「映像の世紀・デジタルリマスター版」を視た(1)



 

映像の世紀(旧シリーズ)

「映像の世紀」は、NHKと米ABCによる、20世紀の映像記録をまとめた稀代のドキュメンタリー番組である。

この一連のシリーズは1995年の最初の放送当時から大好きで、当時はVHSビデオに録画し、その後はPCにダビングしてからDVDに焼いたりして、たまに視ていた。

このNHKが本気を出して作った一連のシリーズが、「デジタルリマスター版」となって今年の9月に放送されたことを、「第7集 勝者の世界分割」が放送された9月23日になってようやく気づいた(※大型連休中、一歩も外に出ずにずっとテレビを視ていたので)。

f:id:ToshUeno:20151115131118j:plain画像出典:NHK

そんな貴重なものを放送するなら、もっと大々的に告知してよ・・・と落胆していたのだが、ちゃんと11月12日(木)から再放送してくれている。
さすがは大NHK様。だてに国民から強制的に搾取していない。

放送スケジュールはこちら▼。

「映像の世紀」デジタルリマスター版:放送決定のお知らせ

このシリーズのハイライトは、やはり第二次世界大戦に至るまでの経緯と、戦争の悲惨さを徹底的に描いた

第3集:それはマンハッタンから始まった
第4集:ヒトラーの野望
第5集:世界は地獄を見た

この第3~5集だと思うので、デジタルリマスターによってどれだけ映像がクリアになっているのか、来週以降の放送がいまから楽しみである。

取り急ぎ今回は、よりクリアになって帰ってきた第1集・第2集の感想と、新シリーズについて書く。 

第1集 20世紀の幕開け

「工場の出口」という1895年に世界で最初に作られた映画・・・と言っても、工場からただワラワラと出てくる人達を撮影しただけの映像で始まるこのエピソードは、19世紀末から第一次世界大戦が始まるまでの世界を映像でよみがえらせる。

いかんせん、当時の映像はどれも短く、断片的なものなので、ツギハギな印象は拭えない。それを、加古隆氏による稀代の名曲「パリは燃えているか」をクライマックスで効果的に使いながら、巧みな編集でつなぎ合わせる。

特に印象的だったのは、1900年のパリの街角の映像がデジタルリマスターによってとてもクリアになっていたことだ。よりクリアな映像は、当時の情景を想像するためのチカラを補ってくれる。

ただし、すべての映像がクリアになっているというわけではない。ピンボケな映像はやはりピンボケなままだし、ノイズが取り切れていない映像も多い。
でもこれらの「残念な映像」も、今後のさらなる技術革新でよりクリアになっていくのだろう。 

第2集 大量殺戮の完成

第一次世界大戦を詳細に描いたこのエピソードを視るまで、不学な私は、その大戦はどこか牧歌的な戦争だと思っていた。

このエピソードでは、戦地で置き去りにされた死体に蝿がたかる様子や、傷病兵の脚や顔にメスを入れる様子が映像としてリアルに紹介されている。

やはり、当然のことながら、どんな戦争にも必ず死や傷みが伴い、それらは戦争が終わった後もずっと、国や、そこに暮らす人々につきまとうのだ。

 

新・映像の世紀

先月10月から、20年の時を経て「映像の世紀」の新シリーズが始まっている。

最初のエピソードは、旧シリーズの「第2集 大量殺戮の完成」と重なる。

断片的な映像を巧みに組み合わせながら、その手法だけで淡淡と時代の流れを追った旧シリーズと違って、新シリーズは随所にイマドキな映像処理や、史実に対する詳細な解説を散りばめている。

ひとつ不安だったのは、「加古隆氏による稀代の名曲『パリは燃えているか』がそのまま使われるのか」ということだったが、ちゃんと使われていて安心した。
やはり「この曲あってのこのシリーズ」、「このシリーズあってのこの曲」である。この稀代の名曲をたまにバラエティ番組とかで耳にすることがあるが、もっての外だ。二度と使わせないように。

新シリーズで特に秀逸なのは、私が好きな若手俳優のひとりである山田孝之氏がナレーションの一部を担っていることだ。
先月放送された最初のエピソードを視る限りでは、彼よりも局アナである伊東敏恵氏の方が出番が多いような気もするが、今後のエピソードでは、山田孝之氏の、ドラマチックかつアナウンサー以上に聞きやすい語りが、より増えることを期待している(ま、もう収録は終わってるかもしれないけど)。

 

過去の映像を視る意義

こうして私が酒を飲みながら古い映像を視ている間に、遠いフランス・パリの地で、またテロが起きた。

どのような思考をすれば、一般市民を虐殺することに正義や正当性を見出せるのかはまったく理解できないが、この行為もまた、人類が連綿として受け継いできた歴史のひとつの側面なのだろう。

そして、フランスもイギリスもドイツもアメリカも日本も、今回のことで何だかエラそうに大義名分をかざしているが、「これから戦争しますよ」と言ったか言わないかの違いだけで *1、行為の主体が国家かテロリストかの違いだけで、どの国も過去に同じような愚行を繰り返してきたのだ。
今回殺されたパリ市民と、70年前に殺されたヒロシマ市民に、何の違いがあるというのか。

テロリストを非難する前に、なぜこんなことになってしまったのか、どうすれば憎しみの連鎖を断ち切れるかを考えるべきで、過去の映像を視ることは、そのきっかけとして、意義のあることなのである。

(つづく)

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*1:日本の場合は、太平洋戦争開戦に当たってそれさえもせずに真珠湾を急襲したわけだが