四国・九州ツーリング:2013GW~5日目
2013/05/01(水):宮崎~鹿児島~熊本
前日の雨から、打って変わっての好天。
宮崎地鶏があったりして、ビジネスホテルの朝食バイキングにしては満足だった。
JR九州ホテル 宮崎は、とてもいいホテルです。
そんな宮崎を後にし、知覧へ向かう。
この旅で唯一、”明確に行きたかった”場所である。
カーナビさんの言うとおりに高速を通り、指宿(いぶすき)を抜け、なんなく知覧町に到着。
そこは、どこか懐かしいような、何度か来たことがあるような、不思議な感覚を抱く町だった。
知覧特攻平和会館は、(GW中とは言え)平日にもかかわらず、想像以上に人が多かった。
特に、若いヤツらが多いのには驚いた。
・・・ま、比率的にはじいさんばあさんの方が圧倒していたが。
展示物でひとつ気づかされたのは、当時は特攻をあくまで「兵器」として捉えていたこと。
「角度は何度で、どこに体当たりするのが最も効果的か」なんて解説したパネルがあって、少し驚いてしまった。”願掛け”(「神風よ吹け」)で行っていた行為ではなかったのだ(当たり前か)。
そして、そこには死んでいく”人間”の存在はない。
あとは・・・特攻隊員の方々の手紙は遺品は、もっと心打たれると思ってたんだけど・・・
なんだろうな・・・
情感に訴えるような、心の奥底を鷲掴みにするような、いわゆる「魂の叫び」というか、そんな手紙は見つけられなかった。
どれもこれも、なにか取り繕っているというか、”よそゆき”というか・・・
ああいう手紙なら、「円谷幸吉の遺書」の方がまだ心打たれると思った。「円谷幸吉の遺書」には、人間の”弱さ”がにじみ出ているからだ。それだけ、特攻隊員である彼らが”立派”だったということだろうが、まあそれはわかりきっていることなので。
「疾風」を見られたのは良かったかな。
「零戦」の”残骸”もすごかった。
「飛燕」は、ホンモノだってわりには色が”ペンキ塗り立て”みたいで、不自然な感じがした。
遺品はともかく、飛行機も全て撮影禁止だったのが残念だった。撮りたかったなあ、写真。
ひとりだけバシャバシャ写真撮りまくっているジジイがいて、注意しようかと思ったが、そういうジジイは面倒だからやめておいた。
この「隼」は、慎太郎さんの映画用の”ハリボテ”。
ロビーで上映してる館内の案内ビデオを”最後に”見たのだが、結局それが一番泣けた。
全体的に、期待が大きかっただけに物足りない気はした。
もっと、当時の兵士達の生活や、”内面”を浮き彫りにするような展示ができたらいいと思う。
三角兵舎ぐらいじゃなかったかな、そういうのは。
例えば、こういう話を元に、当時の特攻隊員の生活と心情を展示物に反映するとか。
まだ星の出ている特攻出撃の早朝、熟睡している隊員たちを起しに行き、
「起床の時間であります。ただいま四時であります」
そう告げるのが任務であった。ところが、話がそのくだりにくると老人はにわかに顔を歪めて絶句し、大粒の涙を膝にしたたらせた。老人の話は、そこから先に進まなかった。
涙をこぼしながら老人は、それでも私のために幾度か話をすすめようとしたが、「起床の時間であります・・・・・・・」そう云うと また咳きあげ、唇をふるわせるのである。
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/tokko_episode/sankakuheisya.html
だがもちろん、いい記念にはなった。鹿児島なんて、そうそう行けないし。
また、思いの外かみさんが興味を示していたので、いっそう来た甲斐はあった。
知覧を後にして、海岸沿い・・・は時間的体力的にやっぱりあきらめ、高速で熊本へ直行。
八代市は、ただの寂れた地方都市だった。
アーケード街は、ほぼシャッター通りと化していた。
マックスバリュで晩飯を買ったんだが、なんか楽しかった。
スーパーなんて全国どこも似たようなもんだが、客を観てると、やっぱり東京とか川崎とか横浜とかとは違う気がした。
ホテルは・・・いや、この日宿泊した所は、ホテルと呼べる所ではなく、フツーのウィークリー/マンスリーマンションだった。いくらなんでも、”ホテル”と呼ぶには、ちょっと汚すぎた。
それでも、ベッドは大きめのヤツにひとりだったので、よく眠れたのだが。
- 381.6km
- 5時間3分
※PNDの操作ミスで、知覧を出た後しばらくするまで、GPSログを記録していないことに気づかなかった。一番遠くに行った日なのに。超もったいない。