぽいおじさんがひとりいて、若い彼等はそのおじさんに答えを求めた。少し離れたところにいたおじさんは、私の所に歩み寄ってきて答えた。

お:「常磐道は通れますので、でも富岡I.C.は場所がわかりにくいから・・・ちょっと遠いですけど、広野I.C.まで戻っていただいて、そこから常磐道に乗って、浪江I.C.で降りてください」
私:「浪江I.C.は降りられるんですか? *2
お:「ええ、浪江I.C.は大丈夫です」

(なんだ、結局常磐道しかねえのか・・・だったら、原付や原付二種の人はどうすりゃいいんだろうな)
とは思ったが、その疑問をおじさんにぶつけるのもこれまたオカド違いなので、素直に
「わかりました、ありがとうございます!」
と礼を言って、Uターンした。

「とみおか」じゃなくて「じょうばんとみおか」

(おじさんは「わかりにくい」って言ってたけど、広野までなんて戻りたくもねえし、いちおうカーナビで探してみるか)
と思い立ち、カーナビ(Panasonic CN-MC02L)の[50音検索]機能で「富岡インターチェンジ」を検索する。目的地までの距離が「250km」と表示される。

(に、にひゃくごじゅっきろ???)
それはおかしい。

(でも、おじさん確かに「トミオカ」って言ったよなあ)
仕方なく、ひとまず常磐道方面にオートバイを走らせる。

しばらくして、カーナビの現在地表示の端っこに[常磐富岡]と書かれた緑色の矩形に気づいた。
(なんだ、「富岡I.C.」じゃなくて、「常磐富岡I.C.」なんじゃん)
親切なおじさん、インターチェンジ名は正しく伝えていただけると幸いです。

再び、[50音検索]機能で「“常磐”富岡インターチェンジ」を検索する。そのI.C.は、その地点からわずか約3kmの位置にあった。帰宅後に調べたら、「富岡I.C.」は、「富岡製糸場」で有名な群馬県富岡市にある上信越道のインターチェンジであった。

あーーん、そっちの「トミオカ」ね・・・。

二輪通行禁止区間の資料置き場

ちなみに、実際に現地に行って確認しなくても、国土交通省のホームページで二輪通行禁止区間に関する資料が公開されている。
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画像出典:http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/20150219_01a.pdf
しかしまあ、▲なんつーURLだよ・・・。デリカシーなさ過ぎだわ(苦笑)

 

菜の花畑迷路

常磐道ではつい「スピードの虜」になりかけてしまったが、富岡町の検問所でおじさんに教わったとおり、浪江I.C.で素直に常磐道を降りる。

朧月夜

 菜の花畠に 入日薄れ
 見わたす山の端 霞ふかし
 春風そよ吹く 空を見れば
 夕月かかりて 匂い淡し

私は、この「朧月夜」という曲が好きである。
「学校で習った曲 *3」の中では、いちばん好きかもしれない。

大正時代に発表されたというこの曲も、JASRACに登録されているのだろうか。ワンコーラス分の詞をまるまる載せても怒られないだろうか。

でも、シンプルな文言で春の夕暮れの情景を完璧なまでに描写した詞があまりに美しすぎて、途中で切るのが忍びないのだ。ツーコーラス目の詞がまたすばらしいのだが、歌詞を全部載せるのはいちおう控えておこう。

この日 (2016年4月16日) は、ガレージ(借)を出てまだ間もない、首都高目黒線を走っていたときに、なぜかこの曲が脳内でリフレインし出した。鉄とガラスとコンクリートと排気ガスと人間の邪気で覆われた空間を走りながら、
(ああ、菜の花畑でも見られるといいなあ)
と思っていた。

願いは、かなうものである。
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しかも、「迷路付き」である。
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「ムサいカッコしたおっさんがひとり、菜の花に囲まれて迷っている」という画はあまりに美しくないので、迷路に入るのは自粛した。

向こう側の迷路(この辺り一帯に、同じような迷路が4つ点在していた)では、若い男女が黄色の迷路の中で楽しそうにはしゃいでいた。こういうところでデートするなんて、なかなかセンスのあるふたりだと思う。

菜の花迷路に笑顔咲く 原町区萱浜に今年も登場:福島民報「撮れたて」

東日本大震災で77人が犠牲になった南相馬市原町区萱浜で16日、菜の花畑の迷路が開放された。初日から大勢の家族連れが訪れ、一面に広がる菜の花畑に歓声を上げた。
津波で両親と2人の子どもを亡くした同市原町区萱浜の上野敬幸さん(43)が主宰する「福興浜団」のメンバーらが企画、制作した。

ガキの頃、私も愛読していた *4「福島民報」で報じられているとおり、私が訪れた当日に、この「菜の花畑迷路」は公開されたらしい。

私が訪ねた17時少し前には、私と上述のカップル以外は誰もいなかったが、「大勢の家族連れが訪れ」たそうだ。

それにしても、私と同姓の主宰者の方が、先の大震災でご両親とお子さんを2人も亡くされていることをこの記事で知って、なんだか切なくなってしまった。

遊んでいった子供たちが書いたのだろう、大きなパネルに、ずいぶんシュールな世界が展開されていた。
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一方で、「菜の花畑迷路」 の看板のスミっこに小さく、ナニゲにクオリティ高めのイラストが描かれていた(こういうさりげない感じが好き)。
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ところで下のハチ (なのか?) は、なぜキレているのだろうか。

「菜の花畑迷路」の場所は、▼この辺り *5

夕暮れどきに行けば、まさに「朧月夜」の世界が、そこに広がっていることだろう。

 

相馬市内

このブログの初期の頃にも書いたが、私にとって相馬市は、思い出の地である。 

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会津坂下町という、この国で海からもっとも離れた地域のひとつで暮らしていた私達きょうだいを不憫に思ったのか、父が毎年お盆の時期に、二泊三日の旅行に連れて行ってくれたのだ。
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そんな相馬市も、宮城や岩手のより津波被害の大きかった地域や福島第一原発周辺の帰還困難区域の影に隠れてしまってはいるが、甚大な被害を受けた被災地なのだ。

toyokeizai.net

だから、当時 (約40年前) とは街の様子も違っているはずだし、そもそも私の記憶に40年前当時の街並みはまったく残っていないのだが、宿泊していたのは、おそらくこういった「旅館街」であったと思う。
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この写真▲を撮っていたら、手前左側の旅館から飛び出てきた若い男性が、送迎バスを華麗に操って駐車場を後にした。

震災から5年が経ち、観光客も戻りつつあるのだろうか。

 

松川浦漁港

松川浦漁港もまた、相馬旅行の際に家族で何度か訪れたことのある、思い出の場所である。
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末っ子である私が輪の中心となって5人家族で笑い合った光景が、ひとつの鮮明なシーンとして記憶に焼き付いている。父も母もとうの昔に亡くなり、兄貴や姉貴とも音信不通の今となっては、さながら夢のような記憶だ。

3年前に訪ねたとき、この周囲にはまだガレキが大量に残っていたが、それもすっかり片付いて、ずいぶんキレイになっていた。
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そして、この建物はいったい何なのか、3年前はまだ一部ができたばかりでよくわからなかったが、こうして漁網などが置いてあるところを見ると、どうやら漁業関係者用の倉庫のようだ。
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念のため調べたら、これらは「漁具倉庫」と呼ばれるもので、これまた福島民報の記事よれば、今月 (2016年4月) 5日に完成したばかりとのことだ。 

www.minpo.jp

松川浦漁港も、少しずつではあるが、こうして復興が進んでいる。
じきに漁も元どおりになって、福島県内の子供たちに、私と同様の思い出をもたらしてくれることだろう。

 

セデッテかしま

帰り道、常磐道の上り線でおみやげを買うためにサービスエリアに寄った。そこは「セデッテかしま」という、ちょっとヘンな名前のサービスエリアだった。
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ちなみに「セデッテ」とは、相馬弁で「連れてって」という意味だそうだ。ホイチョイ・プロダクション的に言うと「私をスキーにセデッテ」である。

入口でまず、相馬野馬追の超リアルフィギュアにドギモを抜かれる。
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顔がもうリアルすぎて、ちょっとキモチ悪かった。

私が訪ねたのは19時半頃、閉店時間 (20時) の少し前ではあったが、それにしても4月の土曜日である。こんなステキな施設なのに客の入りが悪いのは、やはり避難指示区域に程近いからだろうか。
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今日日、新しくできたサービスエリアはどこもキレイで快適だが、ここ「セデッテかしま」も、負けず劣らず、とてもステキな施設だった。もっと多くの人が訪れて、賑わって欲しいと思う。

ま、あんまり人が多いと、私はスルーするが。

 

2016年4月16日福島県浜通りツーリングまとめ

目立ったトピックもなく、わかりやすい「食事ネタ *6」もなく、あまり書くことがないと思っていたが、いざ書き始めてみるといろいろあった。

特に、たまたま通りがかった所にあった「菜の花畑迷路」は、それを作った方がご両親とお子さんを2人も亡くされた人であると知って、(たまたまだったとは言え)その方の“想い”がこもったものを見て、感じることができて、本当に有意義だったと思う。

2週つづけてのロング・ツーリングはずいぶんひさしぶりだったが、今回は風が強かったこともあって、ちょっとキツかった。帰ってからもしばらく疲労が残った。いくら筋トレで筋肉を鍛えても、抗えないこともある。

それでもまた、衰え著しい自分のカラダにムチを打ちながら、まだまだ元気な自分のマシンを駆って、この国のそこら中に広がっているステキな景色の場所に、人々の“想い”が詰まっている場所に、行ってみたいと思うのだ。

  • 走行距離=758.9km
  • 走行時間=11時間29分33秒
  • 平均燃費=18.38km/L

(この項おわり)

 

*1:楢葉町の検問所では合計4人の若い警察官がいた

*2:浪江町は町全体が帰還困難区域で全然通れないと思っていたので、ちょっと意外だった

*3:今日日はSMAPの曲でさえ学校で習うらしいが、私たちの時代ではビートルズでさえ考えられなかった

*4:ま、親がとってただけだが

*5:スマホのGPSで写真に記録されていた場所がこのポイント。ただし、このGoogleマップに表示されている周辺の住宅は一切残っておらず、真新しい住宅が建っていたので、正確な位置はわからない

*6:結局、今回もまたいつものコンビニ飯だった