岩手リアス式ツーリング2016:2日目 (後篇)

10月21日に岩手県沿岸部を旅した記録の後篇。観光地巡りと、極寒の中を凍えながら一気に帰った、そんなヨモヤマ話。

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まさにリアス式海岸~北山崎

さすがに道端から見える景色には限界があるので、1カ所ぐらいはオートバイを置いて歩いてみよう。そう思って訪ねたのが、「北山崎」であった。

下閉伊郡田野畑村イチ押しの観光スポット・北山崎は、「全国観光資源評価の『自然資源・海岸の部』で最高ランクの特A級に格付けされた景勝地」だと言う。「特A級」と聞けばなんだかスゴそうだが、「他にどこが特A級なのか」「A級・B級・C級もあって、それはどこなのか」まで教えてもらわないと、本当の価値はわからない。

まあ私のヒネクレた考えはともかく、「特A級」のこの地はスミズミまで管理も行き届き、みやげ物屋や食事処に加えてレストハウスまであって、設備も充実していた。休日になれば、たくさんの人で賑わうのだろう。

とは言え、この日は平日 (金曜日) なので、人出はほとんどなかった・・・
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・・・と、安心したのもつかの間、駐車場から5分ほど歩いた展望台にはチラホラと人がいた。
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ゆったり絶景を撮りまくってやろうと考えていたが、私と同じように写真を撮ろうとする人が入れ代わり立ち代わりやって来るので、「いちばんのビューポイント」を独占するわけにもいかず・・・

思いのほか慌ただしく絶景を撮った。f:id:ToshUeno:20161021141451j:plain
うーん・・・ま、こんなもんかな、廉価版のコンデジでフツーに撮っただけでは。

展望台を降りると、波打ち際からこの断崖絶壁を見上げることができるのだが、眼下に確認できた階段は延々と続いていて、相当時間がかかりそうなので断念した。下から見上げれば、また違った圧巻の景色が臨めるのだろう。やはりこういう景勝地は、ツーリングの “ついでに” 慌ただしく立ち寄るのではなく、ここを目的地として、時間に余裕を持って訪れるべきなのだ。

そんな、時間に余裕がありそうな老夫婦が一組。ひとしきり展望台からの景色を眺めた後、仲睦まじく階段を降りていった。
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その一方で、写真だけ数枚撮って慌ただしく帰って行った *1、北九州ナンバー (!) のワンボックスに乗った老夫婦もいた。

   寄り添うように生きるのって、ステキなことよね

稀代の名作「翔んだカップル」の中で、老夫婦を見て薬師丸ひろ子はそうつぶやいた。「寄り添うように生きる」カタチも人それぞれだが、年老いてからもこうして二人きりで旅ができる夫婦は、この上なく幸福だろうと思う。

それぞれの人生をしみじみと噛みしめながら、展望台から駐車場に戻る。これぐらい人が少なくて・・・
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駐車場もこれぐらい空いていれば、観光スポットも悪くない。
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ツーリングは、やはり平日に限る。

 

その寂れっぷりは「じぇじぇじぇ」だったが・・・~久慈市

この旅の最終目的地は、久慈市であった。言わずと知れた、クドカン先生の不朽の名作「あまちゃん」の舞台となった街である。

3年前に岩手県沿岸部をツーリングしたのは2013年9月で、まさにその「あまちゃん」が大絶賛放送中だった頃なのだが、私はNHKのドラマを視る習慣がまったくないので、当時はその存在さえ知らなかった。

その年の大晦日に放送された「NHK紅白歌合戦」で繰り広げられた「あまちゃん」の一連のパフォーマンスを視て初めて興味を持ち、翌年「NHKオンデマンド」で3週間かけて全話を一気に視て、遅ればせながらファンになったのである。

www.nhk-ondemand.jp

そんな「あまちゃん」で「北三陸観光協会」が入っていた駅前デパートは、まだ現存していた。「潮騒のメモリーズ」の看板は、すっかり色褪せてしまっていたけれど。f:id:ToshUeno:20161021154428j:plain
この、時代に取り残された古びたビルは、一時期「取り壊される」という話もあったようだが、その後どうなったのだろうか。

同じく「北三陸駅」として登場する、三陸鉄道・久慈駅。
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平日だったが、お年を召した方々が三々五々、駅舎をバックに写真を撮っていた。

きっぷ売場、兼みやげ物屋のお会計カウンター。
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カメラを構えたら店員のおねえさんがちょうど横から出てきたが、逡巡しつつもシャッターを押した。どうもすみません。

「潮騒のメモリーズ」の衣装。
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「この衣装を着て、インスタのフレームを模したパネルを持って写真を撮る」という罰ゲームをするために展示されている。

 「北限の海女」の展示コーナー。
f:id:ToshUeno:20161021154735j:plain他の人のブログをいくつか見てみたが、3年前からほとんど変わっていないようだ。

駅前デパートの寂れっぷりは、それ自体が“味”と言えなくもないが、その周辺の歩道や隣の敷地は、ここが有名観光スポットとは思えないほど痛みが激しかった。
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せっかくの名作ドラマを観光資源として上手く生かせないあたりが、田舎町の悲しさか・・・なんて思ったが、そんなことより、沿岸部の復旧工事の方が先なのだろう。
 

ひたすら寒さを耐え忍ぶ~帰路

南下しても変わらず

「駅前デパート」と「潮騒のメモリーズ (の衣装)」の写真をかみさんにLINEして、この旅の目的は達成した。

16時を少し過ぎた頃、久慈駅前でナビの目的地に「自宅」を設定する。表示された走行距離は約700km、到着予想時刻は翌日の午前1時47分。つまり、25時47分。これはもちろん、「時間的ロス=ゼロで辿り着いた場合」の時刻なので、どうがんばっても26時は確実に過ぎる。場合によっては、27時を過ぎるだろう。次の日が休み (土曜日) で良かった。ツーリングは、やはり平日に限る。

時間はともかく “気温的に” もう少し余裕があれば、さらに青森県との県境まで足を伸ばして「岩手県沿岸部コンプリート」も達成したかったが、この日の私には、もうそんなガッツも体温も残っていなかった。なんせ下半身は、UNIQLOのペラペラジーンズ1枚である。

東北自動車道を南下するわけだから、先に行けば行くほど気温が上がることを期待した。が、宮城県でも福島県でも栃木県でも、まったく気温は変わらなかった。
M109Rには、外気温計などという今ドキの便利装備は付いていないので、道路脇にところどころ設置されている気温計でその値を目にするたび、(全然気温変わんねえじゃん・・・)と、激しく落胆するのであった。この日の最低気温は、那須高原SA付近の「5℃」。

埼玉県の都市部 (さいたま市辺り) まで来てようやく「寒い」という感覚がなくなった。「温暖な土地に住みたい」と思うのが、人間のサガだ。南関東の人口ばかりが増えるわけである。

三陸めかぶラーメンを食う

普段はサービスエリア/パーキングエリアのレストラン/フードコートなどは見向きもしないのだが、そんなことは言ってられない。骨の髄まで冷え切ったカラダを少しでも温めたかったので、温かい飲み物を買っては、レストランの隅っこで暖を取った。

例えば、岩手山サービスエリア▼。f:id:ToshUeno:20161021181039j:plain
これだけ空いていれば、自販機で買った飲み物だけで居座っても勘弁してもらえるだろう (と、勝手に自己解釈)。

飲み物ばかりではすぐに下から出てきてしまうので、前沢サービスエリアで「三陸めかぶラーメン」を食べた。
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2、3回かき混ぜてから(あ、写真撮らなきゃ)と気づいたので、実際はもっとキレイに盛り付けてある。

味は、可もなく不可もなし。マズくはなかったが、取り立てておいしくもなかった。が、それが普通である。ラーメンというと「とことんまで味を追究する料理」みたいに扱いたがるヤカラが多いが、たかがラーメンである。マズくなければそれでいい。味はともかく、おかげで30分ぐらいは腹の中が暖かかった。ありがとう、三陸めかぶラーメン。

ところで、食券を買って席に着いたらワラワラと人が集まってきた。
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22時ぐらいだと思っていたので、(なんでこんな夜中に混み出すんだよ・・・)とふと時計を見たら、まだ20時だった。全然まだまだ晩飯ドキである。17時にはすっかり暗くなり、極寒の中を耐え忍びながら走っていたら、すっかり時間の感覚がヘンになっていた。

若い時の苦労は・・・

拙宅に辿り着いたのは、26時52分。1時間ちょっとのロスで済んだ。極寒の中を走り抜けたことを考えれば、上々のペースだろう。一度だけ、首都高の竹橋IC付近で猛スピードで横から割り込もうとするタクシーを睨んでいたら、前方で急ブレーキをかけたプリウスタクシーに突っ込みそうになった (あと2~3cmしか余裕がなかった) 以外はヒヤリ・ハットもなく、今回も無事に帰ってきた。

悪路を走り抜け、極寒を耐え抜き、「まだまだ走れる」という自信になった。とは言え、あと数カ月でヨワイ50である。こんな旅ができるのは、あとどれくらいだろうか。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」とは、昔の人はよく言ったものだが、私の場合苦労 *2 を買うのが遅すぎた。

若い頃からこんな旅をしていれば、今頃はもっと、教唆に富んだ余裕のある旅ができていたかもしれない。

  • 走行距離=1,005.1km

(この項おわり)

 

*1:カメラマンである旦那さんがわざわざ三脚を立てて、奥さんはそこかしこでポーズをとる、そんな姿が微笑ましかった

*2:かみさんは「ただ遊びに行っただけじゃん」と鼻で笑ったが、あの寒さの中を数百kmも走り続けるのは、苦しみ以外の何物でもない