ヤマハ・コミュニケーションプラザに行ってきた:その3

ヤマハ発動機(株) (以下「ヤマハ」) の企業ミュージアムである「コミュニケーションプラザ」訪問記の3回目。1階の展示内容はいまいちだったが、2階は魅力的な旧車で溢れているだろう。そんな期待を込めつつ、階段を上ったのだが・・・



 

重厚な雰囲気なんていらない

2階に上がると、「ヤマハ発動機の歴史」というストレートなメインタイトルの下に繰り広げられる、重厚で落ち着いた様子の展示に気圧される。
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ちなみに木製のプロペラは、旧・日本楽器 (現・ヤマハ(株)) がピアノ製造技術を活かして造っていたもので、それがヤマハの起源へと繋がっているそうだ・・・という話は、こちら▼の記事を読んで初めて知った。

global.yamaha-motor.com

現地では、プロペラの横に刻まれている解説は一切読まなかった。なぜなら、文字を読むために遠路はるばる磐田市まで行ったわけじゃないからだ・・・って、そういう知的好奇心の無さが、ショボくれた人生の一因でもあるのだろう。閑話休題。

プロペラは何のためらいもなくスルーしたが、「ふたつのヤマハ」と題されたエンブレムに関する解説は、既に知ってはいるものの、やはり読んでしまう。f:id:ToshUeno:20161202123358j:plain
この国のクルマ/オートバイメーカーのエンブレムと言うと、トヨタの「ちんこ」日産の「土星」に代表されるように“ダサい”のが定番だが、ヤマハのエンブレムはカッコいい部類に属すると思うし、「音叉を円周部分に重ねてオートバイのホイールに見立てた」って話も、とてもセンス溢れる逸話だと思う。

重厚な展示はさらにつづく。まるで水族館のような、湾曲したガラスの向こう側に「第一号製品 YA-1」がかくも厳かに展示されていた。
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うーん・・・確かにいい雰囲気だけど、こういう感じは期待してないんだよなあ・・・。

違和感を抱きながらレンガ調の内装を抜けると、クラシカルなレーサー達がスターティンググリッドに勢揃いしていた。
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これこれ、こういう感じですよ。どれどれ、どんな旧車が置いてあるのかな?

 

狭い!

そんなおっさんの高揚は、ほんのわずかな時間で落胆に変わった。何しろ、フロアが狭いのだ。1階フロアでさえ、このテの施設にしては狭い方だと感じたが、2階・3階は吹き抜けになっているぶん、さらに狭くなっていた (ま、吹き抜けは1階でもわかるんだから、2階が狭いことぐらいちょっと想像すりゃわかるんだけど)。

なんと、市販車の展示フロアは、この写真▼に写っている範囲でほぼ全景なのである。f:id:ToshUeno:20161202124055j:plain

ちなみに、このページ▼を見ると、

global.yamaha-motor.com

コミュニケーションプラザの「在庫車」に対して、「展示中」がいかに少ないかがよくわかる。展示車両は定期的に入れ替えているのだろうが、せめて「初代VMAX」は常時置いておこうよ・・・。

そのくせ、上の写真の右奥の方には、デカいボートが3艇 (3隻?) も置いてあって (写真▼手前のボートに隠れているが、奥にもう1艇置いてある)、f:id:ToshUeno:20161202125935j:plain
貴重なスペースを盛大に“占領”していた。ヤマハ内のボート部門が「うちの製品も置いてくれ!」と懇願 (あるいはゴリ押し) した成果なのかも知れないが、これ、3つも置く必要ある?

1艇あたりのスペースにオートバイなら3台は置けると思うので、せめて1艇ぐらいに絞ってくれれば、6台も多くのマシンを拝むことができたのに。

そりゃまあ世間は広いので、「ボートが見たい!」という方も当然いらっしゃるだろう *1。が、私のようにオートバイが見たい者に対して、その数は圧倒的に少ないであろうことは容易に想像できる。数が多けりゃエラいってわけじゃないが、このテの施設は、より多くの人を楽しませるのが“スジ”ってもんだろう。

一度きちんとアンケートを取って、このクソ狭いフロアの構成を見直した方がいいと思う・・・なんてことを書いてるくせに、現地ではアンケートを書くのを忘れてしまった。

 

ヤマハ、ホンダに一矢報いる

気を取り直して、まずはレース用マシンから堪能する。元来レースには興味がないが、ただでさえ見るものが少ないのに「レーサーは興味ねえから」と言って切り捨ててしまったら、ほとんど見るものがなくなってしまう。

ヤマハと言えば、「ホンダの永遠のライバル」なわけだが、このコミュニケーションプラザは、「Honda Collection Hall」に対して完敗である。とても同じ俎上には載せられない程、圧倒的な差がある。

そりゃイチ地方都市の街中にある本社社屋に寄り添うように建てられた施設と、栃木の山奥にある超広大なレース場の付属施設とを比較するのは酷な話だが、原チャリの件と同様に「ヤマハはホンダの軍門に降った」ことを感じさせる施設ではある。

そんな中、唯一「勝っている」と思ったのが、このスターティンググリッドを模した展示方法だった。
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これは全体の絵面もカッコいいし、1台1台もとても見やすかった。 

 

レースマシン3選

レース用のマシンについてほとんど知識がないので、デザインに焦点を絞って3台だけ紹介する。

YZR500 [0W35K] (1978)

「78年にはケニー・ロバーツとともに11戦中4勝をあげ、世界GP500・3連覇への第一歩を踏み出した」というキャプションが付いていた。ボテッとしたシートカウルが、時代を感じさせる。
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お馴染み、黄色地に黒のブロックパターンは、当時「インターカラー」と呼ばれたそうだ。

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YZR500 [0W76] (1984)

「展示車両は平忠彦が全日本選手権で2年連続チャンピオンとなったモデル」とのキャプション付き。カウルの奥にチラリと見える「デルタボックス」フレームが懐かしい。f:id:ToshUeno:20161202124546j:plain
福島県民の誇り・平忠彦氏は、「汚れた俳優」・・・もとい「汚れた英雄」で、昭和の抱かれたい男No.1・草刈正雄のスタントマンを務めたことであまりにも有名。現在は、絶景大好きバイク雑誌「BikeJIN」で、ツーリング記事を連載されている *2。若い頃よりは随分ふっくらとされたが、いいオトコっぷりは健在である。

YZR500 [0W81] (1985)

白地に赤の“スピード・ブロック”+後方排気は、往年のレーサーレプリカ「TZR250 (2代目)」を想起させるが、もちろんこっちが「本家」である。
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ちなみに、黄色×黒の「インターカラー」に対して、白×赤が「ストロボ」と当時巷では呼ばれていたそうだが、現在は「ヤマハとして『スピード・ブロック』で統一している」とのこと。

「全日本選手権で平忠彦が500ccクラス3連覇 ('83年~'85年) を達成したマシン」とのキャプション付き。80年代バイクブーム全盛期、多くの若者たちを熱狂させたマシンは、30年後の今、コミュニケーションプラザの8番グリッドでひっそりと佇んでいた。

(つづく)

 

*1:例えば、「太陽の季節」なんかに感化された当時金持ちのボンボン(死語)が、「若い頃に乗っていた、あのボートをもう一度見たい」と言って訪れることもあるかも知れないが、そんな人達のほとんどは、既に鬼籍に入られていることだろう。その低俗な小説を書いた張本人は、まさに今、生き恥を晒しているわけだが

*2:残念ながら、今月号(2017年1月号)で連載終了となってしまった。