墓参りツーリング2017~春なのに(前篇)
長い長い、クッソ長い冬がようやく終わったと思ったら(今年は3月もぜんぜん「冬」だった)、2週続けての週末グズつき空模様。「今週こそは」の思いも虚しく、土日の予報はまた「曇り→雨」*1。やむを得ず4月14日に有休を取って、毎年恒例の「墓参りツーリング」に出かけた。
ツーリングにも心象風景が映る
昨年(2016年) の墓参りツーリングは・・・
「道の駅あいづ 湯川・会津坂下」のご紹介あり、「台ノ宮公園」の桜あり、
「食堂いしやま」の冷やしラーメンあり、 「竹原肉店」の馬刺しあり、日本海に沈む夕陽あり・・・
と、ワレながら盛りだくさんの内容であった。
今年は、そのどれもがない。その代わりになるモノも・・・ない。去年は楽しかった墓参りツーリングも、なんだか今年はパッとしなかった。仕事がサエないのは昔からだが(というかいまだかつて一度もサエたことはないのだが)、最近は加齢のせいか体調もいまいちスグれず「春なのに 涙がこぼれます」状態なのが、どうやらツーリングにも反映されてしまったようだ。
とは言え、今年=2017年の、ロングツーリングの幕開けを告げる「墓参りツーリング」である。おそらくは40代最後になるであろう故郷の風景を、「ため息 またひとつ」つきながら綴っていこう。
去年より5日遅いのに
お決まりのように、東北自動車道を白河中央スマートICで下りて、天栄村方面に向かう。まずは「和以美(株)白河営業所」の前にオートバイを駐めて、休憩ついでに桜を眺めるのだ。
(そう言えば去年はワイビの前で工事やってたけど、さすがにもう終わってんだろうな・・・
・・・あら?)
なんとまだ、ぜんぜん工事中だった。
パワーショベルで路面を掘り返したりして、むしろ去年より絶賛工事中というか、「去年からの工事がようやく本格的に始まった」という感じであった。
この1年間、いったい何をやってたんだろう。建設・土木業界は深刻な人手不足だと伝え聞く。するとやっぱりココも人手不足で、工事が止まっていたのだろうか。
そして、去年は見事な咲きっぷり・シダレっぷりを見せていたトイメンにある桜の木も、今年はまだ三分咲き程度であった。
春なのに。去年より、5日も遅く来たのに。
冬の色
羽鳥湖
気を取り直して、天栄村を突っ切る国道294号をのんびりと流す。
平日ということもあってか、地元以外のクルマやオートバイは皆無で、1箇所だけある信号でバカデカいダンプの横をスリ抜けた後は一度も行く手を遮られることもなく、まさに「快走」であった。やっぱり田舎の道はこうじゃなくちゃね。
すっかり気分が良くなり、(たまには違う道を通ってみるか)と国道118号に進路を変える。
「国道294号で猪苗代湖の西側をひたすら北上して国道49号まで抜ける」のが例年のパターンであり、そのルートがいちばん早く故郷・会津坂下町にたどり着けるのだが、「桜」という重要なネタが絶望的となった今、ツーリング・・・ひいてはブログの「方向性」も変えてみようとも思ったのだ。実際は想像以上に遠回りで、かなり時間をロスしてしまったのだが。
国道118号に入るとすぐ、いい感じの景色が前方に広がった。
写真▲ではほとんど見えないが、気温計は「15℃」を示している。この日のほぼ完全な冬装備でも暑くはなく、かと言って40~60km/hの巡航速度では寒くもなく、実にちょうどいい気温であった。
国道294号は曲率のほとんどない退屈な道路だが、そのぶん「田圃越しに望む磐梯山」などの、「会津ならでは」風景を堪能することができる。それに対して初めて通った国道118号は眺望はいまひとつなものの、超ヘアピンの連続カーブなど、なかなかテクニカルな峠道であった。
そんな峠道を、その長大なディメンションかつクソ重い車重から、峠道からはもっとも縁遠いマシンであるM109Rを華麗に操りながら一気に駆け抜け・・・というのはもちろんトゥルーレッドなフィクションで、実際は相変わらずヨタヨタとホウホウのテイで、ニタニタとニガ笑いしながら峠道を“徐行”していたら、突然目の前に湖が広がった。
「羽鳥湖」である。
私は生まれてから19年近く会津に住み、最近は毎年こうしてオートバイで墓参りツーリングに訪れているが、こんなところに、こんな美しい名前 *2 の湖があるとはまったく知らなかった。
(おぉースゲえ・・・)
感嘆のため息を漏らしながら、しばし絶景を眺める。その中でひとつ残念だったのは、周りの木々のほとんどが未だ「冬枯れ色」だったことだ。どうせ冬枯れ色なら、いっそのこと雪景色の方が、水墨画的な世界となって風情があるだろう・・・ま、雪が降る時季に、こんな場所には絶対に来たくないけれど。
ところで羽鳥湖の「絶景」は、羽鳥トンネルを抜けてすぐ、湖を跨ぐ橋の上からの方が優っている。ちょうどこの▼辺り。
(おおっ!)と一瞬思ったが、停車してウインター・グローブを外してデジカメを構えるのが面倒で、ついスルーしてしまった。ダメだなあ・・・。これが、この日たったひとつの「後悔」であった。
ちなみに空間をただ機械的に切り取っただけのGoogleストリートビューの画像は、その美しさをツユほども表現していない。
小野岳
国道118号、福島県南会津郡下郷町の街中を走っていると、正面に「雪山」が現れた▼。
地図上で確認する限りは「小野岳」である。
その名前は今回初めて知ったし、もちろんビジュアルも知らないので断言はできないが・・・
画像出典:小野岳 - 詳細表示 - 福島県の山と風景 - Yahoo!ブログ
うん、間違いない。どうやら登山好きの間では、有名な山のようだ。この山が、未だ一面雪で覆われていることに驚いた。雪の白の上を、木々の黒がマダラ模様を描く。それはまさに、ガキの頃いつも辟易としていた、暗いモノトーンに沈む会津の「冬の風景」である。
田島町は遠すぎる
下郷町を走っているとき、ところどころに掲げられた案内標識を見て不安になった。行き先のひとつに「会津田島」と書いてあったからだ。
(うぅわっこの道、田島まで行っちゃうの?)
「田島町(平成の大合併で現在は「南会津町」となっているらしいが)」と言えば、会津坂下町出身の私にとっては「とんでもなく遠くにある場所」なのである。
古くは41年前、私が小学2年生のとき、亡き父の最初の単身赴任先が同じ会津にある田島町であった。
(同じ会津なんだから通えばいいじゃん)
そう思う人は、会津の広さを知らない。2017年現在、Googleマップで「会津坂下町役場~南会津町(旧田島町)役場」間のクルマによるルートを確認すると「54.9km」。
まあ、通えなくはないかなあ・・・と思わなくもないが、時代は1970年代である。クルマの性能も道路事情も、現代よりずっとプアだったはずだ。
今や絶景道として全国的に名高い「磐梯吾妻スカイライン」に喜々として家族をドライブに連れ出し、まだ保育園児だった私を容赦なく嘔吐の海に沈めたり(あのグネグネ道を、昭和40年代当時のフニャフニャ大衆車で走るのだ、その車酔いはハンパではなかった)、まだ磐越自動車道など影も形もない時代に、まる一日かけて私たち家族を会津から相馬まで毎年クルマで連れて行ってくれたりと、昭和期の人間としてはなかなかのロングツアラーだった父だが、その彼をもってしても、「田島町には毎日通えない」と判断した上での単身赴任だったのだろう。
そして、時代は少し新しくなって(と言っても30年以上前だが)高校時代。
「会津高校」というこの上なくシンプルな名前の、会津じゅうから生徒が集まる高校に私は通っていたのだが、田島町から通う同級生の多くは、会津若松市内に下宿していた。遠すぎて通えなかったからだ *3。
(ホシスグル君、元気かなあ・・・)
田島町から通っていたヤツは他にも何人かいたが、みんな名前を忘れてしまった。顔と名前を覚えているのは、ホシ君だけである。
ものすごく真面目でひたすら真っ直ぐで、とってもいいヤツだった。ちょっとでも曲がったことをすると、真剣な顔でタシナめてくる、そんなヤツだった。私と違って、きっと立派なオトナになっていることだろう。
田島町から連想される昔のヨモヤマに思いを巡らせながら、田島町まで行ってしまう“恐怖”と闘いながら走り続けた。実際は、突き当たりを左に行くと(旧)田島町方面、右に行くと会津若松市であった。
「ふうぅぅ・・・」
ため息をまたひとつつきながら、会津若松市に向けて右折したのだった。
(つづく)