日曜日の夕方、ひき捨てられた犬
今回は日曜日の夕方に拙宅の目の前で起きた、悲しいお話。
衝突音と悲鳴
2017年2月19日、日曜日の夕方。私は台所で洗い物をしようとしていた。かみさんが近くのスーパーに買い物に出かけたので、その間に台所を片付けようと思ったのだ。ペットボトルを潰し終えてちょうどスポンジに手を伸ばそうとしたとき、拙宅のすぐ真横を通る国道1号で、「ドンッ」という鈍い衝突音がしたと思ったら、すぐに犬の鳴き声が聞こえてきた。
(なんだ!?)と思って窓の外を見ると、犬がキャンキャンとまるで悲鳴のように鳴き叫びながら、中央分離帯の辺りを這いずり回っていた。事故の衝撃で後ろ足が立たないので、そこから動くことができないようだ。
犬の後ろには、黒の現行BMW3シリーズが止まっていた。犬を避けたいのか、左にウインカーを出して車線を変えようとしている。程なくして、買い物の途中で徘徊する犬を見かけたから戻ってきたかみさんが、玄関で叫んだ。
「ねえ、犬! 犬が!」
人前に出るのはちょっとコッパズかしい部屋着 (子馬の柄) を脱ぎ捨てて階段を駆け下り玄関を出ると、既にBMW3シリーズはいなくなっていた。その後方にいたと思われるBMW製ミニ (黒に白のライン) のドライバーが、歩けなくなった犬を抱き上げて歩道に置いて、すぐに走り去った。交通量の多い道のど真ん中にクルマを停めているのだから余裕がないのはわかるが、そのドライバーの所作や表情に「犬に対する憐れみ」を読み取ることは私にはできなかった。でも、わざわざ停車して犬を動かしてくれただけでも良しとしよう・・・決して礼は言わないが。そしてクルマたちは、何事もなかったように動き出した。
その犬は、歩道にぐったりと横になって、もう起き上がることもできなかった。
「こんなとこでごめんな」
茶色で毛足が短い中型の犬だった。柴犬系の雑種だろうか。痩せてはいたが、「野良犬」というほどに汚れているわけでもない。ただ首輪はしていなかった。首輪を付けずに家の中で飼われていて、何かの拍子に逃げ出したのか、それとも捨てられたのか。それはわからない。
見たところ外傷もなく出血もしていなかったが、既に耳が遠くなり始めている私にも、「ドンッ」という衝突音がはっきりと聞こえた。相当の衝撃であっただろう。私はすぐに犬を抱きかかえて、拙宅の狭い駐車スペースの、冷たいコンクリートの上に寝かせた。
「こんなとこでごめんな」
最期ぐらいは、せめて芝生の上にでも寝かせてやりたい。こんなに「庭のない家」というものが恨めしく思う場面もなかなかないだろう。
かみさん「どうすんの?」
私「区役所に電話して」
か「動物病院とかの方がいいんじゃない?」
私「じゃあどっか動物病院に電話して」
か「わかった・・・でも、ものすごく金取られるよ」
私「・・・。じゃあ警察に電話して。区役所に電話しても誰もいねえだろうから」
か「警察の、緊急じゃない電話番号って何番だっけ」
私「・・・・・」
(そんなのはまず110番に電話して聞けばいいだろ)と思ったが、黙っていた。彼女は彼女で必死なんだろう、と思い直した。
犬は宙を見つめながら口を開けて、だらんと舌をコンクリートに垂らして、ハアハアと息をしている。私はただ、犬の顔や頭を撫でていた。「大丈夫か」「がんばれよ」そう言いながら。それぐらいしか、私にはできなかった。
そして鼓動が止まった
程なくして、神奈川県警のパトカーが拙宅の前に止まった。クルマ/オートバイに乗っているときは決してお目に掛かりたくないが、この時ばかりは心底「ありがたい」と思った。
実は歩道で犬を抱きかかえた時、反対車線の200メートルほど先に停車しているパトカーが見えたのだ。さすが、常日頃からパトカーや白バイには注意を怠らないようにしているだけのことはある。ちなみに、昨年スピード違反でパクられたのは、いわゆる「ネズミ捕り」である。さすがにネズミ捕りシステムにまでは注意が及ばなかった。悔しい・・・おっと、閑話休題。
(あのパトカー来てくんねえかな、いやでもこんなことで来てくんねえだろうな)と思っていたが、ちゃんと来てくれた。2人の警察官との応対は、ずっとかみさんがしてくれていて私はロクに話も聞いていなかったのだが、後でかみさんから聞いたところによると、「『犬が徘徊している』という通報があったので、この辺りを見回っていた」のだそうだ。
若い方の警察官が「ひき逃げ犯」のクルマのことをかみさんに聞いたので、その時だけは立って話をした。ただ、「ひき逃げ犯」と思われるクルマをはっきりと見たが、そのことは伝えなかった。そのクルマ (黒の現行BMW3シリーズ) が犬を撥ねた瞬間を見たわけではないからだ。
立っている間、犬が少し起き上がって、私の足にちょこんと頭を載せた。犬は、こうして最期まで人間に寄り添いたいのだ。そういう生き物なのだ。それなのになんで・・・。
2人の警察官はかみさんと話をしながら、無線で搬送先の動物病院を探してくれていた。「動物病院が見つかった!?じゃあそこに連れて行こう」そんな話をしているとき、犬の呼吸と鼓動が止まった。さっきまでは眼に力があったが、瞳孔も開きかけている。しばらくすると、時折大きく口を開け、目を見開いてケイレンし始めた。
私は知っている。この犬はもう長くないだろう。
中学3年生のとき、5歳の時から実家で飼っていた愛犬も、同じように呼吸と鼓動が止まった後で数回ケイレンをして、息を引き取ったのだ。私はただただ泣きじゃくりながら、その様子をずっと見ていることしかできなかった。
でも中年の警察官は犬を抱きかかえて、「がんばれよ!いま連れてってやるからな!」大声でそう言いながら、パトカーの後部座席に乗り込んだ。あんたは本当にいい人だ。警察官の鑑だ。警視総監賞もんだ。
私は若い警察官が見ているのも構わず、ひとり涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしていた。
虐待されていた犬
この写真▼は2011年11月5日、三浦半島をプチツーリングしているときに畑の真ん中で見かけた犬である。
この犬はまさに野良犬然として薄汚れていて、さらにまともに歩くことができないでいた。驚いたことに、首と右前“脚”が太い紐で結ばれていて、右前“足”が地面に付かない状態にされていたのだ。
私はすぐにオートバイを停め、紐をほどいてやろうとした。だが、よほどひどく虐待されたのだろう。人間を怖がって、不自由な脚で必死に逃げようとする。
「大丈夫だよ、紐ほどいてやるだけだから」
そう言いながら数メートル追いかけた後でようやく捕まえて、逃げないように抱きかかえながら紐をほどいてあげた。私がオートバイに跨がって立ち去ろうとすると、その犬はじっとこちらを見ていた。単なる思い込みに過ぎないことは承知しているが、まるで「ありがとう」と言っているように見えた。
その後、何か食べさせてやろうと思ってこの近辺に唯一あるコンビニ=ヤマザキデイリーストアでパンと牛乳を買って現場に戻ったが、もう犬の姿はなかった。今でもときどき思い出す。あの犬はその後、無事幸せに暮らしただろうか。
贖罪を請う
世の中には、本当にひどいことをする人間がいるものだ。例えば神戸連続児童殺傷事件の犯人のガキを始めとして、動物を虐待する人間を話に聞いたことはあるが、実際に虐待された動物を見たのはその時が初めてであった。
昨日の「ひき逃げ犯」は、この虐待以上の重罪である。その重罪を犯した本人がこんなマイナーなブログを読んでいる可能性は限りなくゼロに近いだろうが、あえて書いておく。
あなたは、何の罪もない一匹の犬をひき殺した。ひき殺して逃げた。
もし少しでも罪の意識があるのなら、犬をひいた瞬間、シートやハンドル越しに全身に伝わったであろう衝撃を、耳に届いたであろう悲鳴を心に刻んで、その場から逃げ去った自分自身を一生恥じながら、苦しみながら生きていって欲しい。
もし、それさえもできないのであれば、とんでもない災禍があなたに訪れることだろう。また、そういう「因果応報」な世の中であって欲しいと、心から願う。